悪辣魔王の腕のなか

 抗議の声をあげかけた衣都を遮って、彼はばっさりと切り捨てる。

「あなたの心のケアは我々の仕事ではありません。心療内科を紹介します」

 衣都は口をへの字にして思いきり顔をしかめた。さすがに黙ってはいられないと口を開いた瞬間、パンッと乾いた高い音が空に抜けていった。
 女性が響司の頬を平手で張ったのだ。彼女はワナワナと肩を震わせ、響司をねめつける。

「やっぱり、そういうことなのね。それでも医者なの? ――人でなし!」

 彼女は響司の襟首をつかまえて、ガクガクと揺する。響司はそこまでされても顔色ひとつ変えず、冷めた目で彼女を見つめていた。
 平手打ちの音を聞きつけ、周囲には人が集まってきていた。そのなかには法医学センターのセンター長もいたようで、猛スピードでこちらに駆けつけた。

「奥さん。大丈夫ですか。少し落ち着いて」
「だ、だって。この男、この男がっ」
「なかへどうぞ。ゆっくりお話を聞きますから」

 センター長が彼女をなだめて、建物のなかへと誘導する。
 衣都と響司、遠巻きにヒソヒソする野次馬だけがその場に残された。
 響司の頬は少し赤くなっている。が、ハンカチを差し出す気持ちにはなれない。

「彼女はご遺族の方ですか?」

 女性が去っていった方向に顔を向けて、衣都は聞く。

「あぁ。俺が解剖した遺体の奥さんだ」