ミッドナイト・ヴェノム



次の日。



時間をずらし、私より遅く登校してきた怜悧は、荷物を置くなり私と花奈の方に向かってきた。




「おはよう。七夏、花奈」



「おはよう、春野くん」



「あ、あの、春野くん、おはよう!」




花奈は挨拶するだけで赤面している。恋愛には慣れていないからかな。



微笑ましいことだが、昨日あんなことを言われた身からすると複雑な気持ちだ。



だが、怜悧はあくまで、今まで築いてきた紳士的な男子の皮は崩すつもりはないらしい。




メイクを変えた花奈に気づくと、すぐさま褒め言葉を口にした。




「リップ変えた?前の春っぽい色のも可愛かったけど、こっちはさくらんぼみたいな色でもっと可愛くなったね」



「ほ、ほんと……⁉︎ありがとう!」



「七夏も、今日の髪型かわいいね。今日体育だから?」



「あ、うん。ありがとう。体力テストの50メートル走、本気出そうと思って」




サイドの低い位置に髪をまとめる私を見て、怜悧は優しく微笑んだ。



昨日あんなこと言うから何をしてくるのかと思ったけど、割といつも通りだな。



それじゃあ、怜悧は一体何を変えるつもりなんだろう。




「弦は?」



「まだ来てないよ。ハンド部大会近いって言ってたし、朝練かな?」




弦くんは、実はハンドボール部に所属している。



昨日は部活の定休日。そして数週間後にハンドボールの大会があるらしい。




「ねえ花奈、花奈は弦くんの試合見に行きたい?」



「うん、行きたい!ついてきてくれる?」



「もちろん!」




……花奈と談笑しながら、私は静かに花奈の笑顔を分析した。



無邪気で元気、何の混じり気のないその表情を見て、静かに私は目を細める。



――花奈が、私たちの「正体」を忘れてきている。



私たちは花奈を守るために雇われた「護衛」であって、最近転校してきただけの「友人」ではない。



それは、花奈はわかっていたはずだ。




『……あなたたちが、パパが言ってた「護衛」?』




なのに、花奈は命を狙われている事実はおろか、私たちが護衛であることすら忘れているように見える。




『あの、実は私、春野くんのこと気になってて』




これが、怜悧の「猛毒」の恐ろしさ。一緒に過ごす心地よさのあまり警戒や真実を見落としてしまう、彼が引き出す「盲目」。



怜悧はきっと、それすら使って私と怜悧の存在をこの高校に溶けこませ、「青春」を果たすつもりなんだろう。



だって、私たちの正体を知るのは今のところは花奈1人。



花奈が私たちの正体を忘れてしまえば、私たちは「ただの転校してきた高校生」になるから。




『言ったでしょ、俺と七夏で青春っぽい恋するって』




……まさか、怜悧は「樋口 七夏」を恋に落とすだけじゃなくて。




『高校で青春みたいな恋でもしちゃう?』




舞台も環境も整えた状態で、私を追い詰めるつもりなのかも――……。



そこまで考えて、私はやっぱり思考を中止した。



これ以上考えるとなんだか自分から怜悧の沼に落ちてしまう気がして、怖かったから。



そして怜悧も、「樋口 七夏」を最初から特別扱いするようなこともなく。



結局、その日は怜悧とは何もないままに学校が終わったのだった。