都合のいい女をやめた日、私は空へ戻る

ここ数日、時絵は二度と鶴也の姿を目にすることはなかった。

海浜市に戻ったのか、それともどこかで機会を伺っているのか――もはやどうでもいいことだった。

この間、時絵と和真の関係は急速に深まっていった。

優しく、細やかな和真の気遣いによって——

彼女は、かつて鶴也のそばでは一度も味わったことのない、恋人としての幸せを初めて知ったのだった。

出かければ車で送り迎えしてくれ、お腹が空けば口元に料理が運ばれ、贈り物は途切れず、花は毎日届けられる——まるで夢のような日々だった。

「時絵、まさか……もう付き合ってるの?」

冗談めかした同僚の問いに、和真は手にした花束を少し強く握りしめながら、期待に満ちた視線で時絵を見つめた。

「……まだ付き合ってないわ」

それを聞いて、和真は目を伏せた。

「でも、もうすぐかもね。イベントが終わったら、考えてみようと思ってる」

時絵の言葉に、和真の瞳が再び輝きだした。

ここ数日、時絵は展示飛行イベントの準備で忙しかった。

基地に来て半年、その努力の成果を披露する日だ。

彼女だけでなく、基地全体もこのイベントを重視していた。

イベント当日、時絵は万全の準備を整えた。

いざステージに上がろうとした瞬間、後頭部に激しい衝撃が走った。

気がつくと、彼女は廃工場の中にいた。

その目の前には、マスクをつけて車椅子に座る女がいた。

「久しぶりね、時絵」

時絵はすぐにその正体を分かった。

──綾子。

「……何をするつもり?」

時絵は視線を泳がせながら周囲を確認した。

暗がりの中、二人きりだった。

「何をするつもり? 時絵……どうして私だけがこんな目に遭わなければいけないの?私が地獄を味わっているのに、あんただけが幸せに暮らせるなんて!」

綾子の目は狂気に染まり、声は叫びに変わっていた。

──あの日の骨町の悪夢。

時絵がスクリーンで輝いていたあの瞬間。

どうして自分だけが顔を潰され、足を奪われたのか。

時絵はあんなに幸せそうにしているのに!

「綾子、私はもともと幸せだったわ。鶴也から離れたら、もっと幸せになった。彼はあんたが一番好きなんじゃなかったの?どうしてこんな姿にしたの?」

今の綾子は、かつての高飛車なお嬢様とは別人のようだった。

時絵の嘲るような口調に、綾子は顔を真っ赤にして怒り狂った。

彼女はマスクを外した。

そこには、見るも無残に崩れた顔があった。

「一番好き?あんな男、ただのクズよ!!あんたさえいなければ、私はこんなふうになんてならなかった!だからあんたは死ぬべきなのよ!私と同じ苦しみを味わいなさい!」

その瞬間、綾子は手に持った鋭利なナイフを振り上げ、狂気のまま、時絵に向かって突き進んできた。

刃先が鈍く光を反射しながら揺れるのを見て、時絵は息を呑んだ。

──本気だ……この女、完全に壊れてる……!

時絵の心臓は激しく脈打ち、呼吸が止まりそうになった。

「待って……本当に復讐したいなら、鶴也にするべきよ!あんたを壊したのは、あいつでしょう? 私じゃない!」

その言葉に、綾子は一瞬動きを止めた。

だがすぐに、ヒステリックな笑い声が工場内に響き渡った。

「もちろん彼も許さない!彼はあんたを愛してるんでしょ?じゃあ、あんたを壊して、その姿を彼に見せてあげるわ。地獄を味わわせてやるのよ!」

そう言うと、綾子はナイフを高く振り上げ、時絵の左目に向かって——

鋭く、勢いよく振り下ろした。

時絵は、無意識に目を閉じた。

だが──

いつまで経っても、刃が皮膚を裂く感覚はやってこなかった。

代わりに、耳をつんざくような悲鳴が響いた。

目を開けると、目の前には息を切らした鶴也の姿があった。

彼は綾子を蹴り飛ばし、時絵に駆け寄った。

「大丈夫か!?」

その表情は蒼白で、声も震えていた。

──あと一歩、遅れていたら。

彼女の未来は終わっていたかもしれない。

時絵は恐怖で震え、言葉を失った。

鶴也は彼女を抱きかかえ、その場を離れようとした。

その時──

地面に蹴倒されていた綾子が、必死に彼の足を掴んで叫んだ。

「……私だけが地獄を見るなんて、許せるわけないでしょ!」

彼女の手には、すでにライターが握られていた。

時絵は目を見開いた。

──まずい!

工場内はガソリンの缶だらけ。

綾子は最初から計画していたんだ!

「爆破するつもりだわ!私たちごと!」

時絵の叫びが響いたと同時に、カチッという音が鳴り、火花が落ちた。

綾子はすでにライターに火をつけ、傍らのガソリン缶へ投げ込んでいた。

次の瞬間、鶴也は彼女を工場の外に向けて全力で突き飛ばした。

轟音とともに、工場は一気に火の海に包まれた。

赤々と燃える炎が、夜空を焦がしていった。

時絵の顔から血の気が引いていた。

背後から警笛と消防車のサイレン、そして和真の焦った呼び声が聞こえた。

「時絵──!」

その声を最後に、時絵の意識は、静かに闇に沈んだ——