家庭教師ひかるの甘い個人レッスン

 和夫はひかる先生に導かれるように、心が開けていった。
 それはこれまでが曲がりくねった山道を登るようであった。
 
 しかしひかる先生の導きで直進する道を歩むことになった。
 和夫はこれまでに取り組んだ課題で、うつつを抜かしていた箇所や迂闊に考えていた問題を再度やり直していた。

 和夫「なんでこんな問題間違えていたんだろう」
 ひかる「心の構造が大きいわね」
 
 「悩みや沈んだ心は、自分でも理解できないことを考えたりするものよ」
 「こういう課題は、あなたのこころの作用によることが大きいのよ」

 和夫「いつの間にか心が晴れるようになったという感覚がするんだ」
 
 ひかる「それは誰でも経験することね」
 「何度考えても間違えるのだけれど、ある時から天気が晴れるようにわかる時がやって来るの」

 和夫「先生、初めてあったときにあんな態度をとって悔やんで…」
 ひかる「気にしなくていいわよ」
 
 ひかる「私がいた予備校ではたくさんいたわ」

 和夫の目は少し涙で潤んでいた。
 どうやら和夫はひかる先生に少し馴染んできたようである。

 和夫の目線は常に彼女に向けることが多くなっていた。
 ちらっと横目で気にしたり、仕草によって視線が変わっていくのであった。
 
 ひかる先生の挙動に和夫のこころが気づかない間に動いているのであった。

 以前とは真逆の位置に心の関係があるのであった。
 和夫は真顔でひかる先生に訊いていた。

 和夫「この前の課題の限界消費性向についてですが…」

 ひかる先生はそれに対して笑顔で答えていた。

 ひかる「この限界消費性向というのはxの2乗の関数で表せるの」
 ひかる「つまりこの関数の1次微分を導けばその時の消費性向がわかる公式が得られるの」
 
 ひかる「この原関数は時間の経過に対して逓減するグラフになっているから」
 ひかる「その1次微分関数は時間が後になるほど切片が緩やかになる」

 ひかる「そしてこの時間の1次関数の傾きに従って、消費の効果が減少していくのね」

 和夫「つまり、xの2乗の関数には複数の情報が含まれていて、公式を微分処理したりすると、
 違う情報のグラフが得られると言うことですよね」

 ひかる「そのとおりよ」

 和夫「もっと質問していいですか?」
 ひかる「これからはなんでもと言うわけにはいかないわ」

 ひかる「あなたは少し大人になったんだもの」
 ひかる「対等な関係として答えていくつもりよ」

 ひかる「誰でも先生になりうるものだから」

 和夫の真剣な横顔に少し気を取られる気がしていたひかるであった。
 教えることに少し戸惑いを隠せないひかるは、少し考え事をしていた。

 ひかる「海外の大学ではどんな様子だったのかしら」
 和夫が自分より優れていることには違いないことを悟っていたひかるは、

 彼が自分についてきていることを自覚し始めていた。

 ひかるの心の中で呟いた。
 「彼はほぼ私と対等だわ。」

 「少し距離をおくべきかもしれないわ」
 「彼は私に認められたいのかしら?」

 ひかるは少し座席を横にずらした。
 少し、ひかるは胸がざわつく気配がしていた。

 理由はわからないがなんともいえない虚しさがひかるを襲っていた。

 少しずつ感情が異なる種類に変わっていくようであった。
 それは前とは違う種類の違和感であった。

 その後もひかると和夫の授業は続いていた。

 和夫「さっきの限界消費性向についての続きなんですけど」
 「このほかにも同じような理論がたくさんあるの」

 ひかる「そうだわよ」
 「覚えるのにはたくさんあるわ」

 ひかると和夫が座っているのはキャスター付きの事務用椅子なので、それほど長い時間
 学習するのには疲れないのであった。

 大学などで並ぶよりかなり親近感のある距離である。
 互いの呼吸が交錯するほど近い距離である。

 椅子の座り心地がよいので学習に集中できるのだが、それだけ学習効果が上がって二人に
 とっては仲が良くなっていた。

 和夫は近すぎて、視線がノート以外のひかるだけに向かってしまう衝動を感じ始めていた。
 でもそうする前に戸惑うのは、ほかに目のやりどころがないからであった。

 それがごく自然な成り行きのようである。

 ひかるのシャンプーの香りが何気ないおしゃれさを感じさせていた。
 しかし、彼女は気づいていない素振りである。

 ノートを覗くひかるの横顔が妙に魅力的に思えてきた。

 ひかる「ちょっと先生ドキドキしてきちゃった...」
 和夫「ひかる先生、はい」

 和夫はコップに冷水を注いで、ひかるに差し出した
 ひかるはコップの冷水で喉を潤した。

 ひかる「コップの水は美味しいわ」

 それでもひかるの鼓動の高鳴りは収まらないようであった。
 少し腹式呼吸から胸式の呼吸が強くなり始めていた。

 少しずつ呼吸が速くなり浅くやや回数は多くなっていた。

 ひかる「さっきのまとめをすると…」
 ひかる「時間と日数の経過につれて、商品の効果は薄れていくのだけれど...」

 ひかる「その効果の逓減の仕方が初期のほうでは急に効果がなくなるの…」
 ひかる「でもそれはあとの方では逓減の仕方が緩くなっていく…」

 ひかる「よくわかるでしょ」
 和夫「な、なんとなくわかります」

 ひかるの静かな息が和夫に触れるほど二入は親密なように思える。

 約束の時間になったのでひかるは自宅へ帰る支度をしていた。
 和夫もレッスンが終わったあと、別の部屋で休憩することになっていた。

 ひかる「今日の授業はここまで」
 ひかる「先生もう帰るわよ…」

 ひかるは椅子から立ち上がり支度を始めた。
 参考書や資料をカバンにしまい、コートを着用した。

 でも、和夫は引き止めたのだった。

 和夫「先生、逃げてるの?」
 ひかる「そんなことないわ」

 ひかる「私はあなたのためにいるの」

 ひかるは、わずかに後ずさっていた。
 ひかるの有名講師としての誇りや自尊心は彼女のエリート講師としての実績を物語っていた。

 常に誰にも公平な崇高な教師としての役目が彼女の感情をセーブさせた。
 教員としての自尊心がひかるの感情をコントロールしていた。

 でも、何かのどうすることもできない感情との狭間でひかるは少し困惑しているのであった。

 ひかる「この感覚はいったいなんなのかしら」

 始めて遭遇する感覚にそれ以上の言葉は見つからないのであった。

 ひかるは暗黙のうちにその意図を感じとったのか、ひかると和夫はそのまま
 授業を続けたのだった。

 二人だけで残っての個人授業は、夜が更けても続いていた
 窓からは月明かりが見えて二人だけの時間を静かに演出していた

 ひかると和夫のムードは静かな夜の中での聖夜を思わせる気配である

 二人の恋の限界消費性向は、ひかると和夫の恋愛曲線に従って、恋の事情に比例して
 増しているようである

 デスクに飾られた白い百合の花が、ひかるのこころを読み取っているかのようだ
 百合の白い花弁にそっと寄り添う言葉は、告白としてふさわしい祝詞(のりと)のようです

 ひかるは、その白い百合の花の如く言葉を受け入れるかのようです
 和夫はその百合の花びらに対し、静かに「好きだ」と言葉を捧げました

 しかし白いバラは花弁を黙(つぐみ)ました。

 その瞬間百合は少し笑みを浮かべたかのようです
 ひかるの心は動揺しています

 白い百合の花弁のなかのめしべが少し開き始めていて、
 その花弁はめしべを中に包んだまま、揺れるひかるの思いを代弁しているかのようです

 ひかる「私を馬鹿にしないで」
 ひかる「立派な女性として恥ずかしいわ、そんなの」

 ひかる「世代ギャップであなたには面白みが感じられないの」
 ひかる「私ならもっと大人の方がいいわ」

 彼女はこれまで努力し、道を選んで、自分で切り開いてきた
 しかし愛されると言うことは、選ばれ、独占され、そして「欲しい」と言われる

 それは自分の価値を他人に委ねること

 彼女はそれを無意識のなかで拒んでいた

 だから白い百合はもっと熟した時にこそ綺麗に見えるものです
 それゆえに、少し早咲きの花は甲斐なく散ってしまうようです

 和夫「わ、わかった」
 和夫「すまないことをした」

 和夫「ちょっと焦っていて」

 和夫は手を握りかけて止めていた
 唇を噛み締め少し悔やむ

 目には焦りの様子が見て取れた
 和夫「捨てられたくない」

 父には認められなかったけれど
 ひかるは自分を認めてくれた初めての人だったから

 彼女を失うのが怖かった
 和夫「先生がいい」

 ひかる「和…」

 言いかけたことばを途中で失っていた
 ひかるも認められなかった過去を隠して

 心の奥では、初めて認めた彼を庇(かば)っているのでした
 でも無意識のひかるは和夫を拒んでいました

 待てずに百合の花に口づけをするおしべはいつも愛おしいものです
 ひかる「わたしに興味があるの?」

 ペアの白い百合はしばし、沈黙の時を迎えていました

 大人の女性に憧れを抱くわかばはまだ青く芽が出始めています
 そんな若葉を優しく包む、大人の百合はいつだって咲き誇る美しさを彼らに開いて見せているのです

 和夫「ひ…」
 ひかるの名前を言いかけた

 ひかる「この話は終わり」
 彼に背を向ける

 和夫は欧州の名門校に通っていたのだった。
 欧州は気候が穏やかで和夫にとってはかなり過ごしやすい環境でした。

 ひかる「あなたの通っていた大学からメールがきたわ」
 ひかる「再入学のためのレポート課題の提出が必要よ」

 和夫はひかるの説明を聞いている間、頷きながら過去を想い出していた。
 ひかる「前回の途中帰国理由の再審査も含まれるの」

 ひかる「期限は3週間だけ」
 和夫「・・・」

 和夫「わかった」
 和夫の目は真面目なまなざしでひかるを見ていた

 ひかる「今夏のレポートは復学審査そのものよ」
 ひかる「私は1文字も直さないから」

 さっそく和夫はデスクに向かってレポートを書き上げた
 ひかるの待つロビーからは書斎のドアの隙間から中の灯りが漏れていた

 時刻は午前2時
 「ポッポ….、ポッポ...」

 鳩時計が2回なっていた
 ひかる「私が助けてあげれば、レポートは完璧になるわ」

 助けたいと思うひかるであるが、それは案外思い通りにはできないのでした。
 ひかる「それは、彼の実力ではなくなるから」

 ひかるは赤ペンを手に取りかけて、机に戻した。
 和夫はシャツの袖を捲(まく)った腕をあげて、伸びの姿勢をした。

 すでに飲んだコーヒー缶の数は3本に上った。
 タイトル「これからの我が国の労働政策での個性の尊重とその展望」

 「我が国では高度経済成長期から国内需要が右肩上がりに増えていた。
 それは昭和世代の総労働率がかなりのパーセンテージを示していることと相関している。

 それは大学進学率とも関わって相乗効果をあげて国内総生産を上昇させていた当時のGDP成長率は伸び盛りであった。
 しかし、オフィスオートメーションの普及によって別の問題も提起されてきた。

 孤独感や事務労働者の人格形骸化は事務機器に人が使われるかのような錯覚が労働者の精神的な疲労を高めている問題があった。
 短期的で集中的な能率の向上の目的で労働者の個性を否定する風潮が過分に広がっていることは当時の社会問題であった。それは私の主張することとは真逆の思想である。

 私の主張するブランド戦略は、過去の短期的戦略よりもっとスパンの長い、長期的ブランディングに基づいた展開をすべきとするのが私の主張です。

 これからの新潮流は、誰も個性を埋没せず、活き活きとそれぞれの考えや個性を尊重した新しい形態の環境を形作ることが、新時代の経済成長をするにあたって必要な要素だと信じています。短期的ではなく長期的視野に基づいた成長こそが確実な国内総生産の上昇につながるものと思われます。個性を没したのではそれ以上の生産性は望めず、個性を尊重する方が労働生産性を高めることに資するとみるべきでしょう………………以下つづく」

 ひかるは和夫の書いたレポートにじっくり目を通していた。
 ひかる「ふんふん、うーん」

 ひかる「もっと経済原理を流し込むといいレポートになるわね」
 ひかる「これはなんというかマクロ的な視点だけどもっとミクロ学的な要素があると説得力があるわ」

 ひかるのページをめくる手が止まった。
 ひかる「ここ」

 「OECDの役割の項目」
 「ここ見て」
 「説明不足だわ」

 「”OECDへの加盟が我が国にどのように良い影響を与えてきたか”については もっと具体的な根拠を示して詳細に説明すべき箇所ね」

 「昭和時代の短期的成績主義への批判」から
 ひかるは和夫が父から精神的に自立していることに気づいた

 ひかる「これは成長した印ね。誰でもなく彼の意思で自立しているわ」
 3週間後……

 和夫の通っていた大学からメールがきた
 メールの表題は「貴者の復学を許可する」

 ひかる「おめでとう!合格よ!」
 和夫の父も同席して、メールに目を通していた

 終始無言の父としての社長だった
 社長は目を細めて

 社長「……そうか」
 「受かったか...」

 社長「こんなレポートを倅(せがれ)が書けるなんて」
 「……大したものだな」

 その瞬間、ひかるの胸が熱くなった
 これは彼女の手柄でなく彼の実力だった

 ひかるが教えたのは基礎だけで
 彼は自然とわかっていた

 ひかるの心の声
 ひかる「この子は逃げていない」

 ひかる「今でも必死に論理で戦っている」
 ひかるは教師として、誇らしかった

 そして、女性としても
 ひかるは和夫に微(かす)かな女としての感情を抱いた

 それは教師としてなのか、一人の女性としてなのか…

 大学の再入学レポートの結果がわかってから、社長は何もなかったかの
 ように書斎をでた。

 部屋のドアは重々しく「バタン」と閉じた。
 後にはひかると和夫が少し無言のまま佇んでいた。

 時計の秒針が時を刻む音が聞こえるほど静かである。
 部屋の「シーン」とした静寂は二人だけの研ぎ澄まされた静かさに包まれていた。

 二人は目を合わさず互いの色気の深さと愛情を鼓動で感じていた。
 「……」

 和夫「先生」
 和夫は触れてはいけないはずの聖女に敬意があった。

 ひかる先生に彼を染めるであろう和夫は、聖女であった先生に未練はなかった。
 しばらくして、和夫が静かにひかるの肩にそっと手を添えた。

 ひかるの白いワンピースの肩に和夫は頬を撫でていた。
 ひかるも誘うかのように和夫の手を彼女の胸に押し当てた。

 ダウンライトのあかりがうっすらと部屋にある造花のカーネーションに影を落としていた。
 和夫「がんばった...」

 和夫「先生に認められたかった...」
 ひかるは和夫の瞳を見ながら、彼のこころが揺れているのがわかった。

 和夫「もっと先生に認めれらたい...」
 それはひかるに承認された欲求が満たされて、感動しているからだった。

 和夫「大学より、先生の方が嬉しい...」
 一途な和夫のこころにひかるは体が熱くなるのを感じた。

 胸に和夫の手を寄せたひかるは静かに離した。
 ひかる「先生わかったわ、もっと寄り添ってあげる」

 ひかる「私は、あなたが私についてくるなら、どこまでもあなたのために尽くすわ」
 ひかる「あなたが私を認めなくても、私はあなたを離さない...」

 ひかる「私、もっとあなたを知りたい...」
 和夫の”先生に認められたい”という言葉は、ひかるの心にグッと刺さっていた。

 ひかるの鼓動が和夫に伝わるほど二人の間は緊密であった。
 和夫の熱い想いはひかるの女のとしての感情を擽(くすぐ)らせた

 書斎にある白い百合の花びらが静かに舞い落ちた。
 和夫のことばひとつひとつがひかるの胸をつかみ離さないのである。

 教師としての女より一人の女性としての女がより強く和夫を求め始めていた。
 ひかるは少し罪のようなざわめきを感じていた。

 ひかるは和夫の導きでそっと胸元に引き寄せられた。
 和夫「ひ…」

 ひかる「好きにして...」
 次の瞬間、和夫はひかるのピンク色で柔らかい熟れた唇にそっとキスをした。

 しばらくキスは和夫の思うままつづけた。
 ひかるの唇は従うように反応していた。

 交互に口づけを交わす二人には怖いものは何もなかった。
 甘いときが静かに流れていた。

 ひかる「あっ」
 ひかるはキスが続くのを拒もうとしたが、その腕はまだ、和夫を抱きしめ続けていた。

 ひかる「もっと...」
 ひかるは和夫を求め続けた…

 ひかる「ここまできたら罪だわ...」
 少し愛にためらいを感じた。

 ひかる「でも受け入れれば本当の女ね」
 ひかるには理性よりも感情が優位に立っていた。

 彼と彼女の互いの過去の孤独は、二人の分かち合う愛によって埋め合わされていた。
 少なくとも二人に愛があれば、孤独ではないのである。

 それでも、濃厚な二人の抱擁は互いに深く絡み合い離れようとしない。
 ひかるはシャツ越しの体温を肌で感じていた。

 和夫の腕はひかるの背中で温かかった。
 ひかると和夫は机で二人で通いあった教師としての鼓動よりも、抱きしめあった時の

 ひかるの鼓動の方が女として強く感じられた。
 ひかるには罪悪感はもうなかった。

 女性としての覚悟はできていた。
 ひかるは完全な女として和夫を受け入れていた。

 和夫はさらに強くひかるを抱きしめていたので、ひかるの息が少し乱れた。
 ひかる「離さないで…」

 和夫の強いひかるへの独占欲がひかるを強く求め続けた。
 和夫「先生がいい...」

 ひかる「これはなんなのかしら?清きに抗(あらが)う過ちなの?」
 ひかる「神の導きに従った、女としての正しい道なの?」

 ひかるは心の中で自問自答しているのであった。