まもなく、迎えに来た弦くんと許可をもぎ取った花奈が待ち合わせ場所に集合すると、私たちは弦くんの家に向かった。
花奈は初めての勉強会、それも友達の家で友達とするという事実にウキウキの様子。
そして弦くんはトランプを用意しようとしたら親に怒られたらしく、別のゲームをみんなでできないかと計画を巡らせている。
ちなみに花奈を狙っているはずのエルツァーノファミリーだが、勉強会を邪魔されるのは面倒なので、一時的に別の場所に追いやるように手配した。
花奈についてのそれっぽい情報を何個も掴ませているから、今日は私たちのことを見つけられないはずだ。
「弦。何回も言うけど、弦が補修行きにされないための勉強会だからね」
呆れたような顔で怜悧が釘を刺した。
言われた弦くんはガックリと肩を落としているが、補修行きは嫌だと散々下水道のような音を響かせていたのは誰だったか。
補修だったら弦を置いて夏祭り行くからね、と怜悧が言うと、途端にやる気を見せていた。
現金な子だ。
「花奈は、なにを勉強したい?」
とりあえず弦くんのことは怜悧に任せるとして、私は花奈に話しかけた。
「花奈の苦手教科はたぶん教えられると思うんだけど」
「なら、漢文教えてもらってもいい? もう全然わかんなくて」
「もちろん!」
……とは言いつつも、花奈の視線はチラチラと怜悧を見ていた。
怜悧と一緒に勉強をしたいんだろうけど、あいにく「春野 怜悧」は花奈と同じ得意不得意を持っている設定だ。
花奈が怜悧に勉強を教えてもらう機会は、あまりないだろう。一緒に考えることはできるだろうけど。
それでも純粋な恋を抱いて様子を伺う姿は、かわいらしく見える。
――……と、まあいろいろ話したり考えたりしている間に、私たちは弦くんたちの家に到着した。
「お邪魔します」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します……!」
「なあ、ジュースどれがいい?一応みんながいつも飲んでるやつはあるぜ」
「ほんと……⁉︎」
ジュースとお菓子まで完備の弦くんは、どうやらよっぽど今日を楽しみにしてたみたい。
俺の家に呼ぶってなったら気合い入っちまってよ、と照れながら頭を掻いているさまは本当に微笑ましい。
「おし!じゃあさっさと始めてさっさと終わらせて大富豪やろうぜ!」
「目的は結局それか……」
大富豪に情熱を燃やす弦くんを合図に、私たちは早速勉強会を始めた。
私と花奈、弦くんと怜悧がそれぞれ隣で、私の向かいは弦くん、花奈の向かいが怜悧。
怜悧は花奈に正面を譲る私を不満そうに見ていたけれど、花奈の嬉しそうな顔と恋する乙女の表情を見ていたら、怜悧の正面を陣取るなんてできそうになかった。
私が怜悧のことが好きって、花奈にはまだ話してないし。
こういうことを考えてしまう時点で、私は怜悧と恋をする覚悟ができていないのかもしれない。
「……花奈、この再読文字の意味はわかる?」
「えーっと、『する必要がある』?」
「そう。だからほら、ここの主語が……」
「あっ、そっか!」
花奈がきらきらした笑顔で私を見つめて、「ありがとう、七夏!」と微笑んだ。
一方弦くんは、空間ベクトルにうんうんと悩んでいるようだ。
「なんでこんな断面の面積なんか求めるんだ?必要ないことを考えないと死ぬ病気か⁉︎」
「げーん。余計なこと言ってないで計算して。ここ符号間違えてるよ」
「怜悧の鬼!悪魔!」
「どうとでも言ってよ」
怜悧のスパルタ指導に弦くんは涙目だ。それでもおとなしく従っているのは怜悧が怖いからか、それとも夏休みが欲しいからか……たぶん、どっちもだ。
怜悧もなんだかんだ、頑張って教えてるじゃん。
『勉強会が終わったら、デートしない?』
……いやいやいや、怜悧は花奈や弦くんと一緒に夏祭りに行く機会を逃さないためにやっているのであって。
私とのデートを伸ばすためとか、そんな理由なわけがない。
思い上がっても、あとが辛くなるだけ。
「七夏?」
「あ、なんでもない。それで、この人の言いたいことはわかった?」
「うん!」
花奈はそれから1人で解いてみると言って集中し始めた。
それならばと、私は課題として出されているプリントを解くことにする。
これくらいは大した量ではないが、弦くんが頑張っている間は私も勉強をしていよう。
そう思いながら花奈を見ると、真剣な表情で問題集と向き合っていた。
「…………」
西宮 花奈、この街を牛耳る「西宮会」の愛娘。
だが本当は愛されてなどおらず、西宮会が彼女を利用するためだけに「西宮会の娘」として擬似的な愛を与えられて育った、可哀想な女の子。
私たちが彼女の護衛であることも、自分が危険な状態にあることも、西宮会が非道な連中であることすら忘れて過ごす、呑気で優しい女の子。
「西宮会の娘」でありつつも、心優しく穏やかで、ただ高校生活を楽しむ普通の存在でいたかった女の子。
今までゲームセンターやカフェ、勉強会など様々な過ごし方をしてきたが、そのありとあらゆる場面で、花奈は私たちにただの親愛と善意を向けてくれる。
それまで私たちは、醜い愛欲か仄暗い陰謀、もしくはどす黒い殺気のようなものしか向けられなかったというのに。
「………………」
嘘や陰謀に塗れてもなお、優しさに溢れるその姿には覚えがあった。
だからこそ、ちょっとだけ思うところがある。
それをきっと、怜悧はとっくの昔に見抜いているだろう。
「七夏、どうしたの?わかんない?手が止まってるなんて珍しいね」
「ああ……――うん、まあね。教えてくれる?」
「もちろん!」
花奈は明るい笑顔で頷いた。
可哀想で優しくて、誰よりも不運な女の子。
そんな花奈は、私たちと一緒にいるときだけ、自分のしがらみのすべてを振り払っていられるのだろう。
「七夏、ここはね、標準偏差が――……」
窓から漏れる太陽光が、まるで花奈を守るかのように包み込む。
その姿を微笑んで見つめる私は、ぼんやりと考えていた。
こうして、お互いがただお互いであることだけが確かで、何も疑わなくていい世界が欲しい。
花奈が苦しまなくていいような、弦くんとまた勉強会ができるような。
今日は大丈夫だけど、おそらくはもうすぐエルツァーノファミリーが動くだろう。
そうなると私たちの平穏は、壊れる。
だけど、認めよう。
私はこの「薄っぺらい高校生活」が、好きなんだ。
「ありがとう、花奈!」
「んーん、頑張って!」
花奈の笑顔が、今はこんなにも眩しい。
そう思いながら、楽しそうな花奈を目を細めて見つめる。
そんな私をじっと見つめる怜悧の視線には、気づかないふりをしたままで。



