辞めたい聖女は王子に嫌われることにした

 いつものように部屋へ入り、どこを怪我したのか聞くけれど王子はニコニコしているだけで何も言わない。
 パッと見はどこを怪我しているのかもわからない。

「あの、お怪我は?」
「どこもしていないよ?」
「はい? 侍女がレオルド王子が怪我をしたから呼んでいると言っていましたが」
「僕はただシエルを呼んできてってお願いしただけなんだけどな」

 あの侍女、いつも怪我したって言ってるから癖で言ったのだろうか。
 それより怪我してないのになんで呼びつけたりするんだ。
 こっちは毎日寝不足だっていうのに。

「用がないのなら失礼させていただきます」
「用はあるよ。シエルの顔が見たかったんだ」
「なぜ……?」
「僕、疲れてるんだよね」

 それはそうでしょう。
 私だって別にレオルド王子がいつも遊んでばかりだとは思っていない。
 国内情勢や隣国との問題を抱えていることもわかっている。
 加えて王宮騎士団の指揮も執り危険な現場へ自ら出向いていることも知っている。
 だからといってそれは私には関係ない。

「お疲れ様です」
「シエルの顔を見ると癒されるんだよ」
「心にもない甘いセリフはいりません」

 世のご令嬢はそれで喜ぶのかもしれないけど、私に言われたって胡散臭さが増すだけだ。
 
「ひどいなぁ。本心なのに」

 本心なんて見せたことないのによく言う。
 私が聖女としてここに来てから一度もレオルド王子が表情を崩したところを見たことがない。
 この七年間でそれなりに大きな怪我をしたこともあった。
 けれど決して痛いだとか苦しいだとかは言わず、いつもの隙のない笑顔で「シエルがいてくれて助かる」と言う。
 少しくらい弱音を吐いたらまだ可愛げがあるのに。

 そういえば、イーディアが聖女になりたいと言っていた件をどうして私に黙っていたのだろう。
 すぐに交代はしないにしろ、彼女が聖女になりたがっていることくらい教えてくれてもよかったのに。

「レオルド王子、イーディアから聖女になる意思があることを聞きました。私はいつでも彼女に引き継げます。むしろ今すぐ引き継ぎたいです」
「だめだよ。シエルにはまだ聖女でいてもらわないと」
「なぜですか? イーディアは志も高く聖女としての素質もあります」
「なぜって、そんなの僕がシエルを気に入っているからに決まってるじゃない」

 はい?
 僕が気に入ってるから?
 それが理由?
 聖女として優秀だからとか言われたら悪い気はしなかったかもしれないけど、そんな個人的感情でいつまでも縛りつけられているなんてごめんだ。

 あー。やっぱり早く辞めたい。
 待てよ。気に入ってるから辞めさせてくれないのなら、嫌われたら辞めさせてくれるってこと?
 そういうことだよね。

 レオルド王子に個人的に嫌われたって別になんともないし、そうすればいいんだ。

 ◇ ◇ ◇

 翌日の夜、またいつもの侍女が呼びにきた。
 私は気だるい身体を起こし部屋のドアを開けると、彼女に聞いた。

「レオルド王子はどこを怪我されていましたか?」
「え? えっと……」

 いつもは何も聞かないためか戸惑っている。

「事前に知っていた方がスムーズに治療できると思いまして」
「すみません、パッと見ただけではわかりませんでした……」
「でしたら次回からレオルド王子に聞いておいてもらえますか?」
「かしこまりました」

 侍女は頭を下げると戻っていった。
 いつもの流れだと私もこのまま部屋を出るけれど、今日は行かない。
 パッと見ただけでわからないなら大した怪我ではないだろうし、怪我すらしていないかもしれない。
 もっとも、大きな怪我なら有無を言わさず王子の側近に連れて行かれるのだから大したことがないのは明らかだ。

 私はもう一度ベッドに横になった。
 レオルド王子、怒るだろうか。
 でも、怒った顔もちょっと見てみたいかも。
 あとは聖女をクビにしてくれたらありがたい。

 起こされはしたけど時間が経っていないからか眠気がすぐに襲ってくる。
 今日はいっぱい眠れそう。
 私はそのまま目を閉じた。

 ――ベッドが軋む音がしてフッと目を開ける。
 するとそこにはベッドに腰掛けたレオルド王子がいた。

「は? なんで……」

 どういうこと?
 私、夢みてる?
 呼び出しを無視したことを潜在的に気にしているのかな。

「シエル、どうして来てくれなかったの?」

 夢の中の王子は部屋まで押しかけてきているものの、怒っている様子ではなさそうだった。

「眠かったんですよ……」
「だったら来られないって言付けてくれたらよかったのに。心配したよ」

 胡散臭い笑顔は夢でも変わらないな。

「毎晩夜中に呼び出されてもうずっと寝不足なんです。いい加減やめてほしいです」

 夢だと思って不満をぶちまけていると、王子は素直に謝ってくる。

「ごめね。眠そうにしながらやってくるシエルの顔が可愛いなって思ってたんだよ」

 可愛いなんてまた思ってもいないことを言う……。

 あれ。これ夢じゃなくない?
 王子のクリアな声が頭に響いて意識がはっきりしてきた。
 バッと上半身を起こし、顔を合わせる。

「え、その頬どうしたんですか」

 レオルド王子の頬には引っかかれたような傷があった。
 大した傷ではないけれど、綺麗な顔面には似つかわしくなく目立っている。

「ちょっとね。シエルに治してもらおうと思ったんだけど来なかったから僕が来ちゃった」
「女性の部屋に無断で入るなんて犯罪ですよ」
「でも僕、王子だから」

 王子だから何をしても許されるって?
 本当にいけ好かない。
 来なかったらもう一度侍女を使って呼びだせばいいじゃない。
 わざわざ自ら出向いて不法侵入までするなんて信じられない。
 
「今後こういうことはやめてください」

 私は王子の頬に手を当て、治癒魔法を施した。

「ありがとう。助かるよ」

 傷がなくなったことを確認して私は横になった。

「私は寝ますのでさっさと出て行ってください」
「この状況で寝るの? 僕だって男だよ。不用心じゃない?」
「レオルド王子は私なんか興味ないでしょう」
「そんなことないよ。シエルはとても魅力的だよ」

 女という生き物ならなんでもいいんだな。
 でもさすがにここで襲ってくるなんて思っていない。
 いやむしろ、純潔を失って聖女を辞められるなら襲われてもいいかもしれない。
 
「好きにしてくれていいですよ」

 私の言葉にレオルド王子の瞳が揺れた。
 そしてわざとらしい大きなため息を吐く。

「僕が大事な聖女に手を出すわけないでしょ。シエルには純潔な乙女でいてもらわないと」

 さすがに節操のない王子でもそこはわきまえているんだ。
 だけど『純潔な乙女』なんて私には呪いのような言葉に聞こえる。
 でも、案外王子も聖女という存在を重んじているのかもしれない。

「わかったのでもう寝させてください」

 私は目を閉じて背を向けた。
 レオルド王子はまだベッドに腰掛けている。

 いやいや早く出ていってよ。
 目を開けることもできないけど、眠ることもできない。
 
 そういえば、侍女はパッと見ただけでは王子がどこを怪我しているのかわからないって言ってたよな。
 でも、頬の傷はすごく目立っていた。
 気付かないはずがない。
 
 侍女に私を呼ぶように言付けたときには頬に怪我はしていなかった?
 じゃああの傷はいつできたの?
 どういうことなのかわからない。

 まあいいや。面倒なことを考えるのはやめよう。

 しばらく目を閉じてじっとしていると、頭に優しく手のひらが触れてきた。
 そして王子は部屋を出ていった。

 背を向けていた体をドアの方へ向ける。
 
「今の、なんだったの……」

 まさか頭撫でられたわけじゃないよね?
 
 結局その日もあまり眠れなかった。