昼休み。
屋上のドアを開けた瞬間、少し湿った風が頬を撫でた。
薄曇り。
空は白くぼやけていて、春とも冬ともつかない曖昧な色をしている。
フェンス際。
亮哉は、いつものように煙草を咥えていた。
片手は指先で煙草を挟み、もう片方の手で煙を払う。
その姿は、妙に屋上の風景に馴染んでいた。
「……いた。」
伊織がぽつりと呟く。
亮哉は振り返らないまま、煙を吐いた。
「そりゃいるでしょ。昼休みだし。」
「屋上、ほんと好きだね。」
「相馬も割とそうだろ」
短いやり取り。
伊織はそのまま亮哉の隣まで歩いていき、
フェンスに背中を預けた。
イヤホンは片耳だけ。
でも音楽は流していない。
風の音。
遠くのグラウンドの歓声。
体育教師の笛。
全部が、薄くて遠い。
亮哉は煙草を咥えたまま、ちらりと伊織を見る。
「今日、珍しくちゃんと授業受けてたじゃん。」
「宇野くんもね」
「いやいや、俺は優等生だから。」
「未成年喫煙者なのに?」
「そこだけ切り取らないでほしい。」
伊織は可笑しそうに小さく笑った。
その笑い声を聞きながら、亮哉は煙を空へ吐く。
白い煙は風に流されて、すぐ形を失った。
伊織はぼんやりとそれを目で追う。
「……煙ってさ」
「ん?」
「なんか、いいよね。」
亮哉が少し眉を上げる。
「昨日まで“体に悪い”って言ってたのに?」
「それは今も思ってる。」
「じゃあ何がいいの。」
伊織は空を見上げたまま答える。
「消えるの、早いじゃん」
風が吹く。
亮哉の指先に挟まれた煙草の火が、赤く揺れた。
伊織は続ける。
「ちゃんとそこにあったのに、すぐ消える。
形も残らないし。」
「相馬っぽい発想。」
「良い意味だといいな」
「良い意味だよ」
沈黙。
伊織はフェンス越しの空を見る。
白い。
どこまでも薄い色。
「……ねぇ、宇野くん。」
「ん。」
「煙草、今日何本目。」
「三本目くらい。」
「え......まだ昼休みなのに?」
「なんか相馬に引かれてる気がする。」
「ちょっと引いてる。」
亮哉は小さく笑った。
「でもやめないんでしょ。」
「まぁね」
「なんで?」
亮哉は煙草を口から外す。
少し考えるみたいに空を見る。
「癖」
「依存?」
「そこまで重くない。
……たぶん。」
伊織はじっと亮哉の横顔を見た。
無表情。
でも少しだけ疲れて見える。
昨日、眠れなかったのかな、とぼんやり思う。
「……ふーん。」
「なに。」
「昨日、ちゃんと寝れた?」
亮哉の動きが、一瞬だけ止まる。
煙草の先端から、灰が落ちた。
「……急にお母さんみたいなこと言うじゃん」
「なんとなく思っただけだよ」
亮哉は少しだけ目を細める。
「隈、出てる?」
「ちょっと。」
「マジか」
「私も人のこと言えないけど。」
伊織は空を見上げたまま、小さく息を吐く。
「二時くらいに、また死にたくなった。」
その言葉に、亮哉は何も言わなかった。
ただ、煙草を持つ指先に少しだけ力が入る。
伊織は続けた。
「窓、開けて。
落ちようかなって思った。」
風が吹く。
今度は少し強い。
「……でも。」
伊織は目を細める。
「宇野くんの後味が悪くなりそうだったからやめた。」
亮哉は思わず吹き出した。
「なにそれ。」
「だって、絶対引きずるじゃん。」
「まぁ三日くらいは。」
「だから短いってば」
「でも、たぶん忘れない。」
伊織は少しだけ黙る。
そのあと、ぽつりと呟いた。
「……そういうとこ。」
「なに。」
「ほんと嫌。」
亮哉は煙草を咥え直す。
でも、火はつけない。
代わりに、ゆっくり息を吐いた。
「相馬。」
「ん。」
「今日も生きててえらいな。」
伊織のまつげが、わずかに揺れる。
亮哉は何気ないトーンのまま続ける。
「昨日の夜、乗り切ったんだろ。」
伊織は視線を落とした。
コンクリート。
風。
遠くの声。
胸の奥が、少しだけ変な感じになる。
褒められるようなことじゃない。
ただ、生きてるだけなのに。
でも。
「……ありがと。」
その声は、思ったより小さかった。
亮哉は何も返さず、ただ煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
火が消える。
伊織はそれをぼんやり見つめてから、ふと口を開いた。
「宇野くん」
「ん?」
「今日はもう、煙草吸わないでね」
「なんで?」
「……私が死ぬより前に体壊されたら困る。」
亮哉が一瞬黙る。
それから、堪えきれないみたいに小さく笑った。
「相馬、それわりと重い口説き文句だよ。」
「え?」
「無自覚こわ。」
伊織は意味が分からない、という顔のまま首を傾げた。
その様子を見て、亮哉はまた笑う。
空はまだ白い。
けれど昨日より、少しだけ。
呼吸がしやすい昼だった。
屋上のドアを開けた瞬間、少し湿った風が頬を撫でた。
薄曇り。
空は白くぼやけていて、春とも冬ともつかない曖昧な色をしている。
フェンス際。
亮哉は、いつものように煙草を咥えていた。
片手は指先で煙草を挟み、もう片方の手で煙を払う。
その姿は、妙に屋上の風景に馴染んでいた。
「……いた。」
伊織がぽつりと呟く。
亮哉は振り返らないまま、煙を吐いた。
「そりゃいるでしょ。昼休みだし。」
「屋上、ほんと好きだね。」
「相馬も割とそうだろ」
短いやり取り。
伊織はそのまま亮哉の隣まで歩いていき、
フェンスに背中を預けた。
イヤホンは片耳だけ。
でも音楽は流していない。
風の音。
遠くのグラウンドの歓声。
体育教師の笛。
全部が、薄くて遠い。
亮哉は煙草を咥えたまま、ちらりと伊織を見る。
「今日、珍しくちゃんと授業受けてたじゃん。」
「宇野くんもね」
「いやいや、俺は優等生だから。」
「未成年喫煙者なのに?」
「そこだけ切り取らないでほしい。」
伊織は可笑しそうに小さく笑った。
その笑い声を聞きながら、亮哉は煙を空へ吐く。
白い煙は風に流されて、すぐ形を失った。
伊織はぼんやりとそれを目で追う。
「……煙ってさ」
「ん?」
「なんか、いいよね。」
亮哉が少し眉を上げる。
「昨日まで“体に悪い”って言ってたのに?」
「それは今も思ってる。」
「じゃあ何がいいの。」
伊織は空を見上げたまま答える。
「消えるの、早いじゃん」
風が吹く。
亮哉の指先に挟まれた煙草の火が、赤く揺れた。
伊織は続ける。
「ちゃんとそこにあったのに、すぐ消える。
形も残らないし。」
「相馬っぽい発想。」
「良い意味だといいな」
「良い意味だよ」
沈黙。
伊織はフェンス越しの空を見る。
白い。
どこまでも薄い色。
「……ねぇ、宇野くん。」
「ん。」
「煙草、今日何本目。」
「三本目くらい。」
「え......まだ昼休みなのに?」
「なんか相馬に引かれてる気がする。」
「ちょっと引いてる。」
亮哉は小さく笑った。
「でもやめないんでしょ。」
「まぁね」
「なんで?」
亮哉は煙草を口から外す。
少し考えるみたいに空を見る。
「癖」
「依存?」
「そこまで重くない。
……たぶん。」
伊織はじっと亮哉の横顔を見た。
無表情。
でも少しだけ疲れて見える。
昨日、眠れなかったのかな、とぼんやり思う。
「……ふーん。」
「なに。」
「昨日、ちゃんと寝れた?」
亮哉の動きが、一瞬だけ止まる。
煙草の先端から、灰が落ちた。
「……急にお母さんみたいなこと言うじゃん」
「なんとなく思っただけだよ」
亮哉は少しだけ目を細める。
「隈、出てる?」
「ちょっと。」
「マジか」
「私も人のこと言えないけど。」
伊織は空を見上げたまま、小さく息を吐く。
「二時くらいに、また死にたくなった。」
その言葉に、亮哉は何も言わなかった。
ただ、煙草を持つ指先に少しだけ力が入る。
伊織は続けた。
「窓、開けて。
落ちようかなって思った。」
風が吹く。
今度は少し強い。
「……でも。」
伊織は目を細める。
「宇野くんの後味が悪くなりそうだったからやめた。」
亮哉は思わず吹き出した。
「なにそれ。」
「だって、絶対引きずるじゃん。」
「まぁ三日くらいは。」
「だから短いってば」
「でも、たぶん忘れない。」
伊織は少しだけ黙る。
そのあと、ぽつりと呟いた。
「……そういうとこ。」
「なに。」
「ほんと嫌。」
亮哉は煙草を咥え直す。
でも、火はつけない。
代わりに、ゆっくり息を吐いた。
「相馬。」
「ん。」
「今日も生きててえらいな。」
伊織のまつげが、わずかに揺れる。
亮哉は何気ないトーンのまま続ける。
「昨日の夜、乗り切ったんだろ。」
伊織は視線を落とした。
コンクリート。
風。
遠くの声。
胸の奥が、少しだけ変な感じになる。
褒められるようなことじゃない。
ただ、生きてるだけなのに。
でも。
「……ありがと。」
その声は、思ったより小さかった。
亮哉は何も返さず、ただ煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
火が消える。
伊織はそれをぼんやり見つめてから、ふと口を開いた。
「宇野くん」
「ん?」
「今日はもう、煙草吸わないでね」
「なんで?」
「……私が死ぬより前に体壊されたら困る。」
亮哉が一瞬黙る。
それから、堪えきれないみたいに小さく笑った。
「相馬、それわりと重い口説き文句だよ。」
「え?」
「無自覚こわ。」
伊織は意味が分からない、という顔のまま首を傾げた。
その様子を見て、亮哉はまた笑う。
空はまだ白い。
けれど昨日より、少しだけ。
呼吸がしやすい昼だった。



