都合のいい女をやめた日、私は空へ戻る

気がつけば、時絵はすでに和真の向かいに腰を下ろしていた。

ここは、H市でも最も賑やかで華やかなエリアにある、有名なテーマ火鍋レストラン。

彼女がかねてから訪れたかった、なかなか時間が取れずに来られなかった店だった。

「なんで……私がこの店に来たがってたの、知ってたの?」

彼女は素直に驚きの声をあげた。

胸の奥で渦巻いていた複雑な思いは、美味しそうな香りと共にふわりと消えた。

和真は頬杖をつき、深い瞳で彼女を見つめていた。

その目は何かを満たしたようでもあり、どこか優しく包み込むようでもあった。

「だって――君の気持ちは、全部顔に出るからね」

そのあとの言葉は、時絵の耳には入ってこなかった。

彼女は目の前の料理に夢中になり、ひと口またひと口と頬張っていった。

食事が終わると、和真は時絵を車で基地まで送ることにした。

しかし、海風に吹かれながら車窓を眺めていた時絵は、ふと気づいた。

──この道、基地と違う方向だ。

「宮崎先生、どこへ行くの?」

「今日は、海辺で飛行ショーがあるんだ。君が一番好きなあのパイロットが出る。でも今回は安心していい。すべての機体、手順、俺の手で確認させたから」

前半の言葉に時絵の瞳が輝いた。

そして後半の言葉が、彼女の胸に深い安心を届けた。

──まさか、そこまで考えてくれていたなんて。

二人が海辺に到着すると、すでに観客席は満員だった。

和真は彼女の手を引いて、中心の特等席へと連れて行った。

夜空に鮮やかな花火が打ち上げられ、海の水平線を背景に、何機もの飛行機が隊列を組んで彼女の目の前を飛び抜けていった。

その瞬間──

時絵の目は、きらきらと輝いていた。

ショーが終わっても、彼女はまだ余韻に浸っていた。

目を輝かせながら、興奮気味にその感動を語り続けた。

その隣で、和真は静かに彼女の話に耳を傾け、ときおり優しく微笑んでいた。

「……あっ、私、ちょっと話しすぎたか」

時絵は少し恥ずかしそうに耳たぶを触った。

和真はゆっくり首を振った。

「いいえ。むしろ今日のショーをどれだけ楽しんでくれたか、よく伝わってきた。俺の準備も、意味があったってことだね」

──鶴也とは違う。

昔、自分は何度も鶴也にこうして喜びを分かち合おうとしたが、いつも冷たい反応ばかりだった。

だが、今隣にいる彼は、静かに耳を傾け、自分の感情を包み込んでくれる。

時絵の頬が、自然と赤く染まった。

「ありがとう」

「時絵、君が幸せなら、俺はなんだってするよ」

和真のまっすぐな視線と率直な言葉に、時絵は少し後ずさりした。

鶴也への片思いからようやく抜け出したばかりの彼女は、再び深みに嵌ることを恐れていたのだ。

「大丈夫。俺は、ただ気持ちを伝えたかっただけだから。選ぶのは君だよ。時絵――君は本当に素敵な人だ。誰よりも幸せになる資格がある」

──そうかも。

鶴也に出会う前の自分は、もっと自信に満ちていた。

夢と希望を胸に抱き、輝く未来を信じていた。

今の自分は、あの頃よりもずっと強い。

訓練基地で最も優秀なパイロットとして、空を駆け抜ける自分がいる。

和真の言葉が、胸の靄を晴らしてくれた。

彼の気持ちを受け入れる決意まではしていないが、少なくとも──

彼の好意にもう背を向けないと決めた。

……

ある日、映画館の帰り道。

時絵は上着を忘れたことに気づいた。

和真が取りに戻る間、彼女は外で待っていた。

そのときだった。

不意に、背後から誰かが声をかけた。

「……時絵?」

その声に、時絵はゆっくりと顔を上げた。

彼の姿を目にした瞬間、彼女の全身が凍りついた。

そこに立っていたのは——鶴也だった。

彼女が恐怖に固まる中、鶴也の胸は高鳴り、張り裂けそうになっていた。

H市に来てからの二ヶ月間、彼は毎日時絵を探していた。

時絵の母親は具体的な基地の場所を教えてくれず、あらゆる手段を尽くしても見つからなかった。

彼は寝ることすら恐れ、ただ時絵の情報を追い続けた。

時絵が破ったあの一枚の写真だけを支えに、日々を過ごしていた。

──だが、もう二度と会えないと思っていた矢先に、まさかこんな場所で見つけられるとは!

鶴也は我を忘れて彼女に駆け寄った。

「時絵、やっと見つけた!」

しかし彼が近づくと、時絵は恐怖で数歩後退した。

「どうしてここにいるの!」