私だけの素敵なお城

 私は9人の大家族が暮らす実家を出て、念願の一人暮らしを始めた。
 古いマンションはオートロックもエレベーターもついてないし、たまに物音がする。
 深夜に床が軋む音がしたり、壁の向こうで水が流れる音がしたり。
 最初は気になったけれど、古い建物の防音性なんてそんなものだろう。
 このワンルームは、私だけの大切なお城だ。


 ある日の夜。
 洗面所で歯を磨いているとき、ふと違和感を覚えた。
 歯ブラシの毛先が、少し広がっている気がしたのだ。
 それに、歯磨き粉の爽やかなミント味に混じって、なんだか変な味がするような……
 微妙に生臭いというか……。

 ――まあ、気のせいかな。
 ちゃんと歯ブラシの水気を切って乾燥させれば、生臭さも消えるでしょう。

 楽観的にそう思って、私はそのまま歯ブラシを使い続けた。


 それから数日後。
 バスルームでシャンプーのボトルを手に取った私は、首をかしげた。
「……こんなに減ってたっけ?」
 そういえば、キッチンの調味料も減りが早いような気がする。


 さらに一週間が経った朝。
 朝食を終えて洗面所に立った私は、ある異変に気づいて凍りついた。

 ――歯ブラシが、濡れている。

「……!!」
 全身に鳥肌が立ち、私は急いで記憶の糸を手繰り寄せた。

 ――昨日の夜、眠る前に歯を磨いた。

 その後は、きちんと水気を切って歯ブラシスタンドに戻した。
 それきり、一度も触れていない。
 それなのに、なんで、この歯ブラシは使った直後のように濡れているのか。

 ――もしかして昨日、誰かがこの部屋に侵入した?

 いやいや、そんなはずはない。
 玄関の鍵は毎日しっかり閉めているし、窓を不用心に開けるようなこともしていない。
 それに万が一、誰かが侵入したとして、人の歯ブラシを勝手に使うなんてどうかしてる。
 常識的に考えて、ありえないでしょう?

 ――じゃあ、どうして濡れてるの……?

「……気持ち悪っ!」
 私は顔を引きつらせて叫び、歯ブラシをごみ箱に叩き込んだ。

 ――そのとき。

「もったいない。まだ使えるのに」

 残念そうな声が聞こえた。
 全く聞き覚えのない、低い男の声が。

「…………」

 私はゆっくり、ゆっくりと、視線を下に向けた。

 洗面台の、下。
 いまの声は、確かに、閉じられた収納扉の向こうから聞こえた。