都合のいい女をやめた日、私は空へ戻る

鶴也が病室に入ってきたのを見て、時絵は咄嗟に携帯を隠した。

「……何でもない。ただの免許証の更新よ」

鶴也は眉をひそめた。「そうか?」

時絵は作り笑いを浮かべて言った。「へえ?いつから私のことに興味を持つようになったの?今さら気にかけるなんて、もしかして、私にまた飛んでほしくなった?」

鶴也は何も言えず、話題を逸らすように口を開いた。

「……体の具合はどうだ。まだ痛むところは?」

「綾子のおかげで、最悪よ」

彼女は花にアレルギーがあった。

今でも鼻がむずむずして、息がしづらい状態だった。

時絵は嘘をついていなかった。

鶴也はため息をついた。「……あの子は昔から甘やかして育ててしまった。少し横暴だが、悪気はないんだ」

その言葉に、時絵は吹き出すように笑った。「悪気がない?――じゃあ私が死んでも、『うっかりだった、彼女は無実だ』って言い張るつもりだった?」

──あの夜の綾子の様子からして、彼女が自分のアレルギーを知らないはずがない。

わざとやったに違いない。

彼女は私を殺そうとした!

鶴也は顔をしかめた。「……馬鹿なこと言うな」

「本当に『馬鹿なこと』ならよかったのにね、鶴也。……あなたを愛したこと、心から後悔してるわ」

「……もうやめろ」鶴也は声を荒げた。

──かつてなら、時絵が何を言おうが、自分は気にも留めなかったはず。

だが今日は違った。

彼の胸の内には、何とも言えない苛立ちと焦りが渦巻いていた。

「すでに彼女に反省させている。それ以上何を求めているんだ?」

それを聞いて、時絵は激怒した。

──命の危険にさらされたのに、綾子への罰はただの反省だけ?

彼は私を何だと思っているの?

「謝罪させなさい」

彼女の言葉が終わるや否や、鶴也は首を横に振った。「無理だ。俺は綾子に約束したんだ。……あの子を傷つけたり、屈辱を与えたりしないって」

時絵の瞳が冷えきった。「でも、今回は明らかに彼女が悪い。謝るのは最低限の礼儀でしょう?」

「……綾子は面子を気にする子だ。謝罪なんてしたら、きっと気を悪くする」

──だからって、その「気を悪くする」ってだけで、私は階段から突き落とされて、手を踏み潰されて、死にかけてもいいっていうの?

何を――どこまで――彼女のわがままに付き合えば気が済むの?

時絵はじっと鶴也を見つめ、静かに言った。「もし私がどうしても、と言ったら?」

鶴也の表情は冷たくなった。「いい加減にしろ。わがままにも程がある」

──説明したのは、彼女との間に溝を作りたくなかったからだ。

だが彼女は収まるどころか、ますます辛辣に言い返してくる。

今までの彼女は、常に優しく従順だった。

今日のように執拗に迫る姿は見たことがない。

鶴也の言葉は最後通告のようだった。

時絵にはただ荒唐無稽に思えた。

彼女は冷たい表情で病室のドアを指さした。「――出て行って」

「何を怒っているんだ、無茶を言うな」

「出て行って!!!」

時絵は枕を掴み、力いっぱい鶴也に投げつけた。

鶴也は立ち上がった。「……ちゃんと休め。……また来る」

ドアが閉まる音とともに、時絵は疲れ果ててベッドに倒れ込んだ。

──五年間愛し続けたことが、笑い話どころか、今や命まで危うくする結果になった。

彼女は腕で顔を覆い、声を押し殺して泣いた。