君に届くのは、10分の1だけ

見慣れた、几帳面な字。
でも、自分の字じゃない。

柚希の字だった。

あとから書き足された一言。


> 少しでも長く生きてね。
> あの日、私を見つけてくれてありがとう


その瞬間、
時間が止まったみたいだった。

律は呼吸を忘れる。

あの日、が
どの日を指しているのか、迷わなかった。

冬の屋上。
白い息。
フェンスの前で、今にも消えてしまいそうだった柚希。

あのときのことを、
柚希はずっと覚えていたのだと分かった。

少しでも長く生きてね。

二十三歳で揃うはずだったページに、
そう書いてある。

揃う、じゃない。

少しでも長く生きてね。

それは、二人で同じところへ来る約束じゃない。
自分だけが、その先まで行けと言う言葉だった。

律の手が震える。

「……違うだろ」

声になったのは、
自分でも驚くくらいかすかな音だった。

二十三歳で揃うって、
あのとき二人で決めたのに。

揃えてくれたんだ、と思っていた。
少なくとも、あの日まではそうだった。

苦しかったけれど、
最後はちゃんと約束どおりにしてくれたんだと、
どこかでそう思おうとしていた。

でも、違った。

違ったんだ、と
その一行が容赦なく突きつけてくる。

全部、だったのかもしれない。

あの日の「さようなら」。
少しだけやさしかった声。
何かを確かめるみたいに見ていた目。
マフラーを無理やり巻いたこと。
いつもより変だったこと。

全部、そういうことだったのか。

律はノートを持ったまま、うつむく。

決めていたのかもしれない、と思う。
いや、きっと決めていた。

あの信号の前で。
その前の夜に。
もっと前から。

自分だけが気づかなかった。

柚希が一人で決めないと言ったのに、
その先でまた一人で決めるしかなくなっていたことに。

律はノートの上に、ぽたりと水滴が落ちたのを見た。

泣いているのだと、
それで初めて気づく。

でも、気づいたところで止められなかった。

息がうまくできない。
喉が痛い。
胸の奥が、遅れて裂けるみたいに苦しい。

声が出たのか、
ただ息が崩れただけなのか、
律自身にも分からなかった。

ただ、ちゃんと泣いていた。

美術室には誰もいない。
だから余計に、
その静けさの中で泣くしかなかった。