悪辣魔王の腕のなか

一章 絶対零度の魔王さま


「なら、さっさとやめたらいい」

 正月気分もようやく抜けた一月中旬。ここは柚木記念病院の法医学センター。お世辞にも片づいているとはいえないセンター内に、場を凍りつかせる鋭い声が響いた
 声の主は柚木響司、三十二歳。ここに所属する法医学ドクターだ。
 さらりと額を流れる艶やかな黒い前髪、深みのあるノワールの瞳、鼻筋は高く細い。形のいい薄い唇は、彼の持つ冷たくて硬質な雰囲気をより強く印象づける。
 静かなのに、いや、静かだからこそ怖い。響司は冷淡な目で、初期研修を終えたばかりの新人ドクターを見据えている。

「尊い命を救う自分に酔いたきゃ、外科医にでもなれ。ここで求められるのは、どれだけの案件数をさばくか、それだけだ」

 すっぱりと言い放つと、彼はもういっさいの興味をなくしたかのように自分の仕事に目と手を戻した。あんぐりと口を開けて固まっている後輩をフォローする気はまるでない。

(い、いくらなんでも、ひどすぎない?)

 同じ室内にいて、一部始終を見ていた椿屋衣都は、言葉を失い唖然とする。
 くっきりした二重瞼のやや大きすぎる目、小さな鼻と口。頬と顎のラインは丸く、典型的な子ども顔だ。医療機器メーカーの営業というお堅い仕事につく衣都にとって、二十八歳にしては威厳の足りないこの顔面はマイナスポイントにしかならない。
 どうにかカバーしようと、髪型やファッションは大人っぽさを意識している。ふわっと柔らかな猫っ毛の髪はハーフアップにしてボリュームを抑え、前髪は額が出るよう斜めに流す。黒スーツを選ぶとフレッシャーズと勘違いされるので、それ以外の色を。
 今日はグレージュのセットアップにココアブラウンのチェスターコートを合わせている。大きなトートバッグに自社製品の分厚いカタログを詰めて、取引先のひとつであるこの法医学センターを訪れていた。
 つまり自分はたまたまこの修羅場に遭遇してしまっただけの部外者なのだが、それでも少なからず嫌な気分にさせられた。新人ドクターへの冷たい態度はもとより……。

(案件って、ご遺体の解剖をそんなふうに表現するなんて)