ミッドナイト・ヴェノム








そしてそんな会話をしているうちに、私たちは観覧車に乗り込んだ。



まだ日が高い場所にあって、移動遊園地はここに滞在する最後の日らしく、遊びに来た人たちでいっぱいだ。



それを、私たちは黙って見下ろしていた。




「七夏」



「なに?」



「好きだよ、七夏。ずっとずっと、好き」



「……」




隣に座っている怜悧は、私の手を取って指を絡め、私の薬指に唇を落とした。




「覚えてる?俺たちが出会ったときのこと。七夏がいなかったら、俺はきっと生きていられなかった」



「……覚えてるよ」




怜悧と出会ったのは、私たちがまだ小さかった頃。



あの頃のことを、まだ鮮明に思い出せる。



そのときから私たちは、誰も信じられないような人間不信ではあったけれど、それでも、お互いが一番大切だった。



だから離れなかった。一緒に生きてきた。ずっとずっと、離さなかった。




「七夏、きっと俺は、今なら七夏と離れたって1人で生きていけるよ」



「そうだね、私も」




もう私たちは、とっくに1人で生きていける。生きていく術を身につけている。



お金だっていっぱい持っているし、1人になっても生活に困ることはないだろう。



それでも、私たちは離れることを選ばなかった。



それはきっと、私たちが離れたくなかったから、だと思う。




「それでも俺は、ずっと七夏と一緒にいたい。七夏と、家族になりたい」



「……怜悧」



「七夏のぜんぶになりたい。七夏の恋人になりたい。七夏の半身に、なりたい」




観覧車が、上がっていく。



この街で一番高い場所に、ゆっくりと向かっていく。




「好きだよ、七夏。昔から、きっと出会ったあの日からずっと」



「……っ」



「好き」




こつん、と額がぶつかった。



私をこの上なく大切そうに見ている怜悧の瞳が、優しい光を宿している。



「怜悧」が、愛しむように私を見つめて、微笑んで。




「間違いなく七夏は、俺のすべてだよ」




そして唇が重なった。



優しくて、羽のように軽い口付けだった。



だけど私を思いやるように頬を撫でる手が、嬉しそうな吐息が、何よりも私の心を揺さぶってくる。




「……七夏、好き」




ちゅ、ちゅ、と何度も降ってくるキス。



いつの間にか観覧車は頂上に達していて、視界の隅に綺麗な景色が見えた。




「前に、『見返りを求めるのは愛情ではない』って聞いたことがあるんだ」



「……」



「前は、七夏への感情はただの『恋愛』だった。俺を見てほしい、信じてほしい、頼ってほしいって思ってた」




前に弦くんと観覧車に乗った後、「嘘でもいいから好きって言って」と迫られたことを思い出す。



もしかしたらあれは、怜悧が私に恋愛感情の見返りを求めていたってことだろうか。




「でも、今は少しだけ違う気がする」



「違うって、なにが?」



「今も、信じてほしいとは思うよ。俺だけを見てほしいし、頼ってほしいけど、それより」




怜悧はそこで言葉を切って、私の頬を撫でた。



その手はそのまま目尻や耳を滑り、私の首にまわって顔を引き寄せてくる。




「俺は、七夏が笑える世界に行きたくなった」



「え……」



「俺と一緒にいる七夏も楽しそうだけど、俺たちの世界は笑って過ごすには危険が多すぎる。俺は、七夏が安心して幸せになれる世界が欲しい」




それは、大きな愛情に思えた。



苦しそうな顔をしながら私に懇願してきたときとは違う、私しか目に映らないその目が、愛情に揺れている。




「俺は――七夏を、愛してるよ」




私が、笑う世界。



どんな危険も気にせず、どんな心配もせず、ただ安心して笑顔で幸せになれる世界。



それを、怜悧は望んでくれている。



それを心の底から理解した瞬間、私の視界が歪み始めた。



おかしいな。こういう「優しさ」は、必要ないって切り捨てたはずだったのに。



なんで、こんなに嬉しいんだろう。なんで、泣きそうになってるんだろう。




「……七夏、一緒に『明るい世界』に行こう」




大きな愛情を注がれて、私はもう何も言えなくなっていた。



そんな私の涙を拭い、頭を撫でて、怜悧は私の瞼に唇を落とす。




「七夏が望む、笑顔になれる世界に」



「……うん」




聞けば聞くほど、怜悧の言葉は真実のように聞こえた。



口にしているのが怜悧だからこそ、彼の言葉は信じられない。



でも、怜悧がこんな見たことがないほど切実な顔をして話しているのが特別だと分かるからこそ、信じたくなる。



どうすればいいんだろう、本当に。



信じればいいのか、それとも怜悧が私を嵌めようとしていると警戒すべきなのか。



……もう、わかんないよ。




「……七夏」




そんなふうに考えながら目を伏せていると、再び名前を呼ばれた。



反射的に顔を上げると、怜悧の顔がすぐそこにあって――……




「……ん」




唇が触れた。



甘い吐息と、熱と、恋心。



私の意識や気持ちや体温が何もかもが混濁して、胸が温まるような気がした。



怜悧の手が私の頭に優しく触れて、撫でて、それから首をなぞる。




「……っ」




その手つきが艶かしくて身を震わせると、怜悧が薄く微笑んだのが目に入った。



それが悔しくて身を引こうとすると、ちゃり、と首に冷たい感覚が落ちた。




「え……?」



「……プレゼント」




いつの間にか、首にはネックレスが下がっていた。



顔を上げてネックレスについて聞こうとすれば、また唇を奪われる。



これじゃあ、質問なんてできない。




「ん、怜悧……!」




怜悧がぐっと私の体を抱き寄せた拍子に、ちゃりちゃりと怜悧のネックレスと私のネックレスが当たって音を奏でた。



……あ、怜悧のネックレス……私が誕生日プレゼントにあげたやつだ。



あれからずっと、つけててくれてる。他の人からもらったやつは、すぐ捨てちゃうのに。




「……ん……」




口付けをされながら、ぼんやりと首にかかっている冷たい金属の感触に意識を向ける。



怜悧の唇や吐息から伝わってくる、まるで太陽のように私を焦がす感情は、おそらく「愛」と相違ないのだろう。



それでも私が今まで信じてこれなかったのは、それが私たちの生き方だったからで、私たちが「真実」を恐れていたから。



でも……




『……七夏、一緒に「明るい世界」に行こう』




明るい世界に、行くのならば。



その一歩は、無二の相棒を信じてみることなのかもしれない。




「……怜悧」




この心臓は今、明確に恋心の鼓動を刻んでいる。



素直に認めて、真実を見つめて、愛を受け入れればいい。



そんなことはもうわかってるのに、最初で最後の一歩が、踏み出せない。



私は……。




『七夏、私たちはずっと七夏のそばにいるからね。泣かないで』




私、は――……。



過去に聞いた声が頭の中にこだまして、私の思考を鈍らせる。



混濁した心の中を落ち着けようと視線を怜悧から逸らした、そのとき。