都合のいい女をやめた日、私は空へ戻る

目が覚めると、時絵は自室のベッドに横たわっていた。

頭は割れるように痛み、全身の骨がバラバラになったかのようにぐったりしていた。

そこへ薬を持った家政婦が駆けつけてきた。「小林さん、大丈夫ですか?」

時絵はゆっくり首を振り、かすれた声で尋ねた。「……私、どうやって戻ってきたの?」

──記憶は、あのバルコニーから飛び降りたところで止まっている。

確かに地面に叩きつけられて、意識が薄れるなか、鶴也の姿を見た……はずだった。

まさか、彼が助けてくれたのだろうか?

「運転手さんが、道路で倒れていた小林さんを見つけて、連れ帰ってくれましたよ」

家政婦は答えた。

時絵の頭が一瞬真っ白になった。

──鶴也じゃなかった?

見間違えたの……?

そうよね。

今ごろ、彼は綾子のそばにいるはず。

そう思った矢先、彼女の携帯がけたたましく震え始めた。

画面を開くと、友人からのメッセージが届いていた。

[時絵、今大丈夫!?早く私の投稿見て!昨日のこと、私が代わりにぶちまけてやったわ!]

投稿を開くと、そこには昨日の出来事を詳細に綴った長文が――

綾子の非常識な言動や、鶴也との関係にまで踏み込んだ、かなり踏み込んだ内容だった。

その友人は海城でも名の知れた情報通で、上流階級の人間とも数多く繋がりがある。

投稿は瞬く間に拡散され、噂好きな上流階級の若者たちがこぞってコメントを残し始めた。

「この綾子、正気か?時絵は彼女の叔母さんだろ?止めろよ……」

「そもそも斉藤鶴也が彼女を甘やかしすぎたんだって。あの距離感、おかしいよな?」

「さすが斉藤様、遊び方が違うね~」

……

コメントは次々に増えていった。

時絵がまだ全てを読み終える前――

バンッ!!

部屋のドアが激しく蹴り開けられた。

鶴也が怒りに燃えた顔で乗り込んできた。

そして何も言わず、彼女の顔に携帯を投げつけた。

鋭利な角が目元をかすめ、あと少しで直撃するところだった。

「……なんで、こんなことした!」

──疑問形ではなく、完全な断定だった。

最初の一言が、「怪我は大丈夫か」ではない。

「何か食べたか」「まだ痛むか」でもない。

綾子に何かあったから――すぐに飛んできたのだ。

何年も尽くしてきて、何もかも捧げて、命をかけて彼を支えてきたのに――

「……私じゃない」

時絵は、まっすぐ彼の目を見据えながら、そう答えた。

だが鶴也の目には、微塵の信頼もなかった。「お前じゃない?じゃあ誰だって言うんだ?お前のやり口くらい俺はよく知ってる。何か文句があるなら俺に言え。どうして綾子を巻き込む?」

──やり口?

時絵は思わず眉をひそめた。

どの「やり口」のことを言っているの?

彼を誘惑しようとしたこと?

彼のために無理して酒を飲んで、病院送りになったこと?

それとも、昨夜――あの地獄のような宴席で、自分の身を守るためにバルコニーから飛び降りたこと?

それでも、彼は自分を「やり口」で決めつけるのか。

時絵は拳をぎゅっと握りしめ、かすかに鼻で笑った。「どうしたの?もしかして、あの投稿の内容が図星で……後ろめたくなった?」

パァンッ!!

言葉が終わらないうちに、鶴也は容赦なく平手打ちを浴びせた。

力いっぱいの一撃で、真っ赤な掌跡が彼女の白い肌に浮かび上がり、痛烈な皮肉のように見えた。

傍らで見ていた家政婦までが我慢できなくなった。「旦那様、小林さんは目覚めたばかりで、本当に何も知らないのです」

鶴也は彼女を一瞥した。「この家で、お前を信じられると思うのか?出ていけ!」

「やめて!」

──この家政婦は母さんから譲り受けた、この街で数少ない家族同然の存在だ。

鶴也がどうして彼女にまで手を出せるのか?

時絵は唇を噛みしめ、充血した目で問いかけた。「綾子が私に何をしたか、見て見ぬふり。それなのに、ただ事実を伝えただけの投稿には、ここまで怒るのね。……私って、あなたの中で、そんなにどうでもいい存在だったの?」

その問いに、鶴也の心臓が一瞬きゅっと縮んだ。

──彼女の目に浮かぶ悔しさと悲しみが、不思議と胸に刺さる――

だが、次の瞬間には、すぐその感情を打ち消した。

「くだらない妄想はやめろ。投稿を消せ。今回は大目に見てやる」

──大目に見る?

なんて「寛大」な言い方。

時絵は呆れて笑いが漏れた。

──こっちはまだ手が包帯に包まれたままだというのに。

昨夜あのまま飛び降りなければ、きっと今頃は……

彼の心は、いったい何でできているの?

「……もし拒否したら?」

鶴也の表情が急に冷え切った。「なら――容赦はしない」