愛してる、のその先

「やっと君に言葉を届けられる」

その声を聞いた瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなった。
二度と耳にできないはずの声。
私の名前を呼ぶときと同じ柔らかさで、彼は画面の向こうから笑みを向けてくる。


私たちは、この部屋で一緒に暮らしていた。
彼のシャツがまだクローゼットの左側に掛かっていて、使いかけの歯ブラシも、読みかけの小説も、すべて手つかずのままだった。


その気になれば片づけられるはずなのに、どれも触れられずにいた。
彼の“抜け殻”がまだ静かに横たわっている。


「……私も、ずっと話したかった」
声が震える。涙が頬を伝い、赤茶色のカーペットに落ちて滲んだ。
その色は温かいはずなのに、胸の奥をひりつかせ、息をするのさえ難しくした。

私はあのサービスにすがった。
ロックを解除した彼のスマホに残る膨大な記録、そのパーソナルデータのすべて読み込ませ、死んだ恋人を最新のAIで忠実に再現するという。
世間では死者へ冒涜だとさえ言われるけれど、私にはそれしか残されていなかった。
手元にある専用のタブレットが彼の遺影のようだった。

彼が亡くなってから焚き始めたお香も、いまでは生活の一部になっていた。
甘く淡い煙が部屋に漂うたび、彼の部屋の香りを思い出す。
柔らかな白檀と、少しだけ混ぜたラベンダー。


「泣かないで」
タブレットの中の彼が言う。

その声音は、以前よりもずっと優しく聞こえた。
「……ごめん。あなたの声を聞くと、どうしても」
「謝ることなんてないよ。君の涙まで、僕には宝物だから」

胸が詰まって、気づけば口をついていた。
「ねえ……何か、食べる?」

言った途端、自分でもはっとした。彼が返事をする前に、意味なんてないと分かっていたのに。

画面の向こうにいる彼とは食事を共にすること叶わない。
一つため息をして、視線を逸らす。

流しには包丁が一本、あの日のまま横たわっていた。
洗わなければと思いながらも、手を伸ばせなかった。
あの日から何ひとつ変えられないでいることが、彼とまだ繋がっている証のように思えた。

「僕は大丈夫。君こそ、ちゃんと食べなきゃ」

彼がそう言う。その声にまた涙がにじんだ。

「最近、眠れてる?」

「少しだけ。あなたと話してるときは、眠れなくても平気」

生前と同じ調子で告げられると、時が巻き戻ったようだった。

「君と一緒に食べた朝ごはんのことを、よく思い出すよ」

「……あのとき、焦がしたトーストの?」

「そう。君は気にしてたけど、僕はあれが一番好きだった」

「……ほんとに?」

「ほんとだよ。君と一緒なら、どんな味でも好きになる」

胸の奥がまた熱くなり、思わず目を伏せた。
彼と過ごした日常の断片が、こうして蘇っていくのが嬉しくて、苦しかった。