その夜、誠一は眠れなかった。
「また特高が来る。光太をどうやって逃がせばいいか……」
そのことで頭がいっぱいだった。
「友人の家にかくまってもらうしかない。早い方がいい」
早朝、光太を畑に連れ出してそれを言うと、意外な言葉が返ってきた。
「おじいちゃん、ありがとう。……でもだいじょうぶです。もう特高は来ません。もし連れて行かれてもすぐ帰ってきます」
「なぜだ。きのう来たじゃないか。また来るっても言ったぞ。今度はなぐられるだけじゃすまんのだぞ」
「あと三日で戦争は終わります。もう特高の仕事がなくなるんです。だから捕まえに来ることもありません」
「なぜそれが分かるんだ? 広島や長崎のこともそうだったが……」
そう言われて苦しげにうつむいた光太を見て、改まった口調で誠一が尋ねた。
「やっぱり日本は負けるのか! ……そのあとはどうなる?」
光太は、つらそうに途切れ途切れに答えた。
「……アメリカに占領されて、しばらくは苦しい時期が続きます。……でも、日本はまた復興して、豊かな国になっていきます。……進一さんもきっと……きっと戦地から無事に戻ってこられるでしょう」
誠一は完全に悟った。やはり光太はただの少年ではないということを。これまでふたをしていた言葉が口をついて出た。
「光太。おまえはいったい――」
光太は覚悟を決めたように誠一に向き直って言った。
「おじいちゃん。今まで黙っていてごめんなさい。信じてもらえないかもしれないけど、ぼくは未来の日本から来たんです。なぜ来たのか、なぜこんなことになっているのか、自分にも分かりません。けど……ぼくは今から七十二年後の日本人です……。あの日、トンネルで雷にあって――そしたらここに来ていたんです……」
誠一は、あきれたように光太を見つめるばかりで、声が出なかった。
大きく息をついて目をつぶった。
「長いこと生きてきたが、そんな不思議なことがあるとはなあ……」
やがて、静かな声で言った。
「しかし、考えてみれば、自分がなぜこの時代に生きているのか、それが分かっている者もおらんのだからな……」
少しの間をおいて、今度ははっきりと言った。
「わしはおまえを信じるぞ。おまえが何者であろうと、おまえはわしのいい孫だ。それで十分だ」
何かが吹っ切れたような、しっかりと落ち着いた声だった。
難しいことは分からない。しかし、だれがいい人間かそうでない人間か、それだけは分かると誠一は思った。何十年もの間、数知れない人間を見てきた人の、揺るがぬ自信だった。
それ以上言うことはなかった。
光太にも、もう言葉はなかった。熱いものが胸にこみ上げていた。
誠一にとって自分はまったくの他人だった。
「それなのに……。自分たちの生活も大変なのに、ぼくを家族にしてくれた。その上、今は身の危険までおかして……」
こんな人がいることが信じられなかった。
「この人がいなければ……この家族に会わなければ……自分はこの世界で生きてこられなかった。……食べ物も、着る物も、寝る所も、働く技術も……すべて与えてもらった……」
言葉にできない感情が、光太の目に涙をあふれさせた。
限りない感謝があった。
これまで言えなかった苦しみから解放された安堵もあった。
でもそれだけではなかった。
何か崇高なものに触れた……、自分にも分からない大きなものが胸を、魂を震わせて、あとからあとから涙が湧いてきた。
うつむいて、ぼろぼろ涙をこぼしている彼の肩をたたいて、誠一がさっぱりした声で言った。
「さあ、戻って朝めしだ。早く行かんと、澪がまた探しに来るぞ」
その三日後。
昭和二十年 八月十五日。
長かった戦争が終わった。
日本は負けないと聞かされていた。
国も新聞も嘘をついていたのだと知って、町の人は皆、ぼう然と立ちつくした。
「また特高が来る。光太をどうやって逃がせばいいか……」
そのことで頭がいっぱいだった。
「友人の家にかくまってもらうしかない。早い方がいい」
早朝、光太を畑に連れ出してそれを言うと、意外な言葉が返ってきた。
「おじいちゃん、ありがとう。……でもだいじょうぶです。もう特高は来ません。もし連れて行かれてもすぐ帰ってきます」
「なぜだ。きのう来たじゃないか。また来るっても言ったぞ。今度はなぐられるだけじゃすまんのだぞ」
「あと三日で戦争は終わります。もう特高の仕事がなくなるんです。だから捕まえに来ることもありません」
「なぜそれが分かるんだ? 広島や長崎のこともそうだったが……」
そう言われて苦しげにうつむいた光太を見て、改まった口調で誠一が尋ねた。
「やっぱり日本は負けるのか! ……そのあとはどうなる?」
光太は、つらそうに途切れ途切れに答えた。
「……アメリカに占領されて、しばらくは苦しい時期が続きます。……でも、日本はまた復興して、豊かな国になっていきます。……進一さんもきっと……きっと戦地から無事に戻ってこられるでしょう」
誠一は完全に悟った。やはり光太はただの少年ではないということを。これまでふたをしていた言葉が口をついて出た。
「光太。おまえはいったい――」
光太は覚悟を決めたように誠一に向き直って言った。
「おじいちゃん。今まで黙っていてごめんなさい。信じてもらえないかもしれないけど、ぼくは未来の日本から来たんです。なぜ来たのか、なぜこんなことになっているのか、自分にも分かりません。けど……ぼくは今から七十二年後の日本人です……。あの日、トンネルで雷にあって――そしたらここに来ていたんです……」
誠一は、あきれたように光太を見つめるばかりで、声が出なかった。
大きく息をついて目をつぶった。
「長いこと生きてきたが、そんな不思議なことがあるとはなあ……」
やがて、静かな声で言った。
「しかし、考えてみれば、自分がなぜこの時代に生きているのか、それが分かっている者もおらんのだからな……」
少しの間をおいて、今度ははっきりと言った。
「わしはおまえを信じるぞ。おまえが何者であろうと、おまえはわしのいい孫だ。それで十分だ」
何かが吹っ切れたような、しっかりと落ち着いた声だった。
難しいことは分からない。しかし、だれがいい人間かそうでない人間か、それだけは分かると誠一は思った。何十年もの間、数知れない人間を見てきた人の、揺るがぬ自信だった。
それ以上言うことはなかった。
光太にも、もう言葉はなかった。熱いものが胸にこみ上げていた。
誠一にとって自分はまったくの他人だった。
「それなのに……。自分たちの生活も大変なのに、ぼくを家族にしてくれた。その上、今は身の危険までおかして……」
こんな人がいることが信じられなかった。
「この人がいなければ……この家族に会わなければ……自分はこの世界で生きてこられなかった。……食べ物も、着る物も、寝る所も、働く技術も……すべて与えてもらった……」
言葉にできない感情が、光太の目に涙をあふれさせた。
限りない感謝があった。
これまで言えなかった苦しみから解放された安堵もあった。
でもそれだけではなかった。
何か崇高なものに触れた……、自分にも分からない大きなものが胸を、魂を震わせて、あとからあとから涙が湧いてきた。
うつむいて、ぼろぼろ涙をこぼしている彼の肩をたたいて、誠一がさっぱりした声で言った。
「さあ、戻って朝めしだ。早く行かんと、澪がまた探しに来るぞ」
その三日後。
昭和二十年 八月十五日。
長かった戦争が終わった。
日本は負けないと聞かされていた。
国も新聞も嘘をついていたのだと知って、町の人は皆、ぼう然と立ちつくした。
