再び目を覚ましたとき、時絵は病室にいた。
傍らには、ずっと彼女の側を離れなかった和真の姿があった。
目を開けた瞬間、彼は強く彼女を抱きしめた。
「やっと目を覚ました……どれだけ怖かったか、分かる?時絵……本当に、怖かったんだ……」
肩に感じる湿り気が、彼の心配が嘘ではないことを伝えていた。
時絵は喉を潤し、かすれた声で問いかけた。「……鶴也は?」
和真は彼女をそっと離し、淡々と答えた。「植物状態になった。全身に重度の火傷……命は助かったけど……会いに行きたい?」
「……行っておきましょう。命を助けてくれたから」
集中治療室の前に立ち、時絵はガラス越しに、ベッドに横たわる鶴也を見た。
あの大火災で綾子は遺体も残らなかったというのに、彼だけが焼け爛れた体で生き延びたことを、人々は「奇跡」と呼んだ。
だが時絵にはわかっていた。
──あれは……生き地獄。
綾子のあの呪いのような言葉が、今、現実となった。
「時絵」
ふいに呼びかける声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは——鶴也の両親だった。
「彼は……あなたに借りがある。でも今はそれを返したんじゃないか。もしよかったら、中に入って、話しかけてあげてくれない?医者の話だとね、もし彼が大切にしていた人がそばにいれば……反応があるかもって……」
鶴也の母親は涙を滲ませながら、懇願するような声で語った。
時絵は黙ったまま、静かに視線を戻した。
──確かに命を救ってくれた。
でも——あの地獄を招いたのも彼。
自分は何一つ負い目などない。
会う必要はない。
時絵はゆっくりと首を振った。
「どうして……?命がけであなたを助けたのに、それでも心が動かないというのか。あなたは忘れたのか……」
「おばさん、鶴也が私にしたこと、あなたはよく知っているでしょ。今の私があるのは、あの時を抜け出したから。彼がその代償を払っているだけ。かつての私と何も変わらない。だったら、なんでまた関わり合いにならなきゃいけないの?
あの人から離れたのは、二度と会わないためだったのよ。もし目を覚ますことがあったら、伝えておいて。命で償ったんだから、許したって。私だって恩知らずじゃないんだから」
無表情のままそう言って、時絵は背を向けて歩き出した。
数歩進んだところで、彼女はふと立ち止まり、振り返った。
「……そうそう。私、結婚するの。できれば、彼をH市から連れて行ってほしいわ。これからの人生で、彼の姿を二度と見たくないから」
──結婚なんて、もちろん嘘。
だが、「もう会いたくない」は本音だった。
彼が命をかけて償った。
これで、すべてが終わった。
彼への愛も、憎しみも。
それでいい。
病院を出ると、入り口には黒いベントレーが停まっていた。
その横に、和真が静かに立っていた。
「……時絵」
彼の声はわずかに震えていた。
時絵は肩をすくめると、あっさり言った。「心が揺れるとか、よりを戻すとか……って思ったの?」
「……うん」
どこか不機嫌そうな返事だった。
時絵は、ふっと笑った。「心配しないで。私、そんなにバカじゃないから。植物人間と、イケメンの間で、どっちを選ぶかなんて——一目瞭然じゃない?」
そう言って、時絵は彼の頭をぽんぽんと撫でた。
和真の表情が一気に明るくなった。
「……それなら、よかった」
「じゃあ、行きましょうか」
和真は一瞬きょとんとした。「え? どこへ?」
「婚姻届を出しに。今の時間なら、役所の受付時間だわ」
「行こう!」
(完)
傍らには、ずっと彼女の側を離れなかった和真の姿があった。
目を開けた瞬間、彼は強く彼女を抱きしめた。
「やっと目を覚ました……どれだけ怖かったか、分かる?時絵……本当に、怖かったんだ……」
肩に感じる湿り気が、彼の心配が嘘ではないことを伝えていた。
時絵は喉を潤し、かすれた声で問いかけた。「……鶴也は?」
和真は彼女をそっと離し、淡々と答えた。「植物状態になった。全身に重度の火傷……命は助かったけど……会いに行きたい?」
「……行っておきましょう。命を助けてくれたから」
集中治療室の前に立ち、時絵はガラス越しに、ベッドに横たわる鶴也を見た。
あの大火災で綾子は遺体も残らなかったというのに、彼だけが焼け爛れた体で生き延びたことを、人々は「奇跡」と呼んだ。
だが時絵にはわかっていた。
──あれは……生き地獄。
綾子のあの呪いのような言葉が、今、現実となった。
「時絵」
ふいに呼びかける声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは——鶴也の両親だった。
「彼は……あなたに借りがある。でも今はそれを返したんじゃないか。もしよかったら、中に入って、話しかけてあげてくれない?医者の話だとね、もし彼が大切にしていた人がそばにいれば……反応があるかもって……」
鶴也の母親は涙を滲ませながら、懇願するような声で語った。
時絵は黙ったまま、静かに視線を戻した。
──確かに命を救ってくれた。
でも——あの地獄を招いたのも彼。
自分は何一つ負い目などない。
会う必要はない。
時絵はゆっくりと首を振った。
「どうして……?命がけであなたを助けたのに、それでも心が動かないというのか。あなたは忘れたのか……」
「おばさん、鶴也が私にしたこと、あなたはよく知っているでしょ。今の私があるのは、あの時を抜け出したから。彼がその代償を払っているだけ。かつての私と何も変わらない。だったら、なんでまた関わり合いにならなきゃいけないの?
あの人から離れたのは、二度と会わないためだったのよ。もし目を覚ますことがあったら、伝えておいて。命で償ったんだから、許したって。私だって恩知らずじゃないんだから」
無表情のままそう言って、時絵は背を向けて歩き出した。
数歩進んだところで、彼女はふと立ち止まり、振り返った。
「……そうそう。私、結婚するの。できれば、彼をH市から連れて行ってほしいわ。これからの人生で、彼の姿を二度と見たくないから」
──結婚なんて、もちろん嘘。
だが、「もう会いたくない」は本音だった。
彼が命をかけて償った。
これで、すべてが終わった。
彼への愛も、憎しみも。
それでいい。
病院を出ると、入り口には黒いベントレーが停まっていた。
その横に、和真が静かに立っていた。
「……時絵」
彼の声はわずかに震えていた。
時絵は肩をすくめると、あっさり言った。「心が揺れるとか、よりを戻すとか……って思ったの?」
「……うん」
どこか不機嫌そうな返事だった。
時絵は、ふっと笑った。「心配しないで。私、そんなにバカじゃないから。植物人間と、イケメンの間で、どっちを選ぶかなんて——一目瞭然じゃない?」
そう言って、時絵は彼の頭をぽんぽんと撫でた。
和真の表情が一気に明るくなった。
「……それなら、よかった」
「じゃあ、行きましょうか」
和真は一瞬きょとんとした。「え? どこへ?」
「婚姻届を出しに。今の時間なら、役所の受付時間だわ」
「行こう!」
(完)
