実折くんを追いかけて着いた先は、最上階のスイートルームだった。
実折くんが、個人的にとった部屋らしい。
さすが、スーパーセレブが集まる十六夜学園に通う生徒だ。
ぼくたちをなかに入れるのを、実折くんはいやがったけれど、なんとかお願いして入れてもらった。
「ごめんね。むりやりなかに入れてもらって」
「……別に。安蘭を入れたくなかっただけですから」
それを聞いて、安蘭くんはさらにイライラをつのらせたみたいだ。
気まずい空気のなか、ぼくたちはソファに座らせてもらう。
李豆くんが、キャビネットの上を指さす。
「あっ。ティーセットあるじゃん。ぼく、淹れようか? 実折~、触っていい?」
「なら、ぼくが淹れます」
実折くんが立ちあがり、ていねいな手つきで茶葉を選んでくれる。
部屋に、カモミールのいい香りが漂いはじめた。
「どうぞ、主さま」
「あ、ありがとう。実折くん。いい香りだね」
「……光栄です」
答えてくれる実折くんだけれど、かなり棒読みだった。
でも、淹れてくれた紅茶は、ものすごくおいしかった。
李豆くんのももちろんおいしいけれど、実折くんのはお父さまの執事が淹れてくれるものに近い香りの高さだった。
紅茶を配りおえると、実折くんはぼくの隣に座った。
李豆くんが、わざとらしく感心したようにいう。
「さすが『インターネットモンスター』。ひとりでシークレットパーティに来てたとはね~。パーティ会場で、間藤ドヲプの新作の情報でも得ようとしてたわけ?」
「インターネットモンスター?」
紅茶を飲みつつぼくがいうと、李豆くんは実折くんを手のひらでひらひら指し示す。
「実折は十六夜のなかでも、かなりパソコンにくわしいんだよ。どんな情報でも、すごい技術で手に入れちゃうんだってさ。ど~やるのかは、くわしく知らないんだけどね?」
ニヤニヤしながら李豆くんが、実折くんを見あげた。
実折くんは不快そうに、眉をひそめる。
「ちゃんと合法的にやっていますよ」
「あはは! わかってるってえ~」
李豆くんがソファに座ったまま、実折くんをひじで小突くポーズをする。
「とーにーかーく! これは、ぼくたちの内申点にも関わってるんだからさ。ちゃんとみんなで協力しよ? さっきの紙吹雪、実折も見たでしょ?」
「待てよ。李豆。もしかして、あのメッセージカードのこと、オレたちで調査する気なのか?」
安蘭くんがいうと、李豆くんはニヤリと小悪魔のようにほほ笑んだ。
「解決したら、内申点があがりそうじゃない?」
「なるほどな! いい考えだ、実折!」
ふたりが意気投合したところで、ぼくは思わず実折くんを見た。
すると、彼もこちらを見ていて、視線がかち合う。
たぶん、同じことを考えている。
「ふたりとも、本気なのっ? 危ないよ」
止めようとするけれど、李豆くんと安蘭くんは引き下がらない。
「理事長がいってたでしょ? 『主と執事は一心同体』! ぼくたちで力を合わせれば、何とかなるって。主さま!」
「そうだ! 内申点を稼がないと、志望校に行けないかもしれない。いまできることをやらないと後悔する――オレはやるぜ!」
ふたりのいい分を聞いて、ぼくはハッとする。
『教師になる』という将来の夢。
いまの困難から逃げたら、夢をつかむなんて、とうてい無理な話なのかもしれない。
目の前の三人をりっぱな執事として、ちゃんと卒業させるんだ。
ぼくは立ちあがって、隣に座る実折くんに、さっきひろったメッセージカードを見せた。
「実折くん。協力してくれないかな」
しかし、実折くんは安蘭くんへチラリと視線をやったあと、首を横に振った。
「いやです。安蘭がいるなら、協力できません」
とたん、安蘭くんがテーブルをバンッと叩く。
「実折! いつまでも、ネチネチふてくされてんじゃねえぞ!」
実折くんが顔をあげて、安蘭くんをするどくにらむ。
「ネチネチ? オレのどこがネチネチしてるんですか」
「オレが、おまえの犬の写真を間違って削除したこと、まだ怒ってんだろ!」
「ベルンの写真を消したこと? ええ、怒ってますよ! オレがベルンことをすごく可愛がっていたこと、知ってるでしょう! あの家でオレには……ベルンしかいなかった……。大すきだったベルン。それほど可愛がっていたベルンの写真を、あなたは消した! そのいいわけが『パソコンなんかに入れてるから、わるいんだろ』ですよ!」
「パソコンなんて、バックアップ……とかなんとか、できるんだろ? してなかったおまえがわるいんじゃないか」
「あのときは、まだ小学生だったんです。そんな方法があることすら、知らなかった。問題は、あなたが自分の過ちを、オレのせいにしたことでしょう!」
「うるせえな。わるかったっていっただろ。何回も」
「誠意がないんですよ、毎回!」
ふたりのケンカは止まるどころか、どんどん加速していく。
ホテルが用意してくれたらしい、テーブルに置かれたクッキーを李豆くんがつまむ。
「実折は大の犬ずきなんだよ。なかでも、昔、飼っていたサモエドって大きな犬種の『ベルン』を特に可愛がってたみたい。でも、天国に行っちゃってからは、写真でしか会えなくなってたから。よけいに安蘭のことが許せないみたいだね」
「うーん。安蘭も謝ってはいるみたいだけど」
「そう簡単には許したくないんだろうね、実折も頑固だから」
「気持ちはわかるけれど……かなり仲がわるくなっちゃったんだね」
「実折の安蘭への態度はかなりのものだよ。安蘭が視界に入っただけで、授業に行かない。安蘭の話が出たとたんに不機嫌になり、どこかへ行く。それでどんどん不登校になったんだ。そんなわけで、インターネットモンスターとして、淡月組入りしたってわけ」
ぼくは李豆くんをチラリと見る。
「李豆くんは、ふたりと仲がいいの? 安蘭くんとは何度も話しているみたいだけど」
すると、李豆くんは苦笑する。
「ぼくは誰とでも、均等だよ。同じくらいの仲のよさ! 親友なんて、いたことないなー」
「へえ。そうなんだ」
「友達は、たくさんいなきゃダメって……親にいわれてきたからさ。それでこんなにも、コミュニケーションをがんばってるってわけ」
苦しそうにいう、李豆くん。
親となにかあったのかな。
ぼくは言葉を選びながらも、はっきりという。
「でもぼくは……友達っていえる友達はいないかな。ずっと、教師になるために勉強してるからね。こんな調子だけど、仲良く話せるクラスメイトはいるし、険悪な関係の子もいない。それでいいと思ってるよ。友達は、ほしいと思ったときに作ればいいと思ってる」
すると、李豆くんは目を丸くして驚いてから、唇を引き結んだ。
「親の言葉に、ずっと縛られてたんだ。たくさんの人と、コミュニケーションをとらないといけないんだって……思いこんでた。でも、主さまの考えかた、すごくいいよ。ぼく、主さまとなら親友に――」
そのとき、安蘭くんがソファから立ちあがる。
「おまえなんかといっしょに、執事なんかやってられるか!」
叫んで、客室を出て行ってしまう。
李豆くんと話しているうちに、とんでもないことになってしまっていたみたいだ。
ぼくは立ちあがって追いかけようとするけれど、体力無尽蔵アスリートにかなうはずもなく、一瞬ですがたを見失ってしまった。
ど……どうしよう。
ぼくが、みんなをまとめないといけないのに――。
こんなんじゃ、『未来の学園長』なんて夢のまた、夢だ。
ぼくが落ちこんでいたからか、李豆くんがあわてて、スマホを出す。
「あ、安蘭にDMを送って、どこにいるか聞く? あ~しまった、そもそもSNS聞いてないから、DMも送れないじゃん!」
ぼくたちが出会ったのは、つい昨日。
連絡先の交換すらしていないもんね……。
すると、実折くんがパソコンをカタカタと叩き出した。
「安蘭の位置が知りたいなら、ここですよ」
「え?」
ノートパソコンのディスプレイを、ぼくたちに見せてくれる。
ここら一帯の周辺の地図が表示され、ホテルの付近で、赤い点が点滅している。
ここは、ホテルの前のコンビニかな。
「でも、どうしてわかるの?」
「簡単です。安蘭にぼくが開発した、ゲームアプリをダウンロードしてもらっているんです。彼に宣伝メールを送り、『位置情報を共有し、現実世界とゲーム世界をリンクさせ、モンスターを捕まえたり、アイテムを集めたりする』という内容のゲームです。安蘭は『面白そう』と思ってくれたのか、すぐにダウンロードしてくれましたよ。なので、彼の位置情報は定期的にぼくのサーバーに送信されています」
インターネットモンスターが、カタカタとキーボードを叩く。
な、なんかすごそうだけど……。
「あの、なんでそんなアプリを開発したの?」
ぼくがたずねると、実折くんはジロリとぼくを見おろす。
「やつの顔を見たくないからですよ!」
「……えっ」
「彼の顔を二度と見ないようにするためには、逆に彼の位置を把握しておく必要があります。学校で彼が近づいてきていたら、わざわざ道を変えます。そのために『安蘭のためだけに』ゲームの運営までしなければならなくなりましたがね。まあ、誤差ていどの労力です」
「安蘭くんのためだけにゲームの運営してるんだ……」
変なところで、変な労力をつかっている、実折くん。
ぼくがあぜんとしていると、安蘭くんの点滅が大きく動き出す。
まるで、どこかへ向かっているようだ。
李豆くんが、パソコンの画面に身を乗り出す。
「主さま。安蘭ってば、帰ろうとしてるんじゃない?」
「いやいや、まさか。いくら安蘭くんでもそんなことはしないよ」
すると、実折くんがぼくの顔をのぞきこんできた。
「安蘭のことをまだわかっていないですね? やつは、自分のやりたいことだけをつらぬくヤツですよ。フィギュアよりも彫刻をやりたい――といったぐあいにね。オレとケンカをしたことで家に帰りたくなったんなら、さっさと帰るやつですよ」
「引きとめないと。シークレットパーティは中断されているだけなんだ。いつ再開されるかわからないし……おじいさまの代理で来てるんだもん。勝手に帰られたら、おじいさまの顔に泥をぬることになるよ」
「なら、引きとめるしかないですね」
そのとき、安蘭くんの点滅は、ある一か所でピタリと止まる。
そこから、動かなくなった。
ホテルから、そんなに離れていない。
「……実折。ここ、どこ?」
李豆くんがたずねる。
「ここは、ギャラリーですね。アーティストの作品を展示できる施設ですよ。あれでも、芸術家のはしくれですから、見に行ったんでしょうかね」
「安蘭くんにはわるいけど、いつパーティが再開するかわからないからね。みんなで行って連れ戻そうか」
ぼくがいうと、李豆くんが「は~い」と返事して、実折くんの腕をつかんだ。
そのまま、ものすごい力で引っ張ってくる。
李豆くんのほうが、実折くんより身長が低いのに……。
「ちょっと、やめてくださいよ」
「だって、来る気なかったよね? だから、引っ張ってるんだよ?」
「わかりましたから。行きますから、引っ張るなっ」
「あはは。敬語くずれちゃったね~」
ケラケラ笑う李豆くんに、鼻にシワを寄せる実折くん。
ぼくはやれやれとおもいながら、執事たちの前に立って走り出した。
■
ギャラリーに駆けこむと、安蘭くんの黒髪とスーツに刺さった赤いバラが見えた。
「安蘭くんっ」
ぼくが駆け寄ると、安蘭くんは驚いたように肩を震わせた。
しかし、李豆くん……そして実折くんも来たのを知ると、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「どうしてここがわかったんだ?」
安蘭くんが尋ねてきたので、ぼくは正直に答えた。
「み、実折くんが、調べてくれて……」
「またお得意のパソコンか?」
皮肉っぽくいう安蘭くんに、実折くんは何も否定しない。
ぼくは、話をそらすように安蘭くんの手を取った。
「ごめんね。いつパーティが再開するかわからないから、おじいさまの手前もあるし、いったんホテルに戻ってほしくて」
「いや、主さま……」
安蘭くんが、ぼくを見る。
「あのメッセージカードを持った間藤さんが、真っ青な顔でここに入っていくのを見た。だから、つい追いかけてきたんだ」
「真っ青な顔をして――? いったい何があったんだろう」
「ああ、今なら話を聞けるかもしれない」
「わかった。みんなで行こうか」
ぼくたちは、ギャラリーの奥の搬入室へと、入っていく。
そこには、たくさんの作品が、シートや布に包まれて保管されていた。
すると、照明が落とされたままの部屋に、人影があった。
ぼくたちの気配を察したのか、人影が声をあげた。
「誰だ?」
「あの、間藤さん……ですか?」
ぼくがいうと、人影が電気をつけた。
舞台でスポットライトを浴びていた、間藤ドヲプがぼくたちを警戒しながら立っている。
「わたしに、何か用かな?」
「あの、何かあったのかとおもって、気になって追いかけてきてしまったんです」
「……そんなに、顔に出ていたのか。いや、新作の絵が心配でね……。ほら、あんなメッセージカードが大量に降ってきただろう? また、『やられた』んじゃないかとおもってしまって」
くしゃり、と髪をかきまぜる間藤さん。
ぼくは、間藤さんのいったことをくり返した。
「やられた――っていうのは?」
「……ここは、わたしの友人が経営しているギャラリーでね。最近、わたしの作品を傷つけるやつがいるから、家の作品を一時的にここに避難させてもらっているんだ。パーティも中断はしているけれど、ちゃんと再開させて、新作のお披露目をしたい。だから、取りに来たんだよ」
「作品を傷つけるやつって――まさか、さっきのメッセージカードの犯人?」
ぼくは、持っていたメッセージカードを見る。
『間藤ドヲプ。十六夜学園に絵を飾るな。さもないと、パーティの邪魔をする』
ぼくは、李豆くんに目配せする。
李豆くんに、間藤さんの身の回りに起きたことについて、くわしく聞いてほしいとおもったんだ。
李豆くんが得意げにうなずき、間藤さんに一歩近づいた。
たくさんの絵が並ぶ棚から、布に包まった大きなキャンバスを取り、間藤さんがホッと息をつく。
「よかった。新作はぶじだ」
「あの、間藤さん。ぼくたち十六夜学園の生徒です。ぼくたち、菅主理事長の代理でここに来てまして……」
キャンバスを布に包みなおし、間藤さんは大事そうにそれを抱えた。
「ああ、正宗氏から聞いてるよ。今回は大変なことになってしまったね。このメッセージカードも――こわかったろう? こんなことが起きるなんて、わたしも動揺しているよ……」
「うちの学校にも、間藤さんの『桜色の海』って絵が飾られているんです。なので、楽しみに来てたので、たしかに驚きました。傷つけられた絵っていうのは、ぶじなんですか? まさか、新作が何年も出なかったのは、そのせいで……?」
すると、間藤さんは深くうなずいた。
「完成品でなかったのが救いだよ。かなり、まいったけれどね。相手にはかなり恨まれているらしい。最近は、怪しいメールもひんぱんに来ているしね」
すると、実折くんがあごに手を添えながらいう。
「間藤さん。そのメールを見せてもらうこと、できないですか?」
「別にいいけど……」
間藤さんが、搬入室の事務机に移動する。
デスクトップのパソコンのメールボックスを開き、メールを開く。
『間藤ドヲプ。もう描くな。これ以上描いたら、さらに絵を描くのを邪魔しなければならなくなるぞ』
「これは、完全に脅迫のメールですね」
実折くんは、デスクチェアに座るとカタカタとキーボードを叩き出す。
「IPアドレスをたどりましょうか」
「なに? それは……?」
ぼくがたずねると、実折くんはていねいに解説してくれる。
「インターネット上での『住所』というと、わかりやすいですかね。メールから送信元のIPを取り出し、調べるんです。これだけならインターネット上の不正行為にはなりませんから」
実折は、数字の羅列とにらめっこしながら、カチカチとマウスを操作している。
「うーん。こういうことは初心者の人なんですかね? 自宅のサーバーから、メールを送っています。県内……しかも近くの市内である可能性が高いですね」
「そんなことまでわかるのっ?」
「いや。いまやったことは、そんなに難しいことでもないですよ」
実折はそういっているけれど、ぼくには何をやったのかさっぱりだ。
李豆くんは、「さすがインターネットくん」なんていっているけれど、安蘭くんは実折くんを仏頂面でにらみつけている。
安蘭くんのことは無視して、実折くんはぼくを見あげた。
「しかし、オレにわかるのは、いったんはここまでですね。わかったことは犯人は県内に住んでいるということ。さらに自宅サーバーを使っているということは、こういうことにあまり慣れていない人物ということでしょうか」
「こういうこと、というと……」
ぼくが念のためたずねると、実折くんは呆れたようにいう。
「相手は、間藤さんに脅しのメールを送っているんですよ。自宅から送ったりすれば、警察が介入すればすぐにわかります。そんなこと、今どきは刑事ドラマや推理小説で描かれていることです。誰もが、くわしくは知らなくても、なんとなくは知っているようなことですよ。ふつう、ネットカフェか何かから送るものでしょう」
「まあ……いわれてみれば?」
「つまりは、相手はあまり本を読まない人間であること、間藤氏を知っている芸術に関心のある人間であること――まだまだ、突き止めるには材料が足りませんね」
実折くんが、かぶりを振る。
すると、間藤さんが感心したようにいう。
「すごいじゃないか。さすがはスーパーエリートを育てる十六夜学園だな」
せっかく褒められたのに、実折くんは首を振る。
「こんなの、少し調べれば誰でもできますよ」
しかしぼくは、実折くんの肩を叩く。
「実折くん。ほんとうに、すごいよ!」
「……別に」
実折くんは、ふいとそっぽを向く。
実折くんが、あまりにも『大したことしてないです』感がすごいから、きちんと褒めたくなったんだ。
間藤さんも、ぼくも、実折くんがすごかったから褒めただけなんだけどな。
実折くんはけっきょく、最後まで居心地がわるそうにしているだけだった。
褒められなれてない、のかなあ?
新作を持った間藤さんと、シークレットパーティー会場に戻ったぼくたち。
さっき降った、大量のメッセージカードはきれいに片付けられていた。
ぼくたちは相談して、会場で不審なことをしている人がいないかを見張ることにした。
「いないねえ……」
「そう簡単に見つかったら、苦労しねえよ」
李豆くんと、安蘭くんがいう。
そのとき、会場が暗くなり、舞台にスポットライトがあたる。
緊張しているようすの間藤さんとともに、布が被せられた大きなキャンバスが舞台のまんなかに運ばれてくる。
間藤さんが、布に手をかけ、マイクを持った。
「それではご覧ください! ついに完成した、間藤ドヲプの新作『新たな旅立ち』です!」
現れた大きなキャンバスには、間藤さんの新作の朝焼けが描かれていた。
きれいな朝焼けに、桜が散っている、とても美しい絵だった。
会場から歓声があがった瞬間、人ごみのなかから、あやしい人影が飛び出してくる。
フードを被り、マスクとサングラスをしていて、顔がよく見えない。
手には、小さなペンキ缶が握られていた。
李豆くんが、叫ぶ。
「主さま! まずいよ、あいつ……絵にペンキをかけるつもりなんじゃないっ?」
まさか……彼がメッセージカードを降らせた犯人?
なんとかしないと……間藤さんの絵が!
「間藤! おまえの絵が……わたしには邪魔なのだ……!」
ペンキ男が、うめくように叫んだ。
ぼくは、とっさに叫ぶ。
「安蘭くん! きみなら、彼に追いつくよねっ?」
体力無尽蔵アスリートである安蘭くんなら、もしかしたら……!
すると、安蘭くんがニヤリと笑う。
「オレは、フィギュアだけじゃない。ぜんぶのスポーツを親にやらされてる。任せな」
いいながら助走をつけ、いきおいよく走り出した安蘭くん。
両手をつきながら、連続でジャンプして、アクロバットに飛んでいく。
あまりの華麗な動きに、再び会場に歓声があがる。
安蘭くんはあっというまに、ペンキ男に追いついた。
ペンキ男は安蘭くんのスピードにひるむが、それでもふたの開いた缶をかまえる。
間藤さんが、キャンバスを守ろうと走り出す。
ぼくは叫んだ。
「安蘭くん! 彼を止めて!」
「止まれってよ! うちの主さまがいってるぜ!」
「……っく」
ペンキ男は、くやしそうな声をあげる。
安蘭くんが長い手で、ペンキ男の腕をつかむ。
その強い力で、男はペンキ缶を舞台の上に落とした。
舞台は汚れたけれど、とりあえずペンキが絵にかかることはなくなった。
とたん、ペンキ男がとつぜんの激しく抵抗し、安蘭くんは手を放してしまう。
ペンキ男は、落ちた缶の側面をつかみ、持ち手を握り、その場から逃げだしてしまう。
「待て!」
安蘭くんが、追いかける。
ぼくも追いかけようとするが、李豆くんに止められた。
「主さまは、ここで実折と待ってて! ぼくが行くから!」
李豆くんが走り出す。
会場はペンキ男の登場に、ざわめきが止まらない。
間藤さんは、ぼうぜんとしている。
今、起こったことが信じられないのだろう。
せっかくの新作のお披露目だったのに……。
このままになんて、しておけない。
ぼくは思わずマイクを握り、間藤さんの隣にたった。
「みなさん――とつぜんの『招かれざる客』に驚かれたことでしょう。しかし、ご覧ください!」
ぼくは間藤さんの新作『新たな旅立ち』、そして舞台上を手のひらで指し示す。
「この舞台の鮮やかな赤――まるで朝焼けのように染まってします。あの、間藤ドヲプの新作お披露目にこのような舞台が現れたのは、運命としかいいようがありません! そうは、思いませんか?」
わあーっ! と、拍手が起こる。
ここにいる人たちは、みんな間藤さんの朝焼けに心を奪われたファンばかりだ。
よかった、わかってくれた。
会場の雰囲気も、すっかりもとに戻ったみたいだ。
ぼくは、間藤さんにマイクをわたす。
間藤さんが、こっそりとぼくに「ありがとう」といい、再びマイクを握る。
「彼の言葉、とても胸にしみました。そうです、今日は新作をみなさんにお届けできる素晴らしい日にしなければ! どうかみなさん、思うぞんぶん、間藤ドヲプの新作『新たな旅立ち』をお楽しみください!」
さっきあったことを忘れようとするかのように、おだやかなパーティが再開される。
そのとき、李豆くんと安蘭くんが帰ってきた。
申し訳なさそうに、うなだれている。
「わるい。逃がした……」
「まったく。安蘭がかけっこで負けるなんてね」
李豆くんがからかうと、安蘭くんが不満そうに顔をしかめた。
「かけっこじゃねえよ! 停めてた車に乗りこまれたんじゃ、追いつけるわけねえだろ」
くやしそうに髪をかきあげる、安蘭くん。
「気にしないで。安蘭くん、李豆くん。おつかれさま」
ふたりは照れくさそうにほほ笑んだ。
「実折くんもお疲れさま」
「別に、オレは何も……」
「何かあったときのことを考えて、いろいろ対策を考えてくれてたんでしょ?」
さっきから、ずっと実折くんはスマホを触っていた。
何かを考えているように。
「ありがとうね」
「……はい、主さま」
実折くんがスマホの画面を閉じて、スーツのポケットに入れたとき。
間藤さんが、お礼をいいに来てくれた。
「十六夜学園の生徒さんたち。今日はありがとう」
「そんな。ぼくたちは、彼を逃がしてしまったので……」
「いや。犯人を阻止してくれた。それだけでも、十分だよ。理事長にも、のちほど連絡を入れさせてもらおう。しかし――大騒ぎのせいで、オートオークションまでやれなかったなあ」
残念そうにいう、間藤さん。
しかし、すぐにポンと手を打つ。
「かならず、近いうちにオートオークションを開くから、きみたち、また来てくれないか?」
「えっ!」
ぼくがうろたえていると、李豆くんに肩を組まれる。
「いいじゃん♡ 主さま! 今度こそ、ぼくたちであいつを捕まえてやろうよ!」
威勢のいい李豆くんに、実折くんがいう。
「捕まえるのは警察の仕事ですよ」
「わかってるよ、うるさいなー」
くちびるを尖らせる、李豆くん。
安蘭くんは、実折くんをかんぜんに無視して、ぼくを見る。
「このこと……理事長に報告したほうがいいよな? アートオークションのことも」
「そうだね……。とりあえず、屋敷に帰ろうか」
ぼくたちは間藤さんにあいさつをすると、すでにホテルの前に、菅主家の車が到着していた。
「あれ? ぼくまだ呼んでいないのに、どうして?」
「オレが呼んでおきましたよ。ペンキ男をふたりが追いかけだしたあたりから、時間を逆算し、今くらいの時間には帰宅できるだろうと思いまして」
「す、すごいね……」
実折くんのかんぺきな執事ぶりに、安蘭くんが苦い顔をした。
「オレと桃井がヤツを追ってるときに、ずいぶんとのん気なもんだな」
「主さまの執事としての仕事をしたまでです。何かいけませんかね?」
「お得意の計算が主さまの役に立ててよかったなあ?」
「きみのバカみたいな体力でも、主さまの役に立てるのだから、りっぱなものですね」
ふたりのあいだに、バチバチとした火花が見える……。
李豆くんが、「あーもう」と息をつきながら、後部座席の扉を開けた。
「主さま。車に乗って。運転手さんが待ちくたびれちゃうよ。こいつらは置いて行こう」
いいながら、ぼくを押しこんで、自分も後部座席に乗りこむ李豆くん。
それに気づいたふたりが、声をそろえた。
「おい、置いてくな!」
「ちょっと、置いて行かないでくださいよ!」
同じこといってる。
なかがいいのか、わるいのか、わからなくなってきたなあ。
■
屋敷に帰ると、おじいさまが両手を広げて、出迎えてくれる。
「おお。おかえり。実縫。そして、その執事たち!」
「おじいさま! まったくもう。大変だったんですよ」
ぼくがいうと、李豆くんがうんうん、とうなずく。
「本当だよ! 理事長~。あんなことが起きるなんて聞いてないって~!」
おじいさまは、ちょいちょいと手招きする。
「まあ、わたしの部屋に来なさい。三人とも、引き続き、執事としての仕事をお願いできるかな。ティーワゴンに紅茶のセット、茶菓子を乗せて、持って来ておくれ」
すると、李豆くんがノリノリで手を胸にあて、礼をする。
「かしこまりました♡ 理事長」
背筋を伸ばして、厨房のほうへと歩いて行く。
安蘭くんと実折くんは、戸惑いながらもぺこり、とお辞儀をして、李豆くんに着いていく。
ぼくは心配になり、あとを追おうとするけれど、おじいさまに止められてしまった。
おじいさまは、二階への階段をあがっていく。
「大丈夫だよ。執事になるためのレッスンは、すでに三人とも受けているんだからね。内申点のためだ、三人ともしっかりと勉強していたよ」
「そ、そうですか」
二階のつきあたりが、おじいさまの部屋だ。
おじいさまはソファに座り、向かい側をぼくにすすめてくれる。
「間藤さんから聞いたよ。大変なことになってしまったそうだね」
ぼくは、桜色のスーツのタイをゆるめる。
「ですが、みんな、それぞれがんばってくれました」
「そうか。三人ともまったく違う個性だからね。それで実縫は、彼らの主人としての務めを果たせたかい」
「……いえ、ぜんぜん。なかなか三人をまとめることができなくて、安蘭くんと実折くんはケンカばかりでした。李豆くんも、あまりふたりとは仲がよくないみたいで」
「そうか。しかし、このハードルを乗り越えた先の景色はきっと素晴らしいぞ」
「は、はあ……」
おじいさまは、長い教師人生をおくったのち、この十六夜学園を作った。
いろいろなことを経験してきたからこそ、いえる言葉なのはわかるけれど。
いまのぼくには、なかなかむずかしいことばかりだ。
そのとき、部屋のドアがコンコンとノックされる。
執事たちが戻ってきたのだ。
実折くんが、ティーワゴンを押しながら、入ってくる。
安蘭くんがワゴンからケーキスタンドと、デザート皿を取り、並べる。
李豆くんが、ぼくとおじいさまのもとへきて、胸に手を当てる。
「音楽は、何になさいますか?」
「では、ボサノバのプレイリストにしようか。実縫もそれでいいかい?」
「は、はあ」
「承知いたしました」
李豆くんが、オーディオを操作しはじめる。
するとスピーカーから、ここちのいいボサノバが流れはじめる。
実折くんが淹れてくれた紅茶が、ぼくたちの前に静かに置かれた。
安蘭くんが、デザートを盛りつけてくれる。
「実縫さま、正宗さま。ごゆっくりとお過ごしください」
さっきまでの素っ気ない態度が嘘のような、実折くんの完璧なお辞儀。
安蘭くんも李豆くんも、扉の前にひかえている。
す、すごい。
これが、菅主家のスーパーエリートになるための執事教育。
「実縫、聞いたよ」
「え?」
おじいさまが紅茶を飲みながら、ゆったりという。
「間藤氏に、アートオークションにも来てほしいといわれたそうだね」
「いや、それはその」
「あの間藤さんに気に入られるとは、さすがは我が菅主家の跡取り息子だ。『人たらしの菅主さま』は伊達じゃないな」
まさか、おじいさまにまで、あの異名を知られていたなんて。恥ずかしすぎる。
「もちろん頑張りますが、その……まだ、執事たち三人と親睦も深めていないのに、大きな仕事を二回も連続でつとめるなんて無茶では……」
「それじゃあ、親睦を深めたらいいさ」
「へっ」
「四人で絆を深めるため、我が十六夜学園の昇降口にふさわしい絵を四人で相談し選んで、飾ってみておくれ」
ぼくたち四人は顔を見あわせて、ぽかんとする。
いまの十六夜学園の昇降口、入ってすぐの正面には大きな絵画が飾られている。
風景画なのだけれど、誰が描いたものなのか、どこを描いたものなのか、タイトルもなにも知らない。
「えっと、あの絵を違う絵に変える、ということですか?」
「ああ、よろしく頼むよ。四人で決めておくれ」
にっこりとほほ笑むおじいさまに、ぼくたちは不安そうに目配せをした。
実折くんが、個人的にとった部屋らしい。
さすが、スーパーセレブが集まる十六夜学園に通う生徒だ。
ぼくたちをなかに入れるのを、実折くんはいやがったけれど、なんとかお願いして入れてもらった。
「ごめんね。むりやりなかに入れてもらって」
「……別に。安蘭を入れたくなかっただけですから」
それを聞いて、安蘭くんはさらにイライラをつのらせたみたいだ。
気まずい空気のなか、ぼくたちはソファに座らせてもらう。
李豆くんが、キャビネットの上を指さす。
「あっ。ティーセットあるじゃん。ぼく、淹れようか? 実折~、触っていい?」
「なら、ぼくが淹れます」
実折くんが立ちあがり、ていねいな手つきで茶葉を選んでくれる。
部屋に、カモミールのいい香りが漂いはじめた。
「どうぞ、主さま」
「あ、ありがとう。実折くん。いい香りだね」
「……光栄です」
答えてくれる実折くんだけれど、かなり棒読みだった。
でも、淹れてくれた紅茶は、ものすごくおいしかった。
李豆くんのももちろんおいしいけれど、実折くんのはお父さまの執事が淹れてくれるものに近い香りの高さだった。
紅茶を配りおえると、実折くんはぼくの隣に座った。
李豆くんが、わざとらしく感心したようにいう。
「さすが『インターネットモンスター』。ひとりでシークレットパーティに来てたとはね~。パーティ会場で、間藤ドヲプの新作の情報でも得ようとしてたわけ?」
「インターネットモンスター?」
紅茶を飲みつつぼくがいうと、李豆くんは実折くんを手のひらでひらひら指し示す。
「実折は十六夜のなかでも、かなりパソコンにくわしいんだよ。どんな情報でも、すごい技術で手に入れちゃうんだってさ。ど~やるのかは、くわしく知らないんだけどね?」
ニヤニヤしながら李豆くんが、実折くんを見あげた。
実折くんは不快そうに、眉をひそめる。
「ちゃんと合法的にやっていますよ」
「あはは! わかってるってえ~」
李豆くんがソファに座ったまま、実折くんをひじで小突くポーズをする。
「とーにーかーく! これは、ぼくたちの内申点にも関わってるんだからさ。ちゃんとみんなで協力しよ? さっきの紙吹雪、実折も見たでしょ?」
「待てよ。李豆。もしかして、あのメッセージカードのこと、オレたちで調査する気なのか?」
安蘭くんがいうと、李豆くんはニヤリと小悪魔のようにほほ笑んだ。
「解決したら、内申点があがりそうじゃない?」
「なるほどな! いい考えだ、実折!」
ふたりが意気投合したところで、ぼくは思わず実折くんを見た。
すると、彼もこちらを見ていて、視線がかち合う。
たぶん、同じことを考えている。
「ふたりとも、本気なのっ? 危ないよ」
止めようとするけれど、李豆くんと安蘭くんは引き下がらない。
「理事長がいってたでしょ? 『主と執事は一心同体』! ぼくたちで力を合わせれば、何とかなるって。主さま!」
「そうだ! 内申点を稼がないと、志望校に行けないかもしれない。いまできることをやらないと後悔する――オレはやるぜ!」
ふたりのいい分を聞いて、ぼくはハッとする。
『教師になる』という将来の夢。
いまの困難から逃げたら、夢をつかむなんて、とうてい無理な話なのかもしれない。
目の前の三人をりっぱな執事として、ちゃんと卒業させるんだ。
ぼくは立ちあがって、隣に座る実折くんに、さっきひろったメッセージカードを見せた。
「実折くん。協力してくれないかな」
しかし、実折くんは安蘭くんへチラリと視線をやったあと、首を横に振った。
「いやです。安蘭がいるなら、協力できません」
とたん、安蘭くんがテーブルをバンッと叩く。
「実折! いつまでも、ネチネチふてくされてんじゃねえぞ!」
実折くんが顔をあげて、安蘭くんをするどくにらむ。
「ネチネチ? オレのどこがネチネチしてるんですか」
「オレが、おまえの犬の写真を間違って削除したこと、まだ怒ってんだろ!」
「ベルンの写真を消したこと? ええ、怒ってますよ! オレがベルンことをすごく可愛がっていたこと、知ってるでしょう! あの家でオレには……ベルンしかいなかった……。大すきだったベルン。それほど可愛がっていたベルンの写真を、あなたは消した! そのいいわけが『パソコンなんかに入れてるから、わるいんだろ』ですよ!」
「パソコンなんて、バックアップ……とかなんとか、できるんだろ? してなかったおまえがわるいんじゃないか」
「あのときは、まだ小学生だったんです。そんな方法があることすら、知らなかった。問題は、あなたが自分の過ちを、オレのせいにしたことでしょう!」
「うるせえな。わるかったっていっただろ。何回も」
「誠意がないんですよ、毎回!」
ふたりのケンカは止まるどころか、どんどん加速していく。
ホテルが用意してくれたらしい、テーブルに置かれたクッキーを李豆くんがつまむ。
「実折は大の犬ずきなんだよ。なかでも、昔、飼っていたサモエドって大きな犬種の『ベルン』を特に可愛がってたみたい。でも、天国に行っちゃってからは、写真でしか会えなくなってたから。よけいに安蘭のことが許せないみたいだね」
「うーん。安蘭も謝ってはいるみたいだけど」
「そう簡単には許したくないんだろうね、実折も頑固だから」
「気持ちはわかるけれど……かなり仲がわるくなっちゃったんだね」
「実折の安蘭への態度はかなりのものだよ。安蘭が視界に入っただけで、授業に行かない。安蘭の話が出たとたんに不機嫌になり、どこかへ行く。それでどんどん不登校になったんだ。そんなわけで、インターネットモンスターとして、淡月組入りしたってわけ」
ぼくは李豆くんをチラリと見る。
「李豆くんは、ふたりと仲がいいの? 安蘭くんとは何度も話しているみたいだけど」
すると、李豆くんは苦笑する。
「ぼくは誰とでも、均等だよ。同じくらいの仲のよさ! 親友なんて、いたことないなー」
「へえ。そうなんだ」
「友達は、たくさんいなきゃダメって……親にいわれてきたからさ。それでこんなにも、コミュニケーションをがんばってるってわけ」
苦しそうにいう、李豆くん。
親となにかあったのかな。
ぼくは言葉を選びながらも、はっきりという。
「でもぼくは……友達っていえる友達はいないかな。ずっと、教師になるために勉強してるからね。こんな調子だけど、仲良く話せるクラスメイトはいるし、険悪な関係の子もいない。それでいいと思ってるよ。友達は、ほしいと思ったときに作ればいいと思ってる」
すると、李豆くんは目を丸くして驚いてから、唇を引き結んだ。
「親の言葉に、ずっと縛られてたんだ。たくさんの人と、コミュニケーションをとらないといけないんだって……思いこんでた。でも、主さまの考えかた、すごくいいよ。ぼく、主さまとなら親友に――」
そのとき、安蘭くんがソファから立ちあがる。
「おまえなんかといっしょに、執事なんかやってられるか!」
叫んで、客室を出て行ってしまう。
李豆くんと話しているうちに、とんでもないことになってしまっていたみたいだ。
ぼくは立ちあがって追いかけようとするけれど、体力無尽蔵アスリートにかなうはずもなく、一瞬ですがたを見失ってしまった。
ど……どうしよう。
ぼくが、みんなをまとめないといけないのに――。
こんなんじゃ、『未来の学園長』なんて夢のまた、夢だ。
ぼくが落ちこんでいたからか、李豆くんがあわてて、スマホを出す。
「あ、安蘭にDMを送って、どこにいるか聞く? あ~しまった、そもそもSNS聞いてないから、DMも送れないじゃん!」
ぼくたちが出会ったのは、つい昨日。
連絡先の交換すらしていないもんね……。
すると、実折くんがパソコンをカタカタと叩き出した。
「安蘭の位置が知りたいなら、ここですよ」
「え?」
ノートパソコンのディスプレイを、ぼくたちに見せてくれる。
ここら一帯の周辺の地図が表示され、ホテルの付近で、赤い点が点滅している。
ここは、ホテルの前のコンビニかな。
「でも、どうしてわかるの?」
「簡単です。安蘭にぼくが開発した、ゲームアプリをダウンロードしてもらっているんです。彼に宣伝メールを送り、『位置情報を共有し、現実世界とゲーム世界をリンクさせ、モンスターを捕まえたり、アイテムを集めたりする』という内容のゲームです。安蘭は『面白そう』と思ってくれたのか、すぐにダウンロードしてくれましたよ。なので、彼の位置情報は定期的にぼくのサーバーに送信されています」
インターネットモンスターが、カタカタとキーボードを叩く。
な、なんかすごそうだけど……。
「あの、なんでそんなアプリを開発したの?」
ぼくがたずねると、実折くんはジロリとぼくを見おろす。
「やつの顔を見たくないからですよ!」
「……えっ」
「彼の顔を二度と見ないようにするためには、逆に彼の位置を把握しておく必要があります。学校で彼が近づいてきていたら、わざわざ道を変えます。そのために『安蘭のためだけに』ゲームの運営までしなければならなくなりましたがね。まあ、誤差ていどの労力です」
「安蘭くんのためだけにゲームの運営してるんだ……」
変なところで、変な労力をつかっている、実折くん。
ぼくがあぜんとしていると、安蘭くんの点滅が大きく動き出す。
まるで、どこかへ向かっているようだ。
李豆くんが、パソコンの画面に身を乗り出す。
「主さま。安蘭ってば、帰ろうとしてるんじゃない?」
「いやいや、まさか。いくら安蘭くんでもそんなことはしないよ」
すると、実折くんがぼくの顔をのぞきこんできた。
「安蘭のことをまだわかっていないですね? やつは、自分のやりたいことだけをつらぬくヤツですよ。フィギュアよりも彫刻をやりたい――といったぐあいにね。オレとケンカをしたことで家に帰りたくなったんなら、さっさと帰るやつですよ」
「引きとめないと。シークレットパーティは中断されているだけなんだ。いつ再開されるかわからないし……おじいさまの代理で来てるんだもん。勝手に帰られたら、おじいさまの顔に泥をぬることになるよ」
「なら、引きとめるしかないですね」
そのとき、安蘭くんの点滅は、ある一か所でピタリと止まる。
そこから、動かなくなった。
ホテルから、そんなに離れていない。
「……実折。ここ、どこ?」
李豆くんがたずねる。
「ここは、ギャラリーですね。アーティストの作品を展示できる施設ですよ。あれでも、芸術家のはしくれですから、見に行ったんでしょうかね」
「安蘭くんにはわるいけど、いつパーティが再開するかわからないからね。みんなで行って連れ戻そうか」
ぼくがいうと、李豆くんが「は~い」と返事して、実折くんの腕をつかんだ。
そのまま、ものすごい力で引っ張ってくる。
李豆くんのほうが、実折くんより身長が低いのに……。
「ちょっと、やめてくださいよ」
「だって、来る気なかったよね? だから、引っ張ってるんだよ?」
「わかりましたから。行きますから、引っ張るなっ」
「あはは。敬語くずれちゃったね~」
ケラケラ笑う李豆くんに、鼻にシワを寄せる実折くん。
ぼくはやれやれとおもいながら、執事たちの前に立って走り出した。
■
ギャラリーに駆けこむと、安蘭くんの黒髪とスーツに刺さった赤いバラが見えた。
「安蘭くんっ」
ぼくが駆け寄ると、安蘭くんは驚いたように肩を震わせた。
しかし、李豆くん……そして実折くんも来たのを知ると、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「どうしてここがわかったんだ?」
安蘭くんが尋ねてきたので、ぼくは正直に答えた。
「み、実折くんが、調べてくれて……」
「またお得意のパソコンか?」
皮肉っぽくいう安蘭くんに、実折くんは何も否定しない。
ぼくは、話をそらすように安蘭くんの手を取った。
「ごめんね。いつパーティが再開するかわからないから、おじいさまの手前もあるし、いったんホテルに戻ってほしくて」
「いや、主さま……」
安蘭くんが、ぼくを見る。
「あのメッセージカードを持った間藤さんが、真っ青な顔でここに入っていくのを見た。だから、つい追いかけてきたんだ」
「真っ青な顔をして――? いったい何があったんだろう」
「ああ、今なら話を聞けるかもしれない」
「わかった。みんなで行こうか」
ぼくたちは、ギャラリーの奥の搬入室へと、入っていく。
そこには、たくさんの作品が、シートや布に包まれて保管されていた。
すると、照明が落とされたままの部屋に、人影があった。
ぼくたちの気配を察したのか、人影が声をあげた。
「誰だ?」
「あの、間藤さん……ですか?」
ぼくがいうと、人影が電気をつけた。
舞台でスポットライトを浴びていた、間藤ドヲプがぼくたちを警戒しながら立っている。
「わたしに、何か用かな?」
「あの、何かあったのかとおもって、気になって追いかけてきてしまったんです」
「……そんなに、顔に出ていたのか。いや、新作の絵が心配でね……。ほら、あんなメッセージカードが大量に降ってきただろう? また、『やられた』んじゃないかとおもってしまって」
くしゃり、と髪をかきまぜる間藤さん。
ぼくは、間藤さんのいったことをくり返した。
「やられた――っていうのは?」
「……ここは、わたしの友人が経営しているギャラリーでね。最近、わたしの作品を傷つけるやつがいるから、家の作品を一時的にここに避難させてもらっているんだ。パーティも中断はしているけれど、ちゃんと再開させて、新作のお披露目をしたい。だから、取りに来たんだよ」
「作品を傷つけるやつって――まさか、さっきのメッセージカードの犯人?」
ぼくは、持っていたメッセージカードを見る。
『間藤ドヲプ。十六夜学園に絵を飾るな。さもないと、パーティの邪魔をする』
ぼくは、李豆くんに目配せする。
李豆くんに、間藤さんの身の回りに起きたことについて、くわしく聞いてほしいとおもったんだ。
李豆くんが得意げにうなずき、間藤さんに一歩近づいた。
たくさんの絵が並ぶ棚から、布に包まった大きなキャンバスを取り、間藤さんがホッと息をつく。
「よかった。新作はぶじだ」
「あの、間藤さん。ぼくたち十六夜学園の生徒です。ぼくたち、菅主理事長の代理でここに来てまして……」
キャンバスを布に包みなおし、間藤さんは大事そうにそれを抱えた。
「ああ、正宗氏から聞いてるよ。今回は大変なことになってしまったね。このメッセージカードも――こわかったろう? こんなことが起きるなんて、わたしも動揺しているよ……」
「うちの学校にも、間藤さんの『桜色の海』って絵が飾られているんです。なので、楽しみに来てたので、たしかに驚きました。傷つけられた絵っていうのは、ぶじなんですか? まさか、新作が何年も出なかったのは、そのせいで……?」
すると、間藤さんは深くうなずいた。
「完成品でなかったのが救いだよ。かなり、まいったけれどね。相手にはかなり恨まれているらしい。最近は、怪しいメールもひんぱんに来ているしね」
すると、実折くんがあごに手を添えながらいう。
「間藤さん。そのメールを見せてもらうこと、できないですか?」
「別にいいけど……」
間藤さんが、搬入室の事務机に移動する。
デスクトップのパソコンのメールボックスを開き、メールを開く。
『間藤ドヲプ。もう描くな。これ以上描いたら、さらに絵を描くのを邪魔しなければならなくなるぞ』
「これは、完全に脅迫のメールですね」
実折くんは、デスクチェアに座るとカタカタとキーボードを叩き出す。
「IPアドレスをたどりましょうか」
「なに? それは……?」
ぼくがたずねると、実折くんはていねいに解説してくれる。
「インターネット上での『住所』というと、わかりやすいですかね。メールから送信元のIPを取り出し、調べるんです。これだけならインターネット上の不正行為にはなりませんから」
実折は、数字の羅列とにらめっこしながら、カチカチとマウスを操作している。
「うーん。こういうことは初心者の人なんですかね? 自宅のサーバーから、メールを送っています。県内……しかも近くの市内である可能性が高いですね」
「そんなことまでわかるのっ?」
「いや。いまやったことは、そんなに難しいことでもないですよ」
実折はそういっているけれど、ぼくには何をやったのかさっぱりだ。
李豆くんは、「さすがインターネットくん」なんていっているけれど、安蘭くんは実折くんを仏頂面でにらみつけている。
安蘭くんのことは無視して、実折くんはぼくを見あげた。
「しかし、オレにわかるのは、いったんはここまでですね。わかったことは犯人は県内に住んでいるということ。さらに自宅サーバーを使っているということは、こういうことにあまり慣れていない人物ということでしょうか」
「こういうこと、というと……」
ぼくが念のためたずねると、実折くんは呆れたようにいう。
「相手は、間藤さんに脅しのメールを送っているんですよ。自宅から送ったりすれば、警察が介入すればすぐにわかります。そんなこと、今どきは刑事ドラマや推理小説で描かれていることです。誰もが、くわしくは知らなくても、なんとなくは知っているようなことですよ。ふつう、ネットカフェか何かから送るものでしょう」
「まあ……いわれてみれば?」
「つまりは、相手はあまり本を読まない人間であること、間藤氏を知っている芸術に関心のある人間であること――まだまだ、突き止めるには材料が足りませんね」
実折くんが、かぶりを振る。
すると、間藤さんが感心したようにいう。
「すごいじゃないか。さすがはスーパーエリートを育てる十六夜学園だな」
せっかく褒められたのに、実折くんは首を振る。
「こんなの、少し調べれば誰でもできますよ」
しかしぼくは、実折くんの肩を叩く。
「実折くん。ほんとうに、すごいよ!」
「……別に」
実折くんは、ふいとそっぽを向く。
実折くんが、あまりにも『大したことしてないです』感がすごいから、きちんと褒めたくなったんだ。
間藤さんも、ぼくも、実折くんがすごかったから褒めただけなんだけどな。
実折くんはけっきょく、最後まで居心地がわるそうにしているだけだった。
褒められなれてない、のかなあ?
新作を持った間藤さんと、シークレットパーティー会場に戻ったぼくたち。
さっき降った、大量のメッセージカードはきれいに片付けられていた。
ぼくたちは相談して、会場で不審なことをしている人がいないかを見張ることにした。
「いないねえ……」
「そう簡単に見つかったら、苦労しねえよ」
李豆くんと、安蘭くんがいう。
そのとき、会場が暗くなり、舞台にスポットライトがあたる。
緊張しているようすの間藤さんとともに、布が被せられた大きなキャンバスが舞台のまんなかに運ばれてくる。
間藤さんが、布に手をかけ、マイクを持った。
「それではご覧ください! ついに完成した、間藤ドヲプの新作『新たな旅立ち』です!」
現れた大きなキャンバスには、間藤さんの新作の朝焼けが描かれていた。
きれいな朝焼けに、桜が散っている、とても美しい絵だった。
会場から歓声があがった瞬間、人ごみのなかから、あやしい人影が飛び出してくる。
フードを被り、マスクとサングラスをしていて、顔がよく見えない。
手には、小さなペンキ缶が握られていた。
李豆くんが、叫ぶ。
「主さま! まずいよ、あいつ……絵にペンキをかけるつもりなんじゃないっ?」
まさか……彼がメッセージカードを降らせた犯人?
なんとかしないと……間藤さんの絵が!
「間藤! おまえの絵が……わたしには邪魔なのだ……!」
ペンキ男が、うめくように叫んだ。
ぼくは、とっさに叫ぶ。
「安蘭くん! きみなら、彼に追いつくよねっ?」
体力無尽蔵アスリートである安蘭くんなら、もしかしたら……!
すると、安蘭くんがニヤリと笑う。
「オレは、フィギュアだけじゃない。ぜんぶのスポーツを親にやらされてる。任せな」
いいながら助走をつけ、いきおいよく走り出した安蘭くん。
両手をつきながら、連続でジャンプして、アクロバットに飛んでいく。
あまりの華麗な動きに、再び会場に歓声があがる。
安蘭くんはあっというまに、ペンキ男に追いついた。
ペンキ男は安蘭くんのスピードにひるむが、それでもふたの開いた缶をかまえる。
間藤さんが、キャンバスを守ろうと走り出す。
ぼくは叫んだ。
「安蘭くん! 彼を止めて!」
「止まれってよ! うちの主さまがいってるぜ!」
「……っく」
ペンキ男は、くやしそうな声をあげる。
安蘭くんが長い手で、ペンキ男の腕をつかむ。
その強い力で、男はペンキ缶を舞台の上に落とした。
舞台は汚れたけれど、とりあえずペンキが絵にかかることはなくなった。
とたん、ペンキ男がとつぜんの激しく抵抗し、安蘭くんは手を放してしまう。
ペンキ男は、落ちた缶の側面をつかみ、持ち手を握り、その場から逃げだしてしまう。
「待て!」
安蘭くんが、追いかける。
ぼくも追いかけようとするが、李豆くんに止められた。
「主さまは、ここで実折と待ってて! ぼくが行くから!」
李豆くんが走り出す。
会場はペンキ男の登場に、ざわめきが止まらない。
間藤さんは、ぼうぜんとしている。
今、起こったことが信じられないのだろう。
せっかくの新作のお披露目だったのに……。
このままになんて、しておけない。
ぼくは思わずマイクを握り、間藤さんの隣にたった。
「みなさん――とつぜんの『招かれざる客』に驚かれたことでしょう。しかし、ご覧ください!」
ぼくは間藤さんの新作『新たな旅立ち』、そして舞台上を手のひらで指し示す。
「この舞台の鮮やかな赤――まるで朝焼けのように染まってします。あの、間藤ドヲプの新作お披露目にこのような舞台が現れたのは、運命としかいいようがありません! そうは、思いませんか?」
わあーっ! と、拍手が起こる。
ここにいる人たちは、みんな間藤さんの朝焼けに心を奪われたファンばかりだ。
よかった、わかってくれた。
会場の雰囲気も、すっかりもとに戻ったみたいだ。
ぼくは、間藤さんにマイクをわたす。
間藤さんが、こっそりとぼくに「ありがとう」といい、再びマイクを握る。
「彼の言葉、とても胸にしみました。そうです、今日は新作をみなさんにお届けできる素晴らしい日にしなければ! どうかみなさん、思うぞんぶん、間藤ドヲプの新作『新たな旅立ち』をお楽しみください!」
さっきあったことを忘れようとするかのように、おだやかなパーティが再開される。
そのとき、李豆くんと安蘭くんが帰ってきた。
申し訳なさそうに、うなだれている。
「わるい。逃がした……」
「まったく。安蘭がかけっこで負けるなんてね」
李豆くんがからかうと、安蘭くんが不満そうに顔をしかめた。
「かけっこじゃねえよ! 停めてた車に乗りこまれたんじゃ、追いつけるわけねえだろ」
くやしそうに髪をかきあげる、安蘭くん。
「気にしないで。安蘭くん、李豆くん。おつかれさま」
ふたりは照れくさそうにほほ笑んだ。
「実折くんもお疲れさま」
「別に、オレは何も……」
「何かあったときのことを考えて、いろいろ対策を考えてくれてたんでしょ?」
さっきから、ずっと実折くんはスマホを触っていた。
何かを考えているように。
「ありがとうね」
「……はい、主さま」
実折くんがスマホの画面を閉じて、スーツのポケットに入れたとき。
間藤さんが、お礼をいいに来てくれた。
「十六夜学園の生徒さんたち。今日はありがとう」
「そんな。ぼくたちは、彼を逃がしてしまったので……」
「いや。犯人を阻止してくれた。それだけでも、十分だよ。理事長にも、のちほど連絡を入れさせてもらおう。しかし――大騒ぎのせいで、オートオークションまでやれなかったなあ」
残念そうにいう、間藤さん。
しかし、すぐにポンと手を打つ。
「かならず、近いうちにオートオークションを開くから、きみたち、また来てくれないか?」
「えっ!」
ぼくがうろたえていると、李豆くんに肩を組まれる。
「いいじゃん♡ 主さま! 今度こそ、ぼくたちであいつを捕まえてやろうよ!」
威勢のいい李豆くんに、実折くんがいう。
「捕まえるのは警察の仕事ですよ」
「わかってるよ、うるさいなー」
くちびるを尖らせる、李豆くん。
安蘭くんは、実折くんをかんぜんに無視して、ぼくを見る。
「このこと……理事長に報告したほうがいいよな? アートオークションのことも」
「そうだね……。とりあえず、屋敷に帰ろうか」
ぼくたちは間藤さんにあいさつをすると、すでにホテルの前に、菅主家の車が到着していた。
「あれ? ぼくまだ呼んでいないのに、どうして?」
「オレが呼んでおきましたよ。ペンキ男をふたりが追いかけだしたあたりから、時間を逆算し、今くらいの時間には帰宅できるだろうと思いまして」
「す、すごいね……」
実折くんのかんぺきな執事ぶりに、安蘭くんが苦い顔をした。
「オレと桃井がヤツを追ってるときに、ずいぶんとのん気なもんだな」
「主さまの執事としての仕事をしたまでです。何かいけませんかね?」
「お得意の計算が主さまの役に立ててよかったなあ?」
「きみのバカみたいな体力でも、主さまの役に立てるのだから、りっぱなものですね」
ふたりのあいだに、バチバチとした火花が見える……。
李豆くんが、「あーもう」と息をつきながら、後部座席の扉を開けた。
「主さま。車に乗って。運転手さんが待ちくたびれちゃうよ。こいつらは置いて行こう」
いいながら、ぼくを押しこんで、自分も後部座席に乗りこむ李豆くん。
それに気づいたふたりが、声をそろえた。
「おい、置いてくな!」
「ちょっと、置いて行かないでくださいよ!」
同じこといってる。
なかがいいのか、わるいのか、わからなくなってきたなあ。
■
屋敷に帰ると、おじいさまが両手を広げて、出迎えてくれる。
「おお。おかえり。実縫。そして、その執事たち!」
「おじいさま! まったくもう。大変だったんですよ」
ぼくがいうと、李豆くんがうんうん、とうなずく。
「本当だよ! 理事長~。あんなことが起きるなんて聞いてないって~!」
おじいさまは、ちょいちょいと手招きする。
「まあ、わたしの部屋に来なさい。三人とも、引き続き、執事としての仕事をお願いできるかな。ティーワゴンに紅茶のセット、茶菓子を乗せて、持って来ておくれ」
すると、李豆くんがノリノリで手を胸にあて、礼をする。
「かしこまりました♡ 理事長」
背筋を伸ばして、厨房のほうへと歩いて行く。
安蘭くんと実折くんは、戸惑いながらもぺこり、とお辞儀をして、李豆くんに着いていく。
ぼくは心配になり、あとを追おうとするけれど、おじいさまに止められてしまった。
おじいさまは、二階への階段をあがっていく。
「大丈夫だよ。執事になるためのレッスンは、すでに三人とも受けているんだからね。内申点のためだ、三人ともしっかりと勉強していたよ」
「そ、そうですか」
二階のつきあたりが、おじいさまの部屋だ。
おじいさまはソファに座り、向かい側をぼくにすすめてくれる。
「間藤さんから聞いたよ。大変なことになってしまったそうだね」
ぼくは、桜色のスーツのタイをゆるめる。
「ですが、みんな、それぞれがんばってくれました」
「そうか。三人ともまったく違う個性だからね。それで実縫は、彼らの主人としての務めを果たせたかい」
「……いえ、ぜんぜん。なかなか三人をまとめることができなくて、安蘭くんと実折くんはケンカばかりでした。李豆くんも、あまりふたりとは仲がよくないみたいで」
「そうか。しかし、このハードルを乗り越えた先の景色はきっと素晴らしいぞ」
「は、はあ……」
おじいさまは、長い教師人生をおくったのち、この十六夜学園を作った。
いろいろなことを経験してきたからこそ、いえる言葉なのはわかるけれど。
いまのぼくには、なかなかむずかしいことばかりだ。
そのとき、部屋のドアがコンコンとノックされる。
執事たちが戻ってきたのだ。
実折くんが、ティーワゴンを押しながら、入ってくる。
安蘭くんがワゴンからケーキスタンドと、デザート皿を取り、並べる。
李豆くんが、ぼくとおじいさまのもとへきて、胸に手を当てる。
「音楽は、何になさいますか?」
「では、ボサノバのプレイリストにしようか。実縫もそれでいいかい?」
「は、はあ」
「承知いたしました」
李豆くんが、オーディオを操作しはじめる。
するとスピーカーから、ここちのいいボサノバが流れはじめる。
実折くんが淹れてくれた紅茶が、ぼくたちの前に静かに置かれた。
安蘭くんが、デザートを盛りつけてくれる。
「実縫さま、正宗さま。ごゆっくりとお過ごしください」
さっきまでの素っ気ない態度が嘘のような、実折くんの完璧なお辞儀。
安蘭くんも李豆くんも、扉の前にひかえている。
す、すごい。
これが、菅主家のスーパーエリートになるための執事教育。
「実縫、聞いたよ」
「え?」
おじいさまが紅茶を飲みながら、ゆったりという。
「間藤氏に、アートオークションにも来てほしいといわれたそうだね」
「いや、それはその」
「あの間藤さんに気に入られるとは、さすがは我が菅主家の跡取り息子だ。『人たらしの菅主さま』は伊達じゃないな」
まさか、おじいさまにまで、あの異名を知られていたなんて。恥ずかしすぎる。
「もちろん頑張りますが、その……まだ、執事たち三人と親睦も深めていないのに、大きな仕事を二回も連続でつとめるなんて無茶では……」
「それじゃあ、親睦を深めたらいいさ」
「へっ」
「四人で絆を深めるため、我が十六夜学園の昇降口にふさわしい絵を四人で相談し選んで、飾ってみておくれ」
ぼくたち四人は顔を見あわせて、ぽかんとする。
いまの十六夜学園の昇降口、入ってすぐの正面には大きな絵画が飾られている。
風景画なのだけれど、誰が描いたものなのか、どこを描いたものなのか、タイトルもなにも知らない。
「えっと、あの絵を違う絵に変える、ということですか?」
「ああ、よろしく頼むよ。四人で決めておくれ」
にっこりとほほ笑むおじいさまに、ぼくたちは不安そうに目配せをした。



