アレカレ!

 夏休みに入ってから――私は毎日のように、七五三くんの家に通った。
 七五三くんちは田舎にあるから、なんだかとっても涼しい。

 言い方は悪いけど、ちょっと避暑地みたいな感じ?
 彼氏の家が山の近くって、ケッコー良いものです。

 しかしそれにしても……今年の夏は暑い!

 これって、どうなの?
 温暖化?
 まぁ、色んな説があるみたいだけど、ホントのとこはどうなんだろう?

「毎日、暑いよね……」

 宿題の手を止め、私は彼に言う。
 私たちの勉強部屋は、幽霊屋敷のリビング。

 魔法陣みたいな絨毯。壁に貼られたキテレツなお札。 ニンニクの束。
 古くてぶ厚い書物、部屋中を取り囲むカラスたちの剥製。

 はい。
 私、そろそろマジで慣れてきました……。

「どうしてこんなに暑いんだろ? せっかくクーラーをつけてるのに」

「クーラーが耐えられる外気温は、基本43度なんだ。つまり外の気温は、今、43度以上なんだろうね。そうなると、クーラーもなかなか上手く機能しなくなってくる」

「43度……マジか……だからこんなに暑いんだね……」

「ねぇ、葉月さん――」

 宿題から顔を上げ、七五三くんが言う。

「そろそろお昼だよね」

「あぁ、ごめんなさい。そろそろ私、帰るよ」

「いや、そうじゃなくて。良かったら、ソーメン食べない?」

「ソーメン? いや、いいよ。いつもごちそうになってばっかだし」

「いや、良かったら食べてもらえないかな? おじいちゃん宛てに、日本中のアチコチからよく送られてくるんだ。ボク一人じゃ、とてもじゃないけど食べきれなくて」

「そっか。うん。それじゃあ、いただいちゃおっかな」

 七五三くんのおじいさまは、生前オカルト研究家だった方。
 だからアチコチの土地に、お友だちがいたんだろう。
 って言うか――みんな、おじいさまが亡くなったこと、知らないの?

 七五三くんが、台所の方に歩いていく。
 十五分くらい待った頃、ソーメンのセットを持ってきてくれた。

 小皿の上には――ネギ、錦糸タマゴ、キュウリ、ミョウガ、シイタケを煮たもの。
 自家製のつゆ、チューブじゃないワサビ。

 はい。
 私の彼氏・七五三くんは、どんな料理でも作れます。
 私の出る幕なんかございません。
 しかも盛り付けは、お店レベルで美しかったりするのです。

「なんか……七五三くんって、フツーに一人暮らしができてるよね……」

「そう?」

「やっぱり私も女子として、料理を作る練習とか、するべきなんだろうか?」

「女子としてって、何?」

「いや、だって、女の子は、やっぱ料理が上手な方が――」

「家庭料理なんか、誰にだって作れるよ。作れる人が作ればいいんじゃないかな?」

「そ、そうなのかな?」

「世の中にはね、もっと大事なことが色々あるよ。料理に人生をかけるのは、料理人だけでいいんじゃない? 彼らは本当に神業的な技術を持っているからね」

 いや、でも、勉強は七五三くんの方ができるし。
 私、木登りとかできないし。
 料理どころか何もかも、私、七五三くんよりすごいとこが、ただの一つもないんですけど?

 そんなことを考えながら、私はズズズッとソーメンを食べる。
 やっぱ七五三くん、ソーメンを茹でるのも上手いなぁ……。
 絶妙なタイミングで、キリッと氷水でしめてある。

「ところで、葉月さん」

「ん?」

「今日、お祭りがあるよね?」

「うん。え? 何? もしかして七五三くん、私といっしょにお祭りに行ってくれるの?」

「いや、行かない」

「キッパリ……キッパリすぎるでしょ、それ……」

「じゃあ今日のキミは、少し遅くまで外出できるのかな?」

「限度があるけど。まぁ、お祭りが終わる時間くらいまでなら……」

「だったら――夕方、水着を持ってウチに戻っておいでよ」

「み、水着?」

「うん。暑いんだろ? いいとこに連れてってあげる」

「そ、それは、まぁ、いいけど……」

「じゃあ、準備があるから、ボクはこれで。食器はそのままにしておいて。勝手に帰ってくれていいから」

「え? ちょ、何なの、七五三くん? 準備って、何の準備?」

「宇宙だよ」

「う、宇宙?」

「うん。それじゃあ、また夕方ね!」

 そう残すと、七五三くんはリビングから出ていった。
 幽霊屋敷の謎リビングに座ったまま、私はソーメンの続きを食べる。

 な、何なんでしょう、私の彼氏?
 フツー、ソーメンと彼女を残して、どこかに行きますか?

 ま、いいですけどね。
 私、ソーメン、食べますけど。

 でも――なんで水着?
 って言うか、宇宙って、何?

 どこよ?
 Whereよ?

 ここらへんに、夜間営業してる『宇宙』ってプールがあるのかな?
 いや、でも、ここらへん、コンビニすらありませんよね……。

       𖧧

 自転車で家に帰ると、私はすぐに水着の用意をした。
 色々バッグに詰め込んでいる私を見て、ママが言う。

「あらら? 彼氏くんとお祭りですか? いやん、妬けちゃう」

 ウチの親は、放任主義。
 私に彼氏がいようがいまいが、まったく気にしないご様子。

『うん。あのね、ママ。今日はめちゃくちゃ暑いから、彼氏といっしょに宇宙に行ってくるよ♪』

 こんなことを言ったら、ママは一体どんな顔をするだろう?
 逆に、『宇宙なんか行っちゃいけません!』とか、真顔で止められたりして。
 だから私は、「ご想像におまかせいたします」と笑っておいた。

 夕方になり、あたりが夕やけに染まりはじめる頃、私は家を出る。
 浴衣姿の人々とは、まったく逆の方向にペダルを漕いだ。

「やぁ、葉月さん! いらっしゃい!」

 おじいさまの幽霊屋敷から出てきた彼は、いきなり、もぉ、やる気満々だった。
 頭の上に乗っけた、ゴーグルタイプの水中メガネ。
 学校指定の、男子用・紺色スク水……。
 まぁ、私だって、スク水なんですけどね……。

「な、七五三くん……めっちゃやる気じゃないですか……」

「うん。じつはボクも、宇宙に行くのはひさしぶりなんだ。だから、もうさっきからウズウズしてるよ!」

「でも『宇宙』って、何? どこ? どうやっていくの? 七五三くん、スク水で自転車に乗るの?」

「いや、歩いていく」

「歩いて?」

「葉月さんも、水着に着替えてきてよ」

「いや、私、服の下に着てる」

「キミだって、めちゃくちゃやる気じゃないか」

 そうほほ笑んで、七五三くんが私に手を差し出してくる。

「それじゃあ、手をつなごう。転ぶといけない」

 私は、彼の手をとる。
 手をつなぎ、七五三くんの家を出ると――彼はなぜか、私をお屋敷の裏手に導いた。

 そこは、なんだか森のような場所だ。
 少し、薄暗い。
 時間も夕方から夜になる中間だから、木々の奥はもう夜みたいだった。

「『宇宙』ってとこ、七五三くんちの裏側にあるの?」

「葉月さん」

「ん?」

「宇宙って、一体どこにあると思う?」

「ホントの宇宙のこと? それなら、あっちでしょ?」

 人差し指を立て、私は空の向こうを指さす。
 その回答に、彼は少しだけ肩をすくめた。

「宇宙ってね、じつは色んなとこにあるんだ」

「色んなとこ?」

「うん。もちろん、今のキミの答は正解だ。でも、いつだって、どこだって、答っていうのは複数あるものなんだよ。一つだけなんてことは、ゼッタイにない」

「複数……」

 歩きながら、彼が自分の胸を押さえる。

「たとえば、ここ――ボクの心の中にも宇宙が存在する。内《うち》宇宙《うちゅう》と呼ばれる宇宙だ」

「内、宇宙……」

「そう。内宇宙は、誰の心の中にもある。そこはまるで、空の向こうにあるあの宇宙と同じように、無限に広がっている」

「無限に……」

「海の底にも、宇宙はある」

「海の底にも?」

「うん。深海は、地球内部に存在する宇宙だと言われてる。実際のところ、深海は宇宙と同じくらい、人類には何もわかってないんだ。そもそも到達したことがない」

「ないんだ……」

「あとは、まぁ、原子・素粒子・量子力学の世界にも宇宙は存在するよね。『ミクロ宇宙』だ。インターネットだって、『サイバー宇宙』だろ?」

 七五三くんの言ってることが、私にはめちゃくちゃムズすぎる。
 一体、何を言ってるのか、きっかけさえつかめない。

 私たちは、森のさらに奥へと歩いていく。
 静かだ……。
 とても静かな場所だった……。

「そして今からキミに紹介するのは、ボクのおじいちゃんの宇宙だ。ここはね、誰も来れない宇宙なんだよ?」

「誰も、来れないの?」

「うん。今、この宇宙に入れるのは、ボクだけだ。でもキミはボクの彼女だから、特別に招待したい」

「ス、スク水で?」

「スク水で」

 七五三くんが、いきなり立ち止まる。
 彼が指さした方向を見て、私は「え……」とそこを見つめた。

「これがおじいちゃんの宇宙だよ。彼はいつも夏になると、この場所でのんびりしてたんだ」

       𖧧

 そこに広がっていたのは――まるで月面のような空間だった。
 ゴツゴツとした、灰色の世界。
 岩みたいものがポツポツと転がっていて、その中央に大きな水のたまりがある。

「こ、これは……宇宙と言うか……お、お風呂、的な? ろ、露天風呂?」

「まぁ、みんなはそう呼ぶかもね。でもボクもおじいちゃんも、ここを『宇宙』と呼んでいた」

「う、宇宙といえば……まぁ、宇宙っぽいけど……」

「さぁ、入ろう。水は裏山から流れてくる清水(せいすい)だ。午後から水を止めて、きちんと掃除もした。飲めるし、泳げる」

 私と七五三くんは手をつないだまま、その水に足を()けていく。

「ひゃっ!」

 な、何、これ?
 め、めちゃくちゃ冷たいよ!
 この夏の暑さが、一瞬でゼロになるくらい!

「う、うわぁ……すごく冷たい……でも、気持ちいい……」

「まず足から水温に慣らしていこう。いきなり飛び込んだら、心臓に悪い」

「りょ、了解」

 ヒザから下だけを水に浸け、私はバシャバシャと揺らしてみる。
 この水、なんだかプールの水と全然違う。
 本物の水、って感触だ。

「慣れてきたら、少しずつ体を浸けるといい。この暑さなんか、すぐに吹っ飛ぶよ」

 私から手を離し、七五三くんが腰まで水に浸かった。
 頭の上の、水中メガネをかける。
 大きく息を吸い込むと、頭のてっぺんまで水の中にもぐりこんだ。
 数秒で、ザバーンと顔を上げてくる。

「わぁ! やっぱりこの宇宙は最高だよ! 冷たくて気持ちがいい!」

「わ、私もやってみよっかな」

 なんだか七五三くんがうらやましくなって、私もその場で服を脱ぐ。
 はい。
 学校指定の紺色スク水です。
 オシャレとか、可愛いとか、そういうのは全然ありません。

 ゆっくりと、その水の中に下りていく。
 彼と同じように、水の底にもぐってみた。

 ホッペタに、冷たい水の感触が広がっていく。
 毛根に、心地良い冷たさがしみ込んでいった。
 息が苦しくなると、私はその場から勢いよく立ち上がる。

「め、めちゃくちゃ気持ちがいいよ! 猛暑なんか、全然気にならないレベル! 毎日でも入りたい!」

「ははははは。だったら毎日、水着を持ってくるといいよ。キミさえよければ、ここで宿題をやってもいい」

「でも、ここってたしかに宇宙だね! ルックスが宇宙っぽい! 月面みたい!」

「いや、ホントはね、ここはもっともっと宇宙なんだ」

「もっともっと宇宙?」

「ほら、来た」

 七五三くんがアゴ先で示した方向を見ると、そこには一つの小さな光が見えた。
 とてもとても、小さな光。
 あれは……ホタル?

「この森の向こうに、とても綺麗な川があるんだ。そこにはね、ホタルの幼虫のエサになる巻貝が生息している。暗いし湿度もあるから、ホタルがたくさん育つんだよ」

 彼の説明を聞いているうちに、たくさんのホタルが集まってくる。
 こ、こんなことってある?
 あっという間に、ありえない数のホタルたちがこの暗闇を飛びはじめていた。

「ちょっと待ってて」

 そう言って、七五三くんが水から出ていく。
 一人で水に浸かったまま、私は次から次へと増え続けるホタルたちの輝きを見つめた。

 こ、これは、たしかに宇宙!
 真っ暗な宇宙空間に、キラキラした小さな星たちが揺れている!

 宇宙!
 宇宙だよ、これ!

「どう、葉月さん? おじいちゃんの宇宙」

「す、すごいよ! めちゃくちゃ、宇宙だよ!」

「スイカ、食べるよね?」

 いつの間にか、七五三くんがスイカを手にしている。
 すごく、大きなスイカ。
 持ってきた包丁とまな板で、彼がそれを切り分けはじめた。

「近所の農家さんがくれたんだ。すぐそこの井戸で冷やしてた。ボク一人じゃ食べ切れないから、葉月さんも手伝ってよ」

「手伝う、手伝う! 私、めちゃくちゃ手伝うよ!」

 それから私たちは、宇宙に座ってスイカを食べた。
 足を水に浸け、宇宙の星々、って言うかホタルたちをながめながら、おいしいスイカを食べる。
 昼間が猛暑だからか、蚊もいない。

 綺麗だ……綺麗だよ……。
 こんな夏、フツー過ごせる?

「ねぇ、七五三くん」

「何?」

「さっきあなたが言ったみたいに、宇宙って、空の向こうにあるものだけじゃないんだね」

「うん。宇宙は、どこにでもある。そしてどんな宇宙も、まるで無限のように広がってる」

「あのね、七五三くん」

「うん」

「今日の、この素敵な宇宙は――たぶん一生、私の内宇宙に残っていくと思うよ」

「だったらうれしいな。でもキミの内宇宙は、無限だ。ボクはいつか、その無限の宇宙を、素敵な思い出で埋めつくすことができるんだろうか? その、彼氏として」

「どうだろ? でも私は彼女として、七五三くんの内宇宙を素敵な思い出でいっぱいにするつもりだよ」

 私たちはほほ笑み合い、キラキラと輝くホタルの星たちを見上げる。

 ホタルの命は短いと、昔どこかで聞いたことがある。
 星の寿命も短いと、昔何かで読んだことがある。

 でも――私と七五三くんが見てるこの宇宙は、ずっとずっと永遠だ。
 少なくとも、私の心の内宇宙には、いつまでも残り続けるだろう。

 宇宙で食べる、よく冷えたスイカ――おいしいね、七五三くん。
 私たちはきっと、人類史上初、宇宙でスイカを食べた二人だよ♪

 地球は、今の私たちの姿を、自分の内宇宙に覚え続けていてくれるかな?