菅主邸のスーパーエリート執事たちは問題児だらけ!

 朝――他の生徒たちが登校してくるよりも、少し早い時間。
 ぼくと執事たちは、車で送迎され、十六夜学園の昇降口にいた。
 大きな額縁に飾られた、美しい風景画。
 どれくらい大きいのかというと――教室のドア二枚分くらいはあるかもしれない。
「主さま~。ぼく、気づいちゃったんだけどさ」
「え?」
 李豆くんが、あごに手を添え、得意げにいう。
「あのメッセージカードのこと。『十六夜学園に絵を飾るな。さもないと、パーティの邪魔をする』って書いてあったでしょ? この絵って、この学園に飾られている絵で、いちばん大きいと思わない? もしかして……」
「……間藤さんの絵なんじゃないか、ってこと?」
 飾られている絵の近くに、美術館みたいな説明書きはどこにもない。
 しかし、よく見るとキャンバスのすみっこに『D.MATOU』と描かれている。
「もし、ペンキ男がこの絵のことをいっているんだとして……あんなことをした理由はなんだろう?」
「そうだよね。問題はそこだよね」
 李豆くんとぼくが、「うーん」と首を傾げた。
 実折くんが絵を見あげる。
「しかし、間藤さんの作品のなかでいちばん有名な『朝焼けシリーズ』ではないようだな」
「朝焼けじゃない、ということはが間藤さんが画家をはじめた、初期のころの作品かもな」
 安蘭くんは腕を組み、ほれぼれと絵を鑑賞している。
「さすが、彫刻家志望だね。安蘭くん」
「まあな。学園内に飾られている絵は、どれもチェックずみだぜ。親の手前、あまりどうどうと鑑賞できなかったから、今日はじっくり見れてうれしい」
 ふだん、学園内に安蘭くんのご両親はいないのに、それでも絵を見ることはできないなんて。
 他の生徒に絵を見ている姿を見られるのも、だめってこと?
 ご両親は、安蘭くんが芸術方面にいくことをぜったいに許すつもりはないのかな。
「さあ。おじいさま――理事長に依頼されたこと、さっさと片付けようか。この絵の代わりになる絵を探して、飾れってことだけど……三人とも、何か候補はあるかな?」
「いやいや、間藤さんの絵を外して、なんの絵を飾るんだよ。現代芸術家のなかでも、超人気の洋画家だぞ」
 安蘭くんが、信じられないとばかりに声をあげる。
 すると実折くんがスマホを、すいすいいじり出した。 
 十六夜学園では、ほとんどの生徒が送迎のため、スマホは必須なのだ。
「主さま。SNSで間藤ドヲプと同じくらいのフォロワー数の現代芸術家は三名です」
「いや、どういう意味だよ、実折! なんでいま、そんなことを調べた」
「安蘭が、間藤さんをやたら持ちあげるからですよ。間藤さんの他にも、超人気現代芸術家は存在します。主さまに正確な情報を差しあげなくては執事失格ですよ」
「ぐぬぬ……」
 朝っぱらから元気にいい合いをするふたり、もはや見慣れた光景になってきた。
 すると、李豆くんがぼくの制服の袖を引っぱった。
「車の音が聞こえてきたよ。他の生徒たちが登校してきたみたい。いったん解散したほうがいいかもね、主さま」
「そうだね、あとでゆっくり話しあおう。みんな、いったん教室に行こうか」
 安蘭くんと実折くんが、くやしそうににらみ合うのを見届けると、ぼくたちは階段を登りながら、雑談をはじめた。
「そういえば、安蘭くんと実折くんって、何年生なの?」
「主さまってば、いまさら? ふたりが先輩だったらどうするの?」
「いや、李豆くんがタメ口で話すから、てっきり同い年なんだと……」
 李豆くんがくすくす笑うので、ぼくは赤面してしまう。
 すると、安蘭くんが生徒手帳を見せながら答えてくれた。
「大丈夫だ。同じ二年生」
「よかった。ぼくがA組、李豆くんがC組だったよね? ふたりは何組なの?」
「オレはC組だ。桃井と同じクラス。実折はB組」
「一年のときは同じクラスだったので最悪でした」
 ふん、と鼻を鳴らす、実折くん。
「は? それはこっちのセリフだ」
 また、ケンカがはじまりそうだったので、ぼくはふたりの肩に、ふわりと手を置き、なだめるようにいった。
「ねえ、安蘭くんは絵にくわしそうだし、実折くんも情報を集めるのは得意でしょ? おじいさまの希望を叶えるためにも……放課後までにあの昇降口にふさわしい絵、考えておいてくれないかな。ね?」
 ぼくがいうと、安蘭くんは面倒そうに頭をかいて、実折くんはふいと視線をそらしたけれど……。
「「承知しました。主さま」」
 ふたりそろって、同じをセリフをいう安蘭くんと実折くん。
 瞬間に、にらみあうふたりに、李豆はお腹をおさえて、笑い転げそうになっていた。
「やっぱりこのふたり、仲がよかったりする~?」

 ■

 放課後。屋敷に帰ってきたぼくは、執事たちを地下の保管庫に案内する。
 地下への階段を降りながら、李豆くんが不思議そうに聞いてきた。
「地下になにがあるの? 主さま」
「おじいさまが集めた、美術コレクションがあるんだよ」
「すご! ピカソとかゴッホとかあるの?」
「いやいや、そんなすごい画家のはないよ。でも、おじいさまは美術コレクターだから、価値のあるものばかりなんだとおもうよ。ぼくは、それほどくわしくないけどね」
 保管庫の前に着き、ぼくが扉を開けようとすると、安蘭くんが代わりに開けてくれた。
「どうぞ、主さま」
 うやうやしく、扉を開けてくれる。
「ありがとう、安蘭くん」
 すると、安蘭くんが実折くんへ挑発するような顔をおくる。
 とたん実折くんが、いら立たし気に眉根をよせた。
 白手袋をつけながら、保管庫のなかへ入ると、空調機の音が静かに鳴っていた。
 大量の美術品や、なにも入っていない額縁、空のショーケースが並んでいる。
 以前より美術品が増えているから、また買ったんだろうな……と呆れていると、実折くんがぼくの前に進み出た。
 実折くんは持っていたタブレットをぼくに、ずいっと見せてくる。
『菅主正宗コレクション 保管リスト一覧』と書いてある。
 下につらなるように、ずららっとおじいさまの美術品の名称や、保管してある棚のナンバーが記されている。
「理事長が適当にしまっていたものをラベリングして、一覧にしたんです。今朝、オレに『情報を集めるのが得意だろう』といいましたよね? なので、午前中、屋敷の使用人さんたちに電話して、お願いし、この保管庫の情報を整理させてもらいました。美術品に番号をつけ、どこに何があるのかわかりやすくしたんです。これで、飾りたい絵を見つけやすくなったでしょう?」
 実折くんの手ぎわ、あいかわらず凄腕執事すぎる……!
「すごいよ、実折くん! 朝に頼んだばかりなのに、もうここまでしてくれてたなんて! 助かるよ~!」
 保管リストをほれぼれとながめていると、安蘭くんが悔しそうに顔を歪めていることに気づいた。
 李豆くんが、こそっと耳打ちしてくる。
「今朝、主さまがあんなこといってから、ふたりともずっと火花バチバチだよ? 気づいてなかったの?」
「あ、あんなこと?」
「も~無自覚なんだから! 『安蘭くんは絵にくわしそうだし……実折くんも情報を集めるのは得意でしょ? おじいさまのお願いを叶えるためにも……放課後までにあの昇降口にふさわしい絵を、考えておいてくれないかな。ね?』なーんていってたっしょ?」
 ぼくのモノマネをしながら、李豆くんがからかってくる。
「なにか……だ……だめだったのかな?」
「主さまの役に立てれば、内申点がよくなるどころか、相手に勝てるからじゃなーい? おもに、安蘭が挑発してたけどね。実折はただ安蘭に負けたら恥だから、負けるわけにはいかない、ってムキになってるし」
「え、ええ~?」
「ウケるよね~」
 李豆くんがケラケラ笑っているけれど、ぼくは居心地がわるいよ。
 それって、ぼくのせいでずっと、ふたりは険悪なムードってことだよね。
「えーと、ふたりとも――」
 いいかけたとき、安蘭くんが棚から一枚の絵をゆっくりとおろし、作業台の上に乗せた。
「主さま、この絵いいんじゃないか? 昇降口の間藤さんの絵と、キャンバスのサイズも同じだし。『神話的風景画』だけど、落ち着いた雰囲気だし、昇降口に飾るのにピッタリだとおもう」
 それは、きれいなマリンブルーを使った海の絵だった。
 波打ち際で、小さなペガサスがゆったりと歩いている幻想的な絵。
 とても――すてきだと思った。
「すごい……! きれいだね……! こんなにきれいな絵、はじめて見たよ……」
 ほんとうに、それ以上の言葉が見つからないほどだった。
 さらにぼくは、安蘭くんのいったことに首を傾げた。
「それにしても、神話的風景画って?」
「基本的に『風景画』は、自然そのものを描いた絵のことだな。だから、物語を感じられそうな人やものは描かないことのほうが多い」
「なるほど。ペガサスが描かれているから、神話的風景画になるわけだね」
 これが昇降口に飾られたら、すごくいいだろうな……。
「安蘭くん、すてきな絵を見つけてくれてありがとう!」
 いうと、安蘭くんはうれしそうに胸を張り、すぐに実折くんをチラリと見る。
 実折くんは呆れたように目を細めていた。
 ぼくは、あわてて話題を変える。
「えーと、それにしても誰が描いた絵なんだろう?」
「お任せください、主さま」
 実折くんが、すぐにタブレットを操作し、さっきの一覧をチェックしてくれる。
 しかし、次の瞬間には顔がしかめられてしまった。
「……ナンバーがない。使用人の皆さんは、この絵にナンバーをつけなかったようです」
「え? どうして?」
「この絵の作者が、不明だからでしょうね。一覧には、棚の列・段数・右から何番目――というわりあてと、作者名や作品のタイトルを記載してほしいとお願いしました。理事長のてきとうなメモから、使用人さんたちはそれを打ちこんでくれていたのですが、この作品には、作者名もタイトルも書かれていませんね」
 実折くんが困ったように、顔をおおう。
 おじいさま……ほんとうにしょうがない人なんだから。
「サインがあれば、作者ぐらいわかるかも」
 いいながら安蘭くんが、大きなキャンバスをのぞきこむ。
「うわ。サインも描かれてないみたいだ」
「えっ。そんなことがあるの?」
 李豆くんが意外そうに、驚く。
 美術品の鑑定番組だと、作者のサインをよく見ているよね。
「そんなことは……あるな。有名な『モナリザ』とか、かなり昔の絵画には多いぞ。最近だと、バンクシーの絵にもサインはほとんど書かれていない。サインで価値が決まるわけではないんだ」
 すると、実折くんが続けた。
「キャンバスの裏面は見たんですか? サインを描くと、絵の雰囲気がそこなわれるということで、フレームに書かれていることもありますよね。この絵は、神話的風景画。フレームに書かれていても不思議じゃない」
「いや、見たっての! 美術のことは、オレに任せておけばいいんだよ」
「きみでは役不足だから、こうしてアドバイスしているんでしょう」
「アドバイス~? 今のは皮肉だろ!」
 まったく。もう放っておこう。
 これはぼくたちの絆を深めるためのチャレンジなはずなんだけど、むしろ溝が深まっている気がするのは気のせいかな……。
 ぼくは、安蘭くんが持っているキャンバスを指さした。
「おじいさまのことだから、画家が有名だから買ったとかじゃなく、絵がよかったから買ったんだろうね」
「おお、さすが理事長だ」
 感心したように、安蘭くんがいう。
「でも、おじいさまにこの絵のことを聞いても『これは、絆を深めるための試練だから、自分たちで調べなさい!』とかいわれそうだしなあ」
 ぼくは、隣に立っている実折くんを見る。
「そうだ、実折くん。この絵のこと、ネットで調べてみてくれない?」
 インターネットモンスターなんて呼ばれている実折くんなら、ネットの海からこの絵の作者を調べられるかも。
「かしこまりました。主さま」
 実折くんは、スマホで絵のことを調べてくれる。
 しかしすぐに、悔しそうに大きくため息をついた。
「まったく検索に引っかかりませんでした。インターネットにこの絵の詳細は、載せられていないようです」
「へえ~。インターネットでも、わからないことがあるんだね」
 李豆くんが、スマホをのぞきこんだので、実折くんがいやそうに身をよじっている。
 うーん。こんなにいい絵なのに、作者がわからないなんて……。
 すると、彫刻家志望の安蘭くんが、作業台の上の絵をジッと見つめる。
「この作者……たぶんだけど、若い作家なんじゃないか?」
「安蘭ってば。彫刻家志望なのに、絵にもくわしいなんてすごいねえ」
 あたらめていう李豆くんに、安蘭くんは心外だといわんばかりだ。
「彫刻家志望といっても、絵のデッサンが一番重要なんだ。何十枚、何百枚と、モチーフのデッサンを描いてから、掘り出す人だっているしな。だから、絵の勉強だってたくさんする」
「へえ~! それで、何がわかったの?」
 李豆くんが、興味深そうに目を丸くする。
 安蘭くんは腰をかがめ、絵をじっくりと観察した。
「描くことがすきでたまらない、っていうのは伝わるけど、だからこそ、けっこう粗削りなタッチだな」
「そうなんだ……」
 ぼくがうなると、安蘭くんは苦笑する。
「でも、こんだけじゃ何もわからないよな?」
 すると、意外にも実折くんが「いや」とつぶやいた。
「これほどのたくさんの美術品を集めているコレクターである理事長が、若い作家の絵をわざわざ買った――この絵……もしかしたら、うちの学校の卒業生の作品なんじゃないでしょうか? サインがなかったことや、絵の情報がネットになかったのも、それだったらつじつまが合います」
「わっ! 実折、その推理ありえるよ!」
 李豆くんのテンションが、一気にあがる。
「ねっ、主さま。卒業生の作品を昇降口に飾るって、かなりアリなんじゃない?」
「そうだね! 卒業生の絵なら、きちんと在校生のみんなに紹介したいし……きちんと作者のことを知りたいな。実折くん、もう少し調べてみてくれない?」
 実折くんが、うなずいた。
「うちの学校の卒業生のリストを調べて、芸術家になった人間をリストアップしてみましょう。理事長から、十六夜学園のサーバーへのアクセスを許可されています。数分で、わかりますよ」
「よかった。お願いね」
「お任せください、主さま」
 すると数分どころか、数秒で実折くんはニヤリと笑った。
「主さま。卒業生の望月瀬音さんが、画家として活動しているようですね」
「へえ~! うちの学校の卒業生なんだとしたら、ちょくせつ話をして昇降口に飾っていいか、聞いてみる? 他の作品のおすすめも聞いてみたいよね?」
 期待が高まるぼくの言葉をさえぎるように、李豆くんが叫んだ。
「ちょっとまって。望月瀬音っ?」
 李豆くんがスマホを取り出し、すいすいと指を滑らせる。
「みんな、これ見てっ」
 スマホの画面をずいっ、と見せてくる。
 そこには、『現代アーティスト 望月瀬音 サイン会』というページが表示されている。
 望月瀬音という芸術家の展示のなかで、サイン会が行われるらしい。
 場所は――隣の市の美術館のようだ。
「SNSで、地元近くの情報としておすすめされてきたから知ってたんだけどさ。ぜったいこの人のことだよね?」
「望月瀬音さん――間違いないよ、李豆くん! そのサイン会、いつやるの?」
 安蘭くんが、なにかが引っかかっているかのように、考えこんでいる。
「どうかした? 安蘭くん」
「あっ。いや……何でもな……」
 いいかけたとき、実折くんの冷静な声が響いた。
「望月さんのサイン会、今日ですね。しかも……十五時と書いてありますよ」
「えっ?」
 スマホの時計は、十五時半を指している。
「望月さんと話せるチャンスなら、逃すわけにはいかないよね――」
 ぼくは決心したように、執事たちを見まわす。 
「李豆くん! 通話で運転手に車まわしてほしいって伝えて! 安蘭くん、ペガサスの絵、傷つけないように運んでくれる? 実折くんは、望月さんの情報まとめておいて!」
 すると、三人は声をそろえていう。
「「「かしこまりました、主さま」」」

 ■

 屋敷の車で、隣の市までやってきた。
 上弦美術館という、市が作ったらしい、けっこうりっぱな美術館だ。
 しかし、時計はすでに十六時をまわっている。
 運転手に駐車場で待っててもらい、ぼくたちは入口へと向かう。
 エントランスに入ると、『現代アーティスト 望月瀬音 サイン会』というお知らせが掲示されていた。
 そばには、大きなポスターも貼られている。
 望月さんの顔写真と、代表作の絵が掲載されていた。
 二十代前半くらいの、やさしそうな男性だ。
 作風はやはり、『神話的風景画』が多いみたいだった。
 代表作は、画面いっぱいに描かれた桜の木に、マリンブルーのペガサスが飛んでいる絵らしかった。
 作者紹介には、『彼の絵には「マリンブルー」と「ペガサス」が欠かせない』と書いてあった。
 たしかに、屋敷にあった絵も、すてきなマリンブルーとペガサスだったもんな。
 ぼくたちはチケットカウンターにいき、学生証を見せた。
 すると、 受付の人が驚いた顔をしてから、ニコっと笑う。
「あの十六夜学園の学生さんですか! ようこそおいでくださいました。当館は、中学生のかたは無料でご覧いただけますよ」
「ぼくたち、サイン会に来たんですけど~」
 李豆くんがたずねると、受付の人が申し訳なさそうに前のめりになる。
「望月先生のサイン会ですね。二階の特別展示室です。ただ、もう終わってしまったので……」
「や、やっぱり……?」
 李豆くんが、しゅんと肩を落とすけれど、ぼくは二階を見つめる。
「行くだけいってみよう。望月さんに、話だけでも聞けるかもしれない。安蘭くん、絵は?」
「ああ、ここにあるぜ」
 安蘭くんが、大きなキャンバスを抱えて、得意げに笑う。
「主さま。望月さんの資料も、ここに来るまでにまとめておきました。主さまのスマホのアドレスに送っておいたので、目を通しておいてください」
「わかった、ありがとう。実折くん」
 ぼくはスマホを開きながら、執事たちと二階にあがる。
 特別展示室の前では、もう撤収作業がはじまっていた。
 パイプ椅子を畳んだり、ポスターをはがしたりしているスタッフを横目に、ぼくたちは望月さんを探す。
 すると、展示室の大きな絵の前で二、三人の人と話しこんでいる望月さんを見つけた。
「望月さん、いたっ!」
 ぼくは、あわてて実折くんがまとめてくれた資料が表示されたスマホを握る。
 李豆くんがポン、と背中を叩いてくれる。
「主さま。まずはぼくが、望月さんと話をつけてくるよ。まかせて♡」
「ありがとう。李豆くん」
 李豆くんは颯爽と、望月さんたちのところへ歩いて行く。
「こんにちは。すみません……」
 李豆くんが、申し訳なさそうにして、望月さんを見あげる。
 望月さんは会話を止めて、李豆くんにむき直る。
「きみ、もしかしてサイン会に来てくれたの?」
「えーと……。でも、もう終わっちゃいましたよね?」
「ううん、まだ色紙はあまってるよ。来てくれてうれしい。サインするね」
 やわらかくほほえむ望月さんに、李豆くんはここぞとばかりに、安蘭くんに目配せする。
 事前に打ち合わせでもしてたのか、安蘭くんはすぐに李豆くんの隣に走っていく。
「いえ! 望月さんに、サインしてほしいものがあるんです――そこに、お願いできますか?」
「え? ぼくにサインしてほしいところって?」
「ここです♡」
 李豆くんがいうと、安蘭くんは布を取り、大きなキャンバスを望月さんに見せた。
 きれいなマリンブルーを使った海の絵。
 波打ち際で、小さなペガサスがゆったりと歩いている。
 粗削りなタッチの、みずみずしい幻想的風景画。
 そして、その絵には、たしかにサインがない。
 望月さんは、ぽかん、と口を開けてしまっている。
 どうしたんだろう? と、おもいながら、ぼくは隣の実折くんを見やった。
 すると、実折くんはぐったりと肩を落とし、頭を抱えていた。
「ど、どうしたの……?」
「これは、冷や汗ものですよ」
「えっ。そうなの?」
「不躾にもほどがあるでしょう。安蘭にいたっては、芸術家のはしくれなくせに、やはり頭は、体力無尽蔵アスリートなようですね。少しは考えてほしいものです。はあ……申し訳ありません、主さま」
 ぼくに向かって、ぺこり、と頭をさげる実折くん。
「いや、大丈夫。待ってみよう。李豆くんのことだから、何か考えがあるのかも。あれは、望月さんと一気に距離を縮められる作戦なのかもしれないし」
「――だと、いいんですけどね」
 実折くんが目を細めて、李豆くんたちを見つめる。
 望月さんは、安蘭くんが持っているキャンバスをなぜか……悲しそうにながめた。「これは……『波打ち際のうつつ』だね。ぼくが十六夜学園に通っていたときに、美術部で描いたやつだ。コンクールに出して、はじめて金賞をとったんだ。どうして、きみたちが――まさか、きみたちは十六夜学園の在校生かな?」
「はい♡ 望月さんとお話したくて来たんです!」
 にっこり、と人懐っこい笑みを浮かべ、李豆くんがいう。
 とたん、望月さんは無言になってしまう。
 そして、眉をさげると声のトーンを落とした。
「ごめんね。ちょっと……学生時代のことは思いだしたくないんだ」
「えっ?」
「サインは書いてあげる。でも、色紙にね。今日、会えた記念に持って帰ってくれるとうれしい」
 そして、四枚の色紙にさらさらとサインを書いてくれる。
 李豆くんに色紙をわたすと、望月さんは儚げに口元をゆるめた。
「わるいけど、話はできないかな。もう撤収時間だし……閉館時間も近い」
 スマホの時計を見ると、もう十五時四十五分になっていた。
 閉館時間は十七時、たしかに閉館時間は近いけれど……。
 李豆くんは、頭のうえにハテナを浮かべている。
 こんなことは初めてだ、といわんばかりに。
 安蘭くんも、動揺しているようだった。
 実折くんが、ふたりにいう。
「今日は帰りましょう。それで、いいですよね。主さま」
「そうだね……。望月さん、すみませんでした。失礼します」
 ぼくがいうと、望月さんの瞳がゆれるのが見えた。
 それから、片手をあげて、手を振ってくれる。
「後輩くんたち、来てくれてありがとうね」
 
 帰りの車、後部座席。
 ぼくの隣に座った李豆くんは、納得いかない、とばかりに声をあらげた。
「ぼくの計算では、あの人は『想像のななめ上のことをしたら、心を開いてくれる人』のはずだったのに! 表現活動をしている人なら、あれで興味を持ってくれること間違いなしだったのに! どうしてああなったのっ?」
 すると、助手席の安蘭くんが、腕を組む。
「オレのキャンバスの見せ方が、よくなかったとか?」
「そこなわけがないでしょう」
 実折くんがツッコむ。
 ぼくは、ふたりを慰めようと、言葉を探す。
「気にしないで。でも――」
 ぼくは、言葉を途切れさせる。
「なんで、望月さんは急にあんな態度になってしまったんだろう。あの絵を見たときから、とつぜんに表情が変わったような」
「そうですね。学生のときに、望月さんに何かがあったのでしょうか」
 実折くんがあごに手を添えて考えこむ。
「……思いだした――『望月』だ! なんかずっと引っかかってたんだよ」
 安蘭くんが、声をあげる。
「あんなにすごい絵を描く卒業生がいたら、知ってるはずなのに、どうして話題になってないんだろうって気になってたんだよ」
「あ、ほんとうだ。たしかに!」
 納得していると、安蘭くんが興奮しながらいった。
「十六夜学園の伝説の美術部員……名前が違ってたからすぐには気づかなかったけど……望月瀬音って、望月星司先輩のことだ」
「いまのは、ペンネーム? こっそり変えて活動していたら、たしかにわからないよね。もしかして、そんなに学校にバレたくなかった――とか?」
 李豆くんがうんうんと、身を乗り出す。
「そう、なのかな……」
 安蘭くんがしょんぼりと、肩を落とした。
「当時から、学生向けのコンクールで賞をとりまくっていたらしい。『十六夜のクロード・モネ』なんていわれてたんだと。いまから、七年ほどの前のことだ」
「……モネの有名な絵に、ペガサスはなかったと思いますが」
「絵の雰囲気が似ているから、そう呼ばれただけだろ。細かいことはいいんだよ」
 納得がいかなさそうな実折くんに、安蘭くんがツッコむ。
「まあ、とにかく! オレが何をいいたいのかっていうと、望月さんの絵を昇降口にぜったいに飾りたいってことだ! だって、うちの学校の伝説の美術部だぞ?」
「でも、望月さんはうちの学校に飾ってほしくない……のかも」
 残念な気持ちが隠せないぼくに、安蘭くんは助手席から身を乗り出す。
「そこ! 何があったのか、オレたちで調べないか? うまくいけば、解決できるだろ? そうすれば、望月さんにとってもウィンウィンじゃないか!」
 興奮気味に目を輝かせる安蘭くんに、実折くんはため息をついた。
「そんなうまいこといくわけが……」
「いいじゃん! いいじゃん! やろやろ!」
 李豆くんが安蘭くんと、ノリノリでハイタッチする。
 このふたり、いつのまにか気が合ってきてる?
 うつむき加減の実折くんが、ぼくをチラリと見あげた。
「主さま。よろしいのですか?」
「そう、だね。おじいさまのお願いのこともあるし、ぼくも望月さんの絵、すごく気に入ってたから……昇降口に飾れるようになったら、うれしい」
「はあ。菅主家の執事になってから、あわただしくてたまらない」
「ご、ごめんね」
 しかし、そういう実折くんの瞳はどことなく楽しそうで、ぼくは心のなかで、くすりと笑う。
 あれ? なんだか、ぼくたち、少しだけ絆が深まってきてる?
 そんな気がして、ますますうれしくなった。

 ■

 次の日、ぼくたちは授業のあいだの休み時間に美術室に集合した。
 安蘭くんが、奥にある美術準備室を指さしていう。
「顧問の宇島先生に聞いたら、望月さんの絵が一枚だけ、美術室に保存されているらしい。見てみようぜ」
「じゃあ、屋敷の保管庫にあった『波打ち際のうつつ』はやっぱり、おじいさまが気に入って、引き取ったってことだね」
 ぼくの疑問に、安蘭くんが答えてくれる。
「そうだな。望月瀬音は、これからもっともっと注目される画家になるはずだって、理事長はわかってたんだ。さすが美術コレクターだな」
 続いて、李豆くんがいった。
「卒業生の絵って、どれくらい保存されているもんなの?」
「うちの学園では、十年は保存されるらしい。望月先輩は七年前に卒業してるから、まだあるはずだ」
 いい終わると、安蘭くんはこっそりと「オレはフィギュアスケート部だから、羨ましいよ。オレも美術部がよかったな……」とつぶやいた。
 ぼくは「安蘭くん」と名前を呼んだけれど、 安蘭くんはへらっと笑いかけてくれただけだ。
 そして気を取り直したように、準備室へと歩いて行く。
「持ち帰られなかった卒業生の作品、たくさんあるみたいだぞ。いろいろ見てみるのもアリかもな」
 安蘭くんはぼくの背中を押して、美術準備室に連れていく。
 李豆くんと実折くんも、それに続いた。
 準備室のなかは、美術室のなかよりも薄暗い。
 作品の保存のため、カーテンは常に引いた状態にしておかないといけないらしい。
「かなりの絵が保存されてるなあ」
 たくさんのキャンバスがしまわれている棚を見あげ、安蘭くんが声をあげた。
「安蘭。望月さんの絵は、どのへんにしまわれているのか、聞いてるんですか?」
「そこまではわかんねえってよ」
「まったく。菅主邸のようですね。管理がなっていないようだ」
 菅主の人間がここにいるんですが……。
 それにしても、いろいろあったからか、安蘭くんと実折くんはふつうに会話できるようになっていた。
 ずっとギスギスしていたのが嘘みたい。
 実折くんなんて、ちょっと前まで、アプリをインストールさせてまで、顔をつき合わせたくないっていってたのにね。
 そのとき、ガラッと美術準備室のドアが開いた。
 ぼくたちは音に合わせて、同時に顔をそちらに向けた。
 そこにいたのは、顧問の先生でも、美術部員でもない。
 望月瀬音――さんだった。