万華鏡は月を巻き戻す

短いやり取りを残して、私は病室を後にした。
扉が閉まると同時に、消毒液の匂いが濃くなる。
白い廊下は静かで、足音だけがやけに響いた。

そのとき——

「き、きみは…。」

不意に声をかけられ、心臓が跳ねた。
振り返ると、白衣の男が立っていた。
光の反射で表情は読み取りづらいが、どこか見覚えがある。

「えっと…こんにちは。」

言いながら、背筋に冷たいものが走る。
記憶の奥で、名前がゆっくり浮かび上がった。

黒木。
黒木雅信。

朔の部屋の模造紙に書かれていた、
“私を殺したかもしれない”容疑者の一人。

「あ、こんにちは。
知り合いに似てたもので驚いて。」

…知り合い。

その言葉が、胸の奥でざらりと引っかかった。

「いえ、どなたに似てるんですか?」

気づけば、聞き返していた。
聞くべきじゃないと頭ではわかっていたのに、
口が勝手に動いた。

「…亡くなった娘にね。」

一瞬、空気が止まった気がした。

「あ、すみません。
私、失礼なことを…。」

「いや、いいんだ。
もう昔のことだ。
君と同じぐらい17歳で亡くなってね。」

胸の奥がざわつく。
“17歳”という言葉が、妙に重かった。

「どうして…亡くなったんですか?」

自分でも驚くほど小さな声だった。

「交通事故だよ。
夏祭りの日だったかな。」

夏祭り——
その単語が、喉の奥でひっかかる。

「トラックが赤信号を無視してね。
居眠り運転だったって。」

「そ、そんな。」

黒木の表情は淡々としていた。
けれど、その目の奥には何か沈んだものがあった。

「すまないね。
こんな話聞かせてしまって。」

「いえ…。」

「では、失礼するよ。」

黒木は静かに去っていった。
白衣の背中が角を曲がって見えなくなるまで、
私はその場から動けなかった。

胸の奥で、何かがゆっくりと形を成し始めていた。
嫌な予感だけが、確かな輪郭を持って。