夏休みに入ってから――私は毎日のように、七五三くんの家に通った。
七五三くんちは田舎にあるから、なんだかとっても涼しい。
言い方は悪いけど、ちょっと避暑地みたいな感じ?
彼氏の家が山の近くって、ケッコー良いものです。
しかしそれにしても……今年の夏は暑い!
これって、どうなの?
温暖化?
まぁ、色んな説があるみたいだけど、ホントのとこはどうなんだろう?
「毎日、暑いよね……」
宿題の手を止め、私は彼に言う。
私たちの勉強部屋は、幽霊屋敷のリビング。
魔法陣みたいな絨毯。壁に貼られたキテレツなお札。 ニンニクの束。
古くてぶ厚い書物、部屋中を取り囲むカラスたちの剥製。
はい。
私、そろそろマジで慣れてきました……。
「どうしてこんなに暑いんだろ? せっかくクーラーをつけてるのに」
「クーラーが耐えられる外気温は、基本43度なんだ。つまり外の気温は、今、43度以上なんだろうね。そうなると、クーラーもなかなか上手く機能しなくなってくる」
「43度……マジか……だからこんなに暑いんだね……」
「ねぇ、葉月さん――」
宿題から顔を上げ、七五三くんが言う。
「そろそろお昼だよね」
「あぁ、ごめんなさい。そろそろ私、帰るよ」
「いや、そうじゃなくて。良かったら、ソーメン食べない?」
「ソーメン? いや、いいよ。いつもごちそうになってばっかだし」
「いや、良かったら食べてもらえないかな? おじいちゃん宛てに、日本中のアチコチからよく送られてくるんだ。ボク一人じゃ、とてもじゃないけど食べきれなくて」
「そっか。うん。それじゃあ、いただいちゃおっかな」
七五三くんのおじいさまは、生前オカルト研究家だった方。
だからアチコチの土地に、お友だちがいたんだろう。
って言うか――みんな、おじいさまが亡くなったこと、知らないの?
七五三くんが、台所の方に歩いていく。
十五分くらい待った頃、ソーメンのセットを持ってきてくれた。
小皿の上には――ネギ、錦糸タマゴ、キュウリ、ミョウガ、シイタケを煮たもの。
自家製のつゆ、チューブじゃないワサビ。
はい。
私の彼氏・七五三くんは、どんな料理でも作れます。
私の出る幕なんかございません。
しかも盛り付けは、お店レベルで美しかったりするのです。
「なんか……七五三くんって、フツーに一人暮らしができてるよね……」
「そう?」
「やっぱり私も女子として、料理を作る練習とか、するべきなんだろうか?」
「女子としてって、何?」
「いや、だって、女の子は、やっぱ料理が上手な方が――」
「家庭料理なんか、誰にだって作れるよ。作れる人が作ればいいんじゃないかな?」
「そ、そうなのかな?」
「世の中にはね、もっと大事なことが色々あるよ。料理に人生をかけるのは、料理人だけでいいんじゃない? 彼らは本当に神業的な技術を持っているからね」
いや、でも、勉強は七五三くんの方ができるし。
私、木登りとかできないし。
料理どころか何もかも、私、七五三くんよりすごいとこが、ただの一つもないんですけど?
そんなことを考えながら、私はズズズッとソーメンを食べる。
やっぱ七五三くん、ソーメンを茹でるのも上手いなぁ……。
絶妙なタイミングで、キリッと氷水でしめてある。
「ところで、葉月さん」
「ん?」
「今日、お祭りがあるよね?」
「うん。え? 何? もしかして七五三くん、私といっしょにお祭りに行ってくれるの?」
「いや、行かない」
「キッパリ……キッパリすぎるでしょ、それ……」
「じゃあ今日のキミは、少し遅くまで外出できるのかな?」
「限度があるけど。まぁ、お祭りが終わる時間くらいまでなら……」
「だったら――夕方、水着を持ってウチに戻っておいでよ」
「み、水着?」
「うん。暑いんだろ? いいとこに連れてってあげる」
「そ、それは、まぁ、いいけど……」
「じゃあ、準備があるから、ボクはこれで。食器はそのままにしておいて。勝手に帰ってくれていいから」
「え? ちょ、何なの、七五三くん? 準備って、何の準備?」
「宇宙だよ」
「う、宇宙?」
「うん。それじゃあ、また夕方ね!」
そう残すと、七五三くんはリビングから出ていった。
幽霊屋敷の謎リビングに座ったまま、私はソーメンの続きを食べる。
な、何なんでしょう、私の彼氏?
フツー、ソーメンと彼女を残して、どこかに行きますか?
ま、いいですけどね。
私、ソーメン、食べますけど。
でも――なんで水着?
って言うか、宇宙って、何?
どこよ?
Whereよ?
ここらへんに、夜間営業してる『宇宙』ってプールがあるのかな?
いや、でも、ここらへん、コンビニすらありませんよね……。
𖧧
自転車で家に帰ると、私はすぐに水着の用意をした。
色々バッグに詰め込んでいる私を見て、ママが言う。
「あらら? 彼氏くんとお祭りですか? いやん、妬けちゃう」
ウチの親は、放任主義。
私に彼氏がいようがいまいが、まったく気にしないご様子。
『うん。あのね、ママ。今日はめちゃくちゃ暑いから、彼氏といっしょに宇宙に行ってくるよ♪』
こんなことを言ったら、ママは一体どんな顔をするだろう?
逆に、『宇宙なんか行っちゃいけません!』とか、真顔で止められたりして。
だから私は、「ご想像におまかせいたします」と笑っておいた。
夕方になり、あたりが夕やけに染まりはじめる頃、私は家を出る。
浴衣姿の人々とは、まったく逆の方向にペダルを漕いだ。
「やぁ、葉月さん! いらっしゃい!」
おじいさまの幽霊屋敷から出てきた彼は、いきなり、もぉ、やる気満々だった。
頭の上に乗っけた、ゴーグルタイプの水中メガネ。
学校指定の、男子用・紺色スク水……。
まぁ、私だって、スク水なんですけどね……。
「な、七五三くん……めっちゃやる気じゃないですか……」
「うん。じつはボクも、宇宙に行くのはひさしぶりなんだ。だから、もうさっきからウズウズしてるよ!」
「でも『宇宙』って、何? どこ? どうやっていくの? 七五三くん、スク水で自転車に乗るの?」
「いや、歩いていく」
「歩いて?」
「葉月さんも、水着に着替えてきてよ」
「いや、私、服の下に着てる」
「キミだって、めちゃくちゃやる気じゃないか」
そうほほ笑んで、七五三くんが私に手を差し出してくる。
「それじゃあ、手をつなごう。転ぶといけない」
私は、彼の手をとる。
手をつなぎ、七五三くんの家を出ると――彼はなぜか、私をお屋敷の裏手に導いた。
そこは、なんだか森のような場所だ。
少し、薄暗い。
時間も夕方から夜になる中間だから、木々の奥はもう夜みたいだった。
「『宇宙』ってとこ、七五三くんちの裏側にあるの?」
「葉月さん」
「ん?」
「宇宙って、一体どこにあると思う?」
「ホントの宇宙のこと? それなら、あっちでしょ?」
人差し指を立て、私は空の向こうを指さす。
その回答に、彼は少しだけ肩をすくめた。
「宇宙ってね、じつは色んなとこにあるんだ」
「色んなとこ?」
「うん。もちろん、今のキミの答は正解だ。でも、いつだって、どこだって、答っていうのは複数あるものなんだよ。一つだけなんてことは、ゼッタイにない」
「複数……」
歩きながら、彼が自分の胸を押さえる。
「たとえば、ここ――ボクの心の中にも宇宙が存在する。内《うち》宇宙《うちゅう》と呼ばれる宇宙だ」
「内、宇宙……」
「そう。内宇宙は、誰の心の中にもある。そこはまるで、空の向こうにあるあの宇宙と同じように、無限に広がっている」
「無限に……」
「海の底にも、宇宙はある」
「海の底にも?」
「うん。深海は、地球内部に存在する宇宙だと言われてる。実際のところ、深海は宇宙と同じくらい、人類には何もわかってないんだ。そもそも到達したことがない」
「ないんだ……」
「あとは、まぁ、原子・素粒子・量子力学の世界にも宇宙は存在するよね。『ミクロ宇宙』だ。インターネットだって、『サイバー宇宙』だろ?」
七五三くんの言ってることが、私にはめちゃくちゃムズすぎる。
一体、何を言ってるのか、きっかけさえつかめない。
私たちは、森のさらに奥へと歩いていく。
静かだ……。
とても静かな場所だった……。
「そして今からキミに紹介するのは、ボクのおじいちゃんの宇宙だ。ここはね、誰も来れない宇宙なんだよ?」
「誰も、来れないの?」
「うん。今、この宇宙に入れるのは、ボクだけだ。でもキミはボクの彼女だから、特別に招待したい」
「ス、スク水で?」
「スク水で」
七五三くんが、いきなり立ち止まる。
彼が指さした方向を見て、私は「え……」とそこを見つめた。
「これがおじいちゃんの宇宙だよ。彼はいつも夏になると、この場所でのんびりしてたんだ」
𖧧
そこに広がっていたのは――まるで月面のような空間だった。
ゴツゴツとした、灰色の世界。
岩みたいものがポツポツと転がっていて、その中央に大きな水のたまりがある。
「こ、これは……宇宙と言うか……お、お風呂、的な? ろ、露天風呂?」
「まぁ、みんなはそう呼ぶかもね。でもボクもおじいちゃんも、ここを『宇宙』と呼んでいた」
「う、宇宙といえば……まぁ、宇宙っぽいけど……」
「さぁ、入ろう。水は裏山から流れてくる清水だ。午後から水を止めて、きちんと掃除もした。飲めるし、泳げる」
私と七五三くんは手をつないだまま、その水に足を浸けていく。
「ひゃっ!」
な、何、これ?
め、めちゃくちゃ冷たいよ!
この夏の暑さが、一瞬でゼロになるくらい!
「う、うわぁ……すごく冷たい……でも、気持ちいい……」
「まず足から水温に慣らしていこう。いきなり飛び込んだら、心臓に悪い」
「りょ、了解」
ヒザから下だけを水に浸け、私はバシャバシャと揺らしてみる。
この水、なんだかプールの水と全然違う。
本物の水、って感触だ。
「慣れてきたら、少しずつ体を浸けるといい。この暑さなんか、すぐに吹っ飛ぶよ」
私から手を離し、七五三くんが腰まで水に浸かった。
頭の上の、水中メガネをかける。
大きく息を吸い込むと、頭のてっぺんまで水の中にもぐりこんだ。
数秒で、ザバーンと顔を上げてくる。
「わぁ! やっぱりこの宇宙は最高だよ! 冷たくて気持ちがいい!」
「わ、私もやってみよっかな」
なんだか七五三くんがうらやましくなって、私もその場で服を脱ぐ。
はい。
学校指定の紺色スク水です。
オシャレとか、可愛いとか、そういうのは全然ありません。
ゆっくりと、その水の中に下りていく。
彼と同じように、水の底にもぐってみた。
ホッペタに、冷たい水の感触が広がっていく。
毛根に、心地良い冷たさがしみ込んでいった。
息が苦しくなると、私はその場から勢いよく立ち上がる。
「め、めちゃくちゃ気持ちがいいよ! 猛暑なんか、全然気にならないレベル! 毎日でも入りたい!」
「ははははは。だったら毎日、水着を持ってくるといいよ。キミさえよければ、ここで宿題をやってもいい」
「でも、ここってたしかに宇宙だね! ルックスが宇宙っぽい! 月面みたい!」
「いや、ホントはね、ここはもっともっと宇宙なんだ」
「もっともっと宇宙?」
「ほら、来た」
七五三くんがアゴ先で示した方向を見ると、そこには一つの小さな光が見えた。
とてもとても、小さな光。
あれは……ホタル?
「この森の向こうに、とても綺麗な川があるんだ。そこにはね、ホタルの幼虫のエサになる巻貝が生息している。暗いし湿度もあるから、ホタルがたくさん育つんだよ」
彼の説明を聞いているうちに、たくさんのホタルが集まってくる。
こ、こんなことってある?
あっという間に、ありえない数のホタルたちがこの暗闇を飛びはじめていた。
「ちょっと待ってて」
そう言って、七五三くんが水から出ていく。
一人で水に浸かったまま、私は次から次へと増え続けるホタルたちの輝きを見つめた。
こ、これは、たしかに宇宙!
真っ暗な宇宙空間に、キラキラした小さな星たちが揺れている!
宇宙!
宇宙だよ、これ!
「どう、葉月さん? おじいちゃんの宇宙」
「す、すごいよ! めちゃくちゃ、宇宙だよ!」
「スイカ、食べるよね?」
いつの間にか、七五三くんがスイカを手にしている。
すごく、大きなスイカ。
持ってきた包丁とまな板で、彼がそれを切り分けはじめた。
「近所の農家さんがくれたんだ。すぐそこの井戸で冷やしてた。ボク一人じゃ食べ切れないから、葉月さんも手伝ってよ」
「手伝う、手伝う! 私、めちゃくちゃ手伝うよ!」
それから私たちは、宇宙に座ってスイカを食べた。
足を水に浸け、宇宙の星々、って言うかホタルたちをながめながら、おいしいスイカを食べる。
昼間が猛暑だからか、蚊もいない。
綺麗だ……綺麗だよ……。
こんな夏、フツー過ごせる?
「ねぇ、七五三くん」
「何?」
「さっきあなたが言ったみたいに、宇宙って、空の向こうにあるものだけじゃないんだね」
「うん。宇宙は、どこにでもある。そしてどんな宇宙も、まるで無限のように広がってる」
「あのね、七五三くん」
「うん」
「今日の、この素敵な宇宙は――たぶん一生、私の内宇宙に残っていくと思うよ」
「だったらうれしいな。でもキミの内宇宙は、無限だ。ボクはいつか、その無限の宇宙を、素敵な思い出で埋めつくすことができるんだろうか? その、彼氏として」
「どうだろ? でも私は彼女として、七五三くんの内宇宙を素敵な思い出でいっぱいにするつもりだよ」
私たちはほほ笑み合い、キラキラと輝くホタルの星たちを見上げる。
ホタルの命は短いと、昔どこかで聞いたことがある。
星の寿命も短いと、昔何かで読んだことがある。
でも――私と七五三くんが見てるこの宇宙は、ずっとずっと永遠だ。
少なくとも、私の心の内宇宙には、いつまでも残り続けるだろう。
宇宙で食べる、よく冷えたスイカ――おいしいね、七五三くん。
私たちはきっと、人類史上初、宇宙でスイカを食べた二人だよ♪
地球は、今の私たちの姿を、自分の内宇宙に覚え続けていてくれるかな?
七五三くんちは田舎にあるから、なんだかとっても涼しい。
言い方は悪いけど、ちょっと避暑地みたいな感じ?
彼氏の家が山の近くって、ケッコー良いものです。
しかしそれにしても……今年の夏は暑い!
これって、どうなの?
温暖化?
まぁ、色んな説があるみたいだけど、ホントのとこはどうなんだろう?
「毎日、暑いよね……」
宿題の手を止め、私は彼に言う。
私たちの勉強部屋は、幽霊屋敷のリビング。
魔法陣みたいな絨毯。壁に貼られたキテレツなお札。 ニンニクの束。
古くてぶ厚い書物、部屋中を取り囲むカラスたちの剥製。
はい。
私、そろそろマジで慣れてきました……。
「どうしてこんなに暑いんだろ? せっかくクーラーをつけてるのに」
「クーラーが耐えられる外気温は、基本43度なんだ。つまり外の気温は、今、43度以上なんだろうね。そうなると、クーラーもなかなか上手く機能しなくなってくる」
「43度……マジか……だからこんなに暑いんだね……」
「ねぇ、葉月さん――」
宿題から顔を上げ、七五三くんが言う。
「そろそろお昼だよね」
「あぁ、ごめんなさい。そろそろ私、帰るよ」
「いや、そうじゃなくて。良かったら、ソーメン食べない?」
「ソーメン? いや、いいよ。いつもごちそうになってばっかだし」
「いや、良かったら食べてもらえないかな? おじいちゃん宛てに、日本中のアチコチからよく送られてくるんだ。ボク一人じゃ、とてもじゃないけど食べきれなくて」
「そっか。うん。それじゃあ、いただいちゃおっかな」
七五三くんのおじいさまは、生前オカルト研究家だった方。
だからアチコチの土地に、お友だちがいたんだろう。
って言うか――みんな、おじいさまが亡くなったこと、知らないの?
七五三くんが、台所の方に歩いていく。
十五分くらい待った頃、ソーメンのセットを持ってきてくれた。
小皿の上には――ネギ、錦糸タマゴ、キュウリ、ミョウガ、シイタケを煮たもの。
自家製のつゆ、チューブじゃないワサビ。
はい。
私の彼氏・七五三くんは、どんな料理でも作れます。
私の出る幕なんかございません。
しかも盛り付けは、お店レベルで美しかったりするのです。
「なんか……七五三くんって、フツーに一人暮らしができてるよね……」
「そう?」
「やっぱり私も女子として、料理を作る練習とか、するべきなんだろうか?」
「女子としてって、何?」
「いや、だって、女の子は、やっぱ料理が上手な方が――」
「家庭料理なんか、誰にだって作れるよ。作れる人が作ればいいんじゃないかな?」
「そ、そうなのかな?」
「世の中にはね、もっと大事なことが色々あるよ。料理に人生をかけるのは、料理人だけでいいんじゃない? 彼らは本当に神業的な技術を持っているからね」
いや、でも、勉強は七五三くんの方ができるし。
私、木登りとかできないし。
料理どころか何もかも、私、七五三くんよりすごいとこが、ただの一つもないんですけど?
そんなことを考えながら、私はズズズッとソーメンを食べる。
やっぱ七五三くん、ソーメンを茹でるのも上手いなぁ……。
絶妙なタイミングで、キリッと氷水でしめてある。
「ところで、葉月さん」
「ん?」
「今日、お祭りがあるよね?」
「うん。え? 何? もしかして七五三くん、私といっしょにお祭りに行ってくれるの?」
「いや、行かない」
「キッパリ……キッパリすぎるでしょ、それ……」
「じゃあ今日のキミは、少し遅くまで外出できるのかな?」
「限度があるけど。まぁ、お祭りが終わる時間くらいまでなら……」
「だったら――夕方、水着を持ってウチに戻っておいでよ」
「み、水着?」
「うん。暑いんだろ? いいとこに連れてってあげる」
「そ、それは、まぁ、いいけど……」
「じゃあ、準備があるから、ボクはこれで。食器はそのままにしておいて。勝手に帰ってくれていいから」
「え? ちょ、何なの、七五三くん? 準備って、何の準備?」
「宇宙だよ」
「う、宇宙?」
「うん。それじゃあ、また夕方ね!」
そう残すと、七五三くんはリビングから出ていった。
幽霊屋敷の謎リビングに座ったまま、私はソーメンの続きを食べる。
な、何なんでしょう、私の彼氏?
フツー、ソーメンと彼女を残して、どこかに行きますか?
ま、いいですけどね。
私、ソーメン、食べますけど。
でも――なんで水着?
って言うか、宇宙って、何?
どこよ?
Whereよ?
ここらへんに、夜間営業してる『宇宙』ってプールがあるのかな?
いや、でも、ここらへん、コンビニすらありませんよね……。
𖧧
自転車で家に帰ると、私はすぐに水着の用意をした。
色々バッグに詰め込んでいる私を見て、ママが言う。
「あらら? 彼氏くんとお祭りですか? いやん、妬けちゃう」
ウチの親は、放任主義。
私に彼氏がいようがいまいが、まったく気にしないご様子。
『うん。あのね、ママ。今日はめちゃくちゃ暑いから、彼氏といっしょに宇宙に行ってくるよ♪』
こんなことを言ったら、ママは一体どんな顔をするだろう?
逆に、『宇宙なんか行っちゃいけません!』とか、真顔で止められたりして。
だから私は、「ご想像におまかせいたします」と笑っておいた。
夕方になり、あたりが夕やけに染まりはじめる頃、私は家を出る。
浴衣姿の人々とは、まったく逆の方向にペダルを漕いだ。
「やぁ、葉月さん! いらっしゃい!」
おじいさまの幽霊屋敷から出てきた彼は、いきなり、もぉ、やる気満々だった。
頭の上に乗っけた、ゴーグルタイプの水中メガネ。
学校指定の、男子用・紺色スク水……。
まぁ、私だって、スク水なんですけどね……。
「な、七五三くん……めっちゃやる気じゃないですか……」
「うん。じつはボクも、宇宙に行くのはひさしぶりなんだ。だから、もうさっきからウズウズしてるよ!」
「でも『宇宙』って、何? どこ? どうやっていくの? 七五三くん、スク水で自転車に乗るの?」
「いや、歩いていく」
「歩いて?」
「葉月さんも、水着に着替えてきてよ」
「いや、私、服の下に着てる」
「キミだって、めちゃくちゃやる気じゃないか」
そうほほ笑んで、七五三くんが私に手を差し出してくる。
「それじゃあ、手をつなごう。転ぶといけない」
私は、彼の手をとる。
手をつなぎ、七五三くんの家を出ると――彼はなぜか、私をお屋敷の裏手に導いた。
そこは、なんだか森のような場所だ。
少し、薄暗い。
時間も夕方から夜になる中間だから、木々の奥はもう夜みたいだった。
「『宇宙』ってとこ、七五三くんちの裏側にあるの?」
「葉月さん」
「ん?」
「宇宙って、一体どこにあると思う?」
「ホントの宇宙のこと? それなら、あっちでしょ?」
人差し指を立て、私は空の向こうを指さす。
その回答に、彼は少しだけ肩をすくめた。
「宇宙ってね、じつは色んなとこにあるんだ」
「色んなとこ?」
「うん。もちろん、今のキミの答は正解だ。でも、いつだって、どこだって、答っていうのは複数あるものなんだよ。一つだけなんてことは、ゼッタイにない」
「複数……」
歩きながら、彼が自分の胸を押さえる。
「たとえば、ここ――ボクの心の中にも宇宙が存在する。内《うち》宇宙《うちゅう》と呼ばれる宇宙だ」
「内、宇宙……」
「そう。内宇宙は、誰の心の中にもある。そこはまるで、空の向こうにあるあの宇宙と同じように、無限に広がっている」
「無限に……」
「海の底にも、宇宙はある」
「海の底にも?」
「うん。深海は、地球内部に存在する宇宙だと言われてる。実際のところ、深海は宇宙と同じくらい、人類には何もわかってないんだ。そもそも到達したことがない」
「ないんだ……」
「あとは、まぁ、原子・素粒子・量子力学の世界にも宇宙は存在するよね。『ミクロ宇宙』だ。インターネットだって、『サイバー宇宙』だろ?」
七五三くんの言ってることが、私にはめちゃくちゃムズすぎる。
一体、何を言ってるのか、きっかけさえつかめない。
私たちは、森のさらに奥へと歩いていく。
静かだ……。
とても静かな場所だった……。
「そして今からキミに紹介するのは、ボクのおじいちゃんの宇宙だ。ここはね、誰も来れない宇宙なんだよ?」
「誰も、来れないの?」
「うん。今、この宇宙に入れるのは、ボクだけだ。でもキミはボクの彼女だから、特別に招待したい」
「ス、スク水で?」
「スク水で」
七五三くんが、いきなり立ち止まる。
彼が指さした方向を見て、私は「え……」とそこを見つめた。
「これがおじいちゃんの宇宙だよ。彼はいつも夏になると、この場所でのんびりしてたんだ」
𖧧
そこに広がっていたのは――まるで月面のような空間だった。
ゴツゴツとした、灰色の世界。
岩みたいものがポツポツと転がっていて、その中央に大きな水のたまりがある。
「こ、これは……宇宙と言うか……お、お風呂、的な? ろ、露天風呂?」
「まぁ、みんなはそう呼ぶかもね。でもボクもおじいちゃんも、ここを『宇宙』と呼んでいた」
「う、宇宙といえば……まぁ、宇宙っぽいけど……」
「さぁ、入ろう。水は裏山から流れてくる清水だ。午後から水を止めて、きちんと掃除もした。飲めるし、泳げる」
私と七五三くんは手をつないだまま、その水に足を浸けていく。
「ひゃっ!」
な、何、これ?
め、めちゃくちゃ冷たいよ!
この夏の暑さが、一瞬でゼロになるくらい!
「う、うわぁ……すごく冷たい……でも、気持ちいい……」
「まず足から水温に慣らしていこう。いきなり飛び込んだら、心臓に悪い」
「りょ、了解」
ヒザから下だけを水に浸け、私はバシャバシャと揺らしてみる。
この水、なんだかプールの水と全然違う。
本物の水、って感触だ。
「慣れてきたら、少しずつ体を浸けるといい。この暑さなんか、すぐに吹っ飛ぶよ」
私から手を離し、七五三くんが腰まで水に浸かった。
頭の上の、水中メガネをかける。
大きく息を吸い込むと、頭のてっぺんまで水の中にもぐりこんだ。
数秒で、ザバーンと顔を上げてくる。
「わぁ! やっぱりこの宇宙は最高だよ! 冷たくて気持ちがいい!」
「わ、私もやってみよっかな」
なんだか七五三くんがうらやましくなって、私もその場で服を脱ぐ。
はい。
学校指定の紺色スク水です。
オシャレとか、可愛いとか、そういうのは全然ありません。
ゆっくりと、その水の中に下りていく。
彼と同じように、水の底にもぐってみた。
ホッペタに、冷たい水の感触が広がっていく。
毛根に、心地良い冷たさがしみ込んでいった。
息が苦しくなると、私はその場から勢いよく立ち上がる。
「め、めちゃくちゃ気持ちがいいよ! 猛暑なんか、全然気にならないレベル! 毎日でも入りたい!」
「ははははは。だったら毎日、水着を持ってくるといいよ。キミさえよければ、ここで宿題をやってもいい」
「でも、ここってたしかに宇宙だね! ルックスが宇宙っぽい! 月面みたい!」
「いや、ホントはね、ここはもっともっと宇宙なんだ」
「もっともっと宇宙?」
「ほら、来た」
七五三くんがアゴ先で示した方向を見ると、そこには一つの小さな光が見えた。
とてもとても、小さな光。
あれは……ホタル?
「この森の向こうに、とても綺麗な川があるんだ。そこにはね、ホタルの幼虫のエサになる巻貝が生息している。暗いし湿度もあるから、ホタルがたくさん育つんだよ」
彼の説明を聞いているうちに、たくさんのホタルが集まってくる。
こ、こんなことってある?
あっという間に、ありえない数のホタルたちがこの暗闇を飛びはじめていた。
「ちょっと待ってて」
そう言って、七五三くんが水から出ていく。
一人で水に浸かったまま、私は次から次へと増え続けるホタルたちの輝きを見つめた。
こ、これは、たしかに宇宙!
真っ暗な宇宙空間に、キラキラした小さな星たちが揺れている!
宇宙!
宇宙だよ、これ!
「どう、葉月さん? おじいちゃんの宇宙」
「す、すごいよ! めちゃくちゃ、宇宙だよ!」
「スイカ、食べるよね?」
いつの間にか、七五三くんがスイカを手にしている。
すごく、大きなスイカ。
持ってきた包丁とまな板で、彼がそれを切り分けはじめた。
「近所の農家さんがくれたんだ。すぐそこの井戸で冷やしてた。ボク一人じゃ食べ切れないから、葉月さんも手伝ってよ」
「手伝う、手伝う! 私、めちゃくちゃ手伝うよ!」
それから私たちは、宇宙に座ってスイカを食べた。
足を水に浸け、宇宙の星々、って言うかホタルたちをながめながら、おいしいスイカを食べる。
昼間が猛暑だからか、蚊もいない。
綺麗だ……綺麗だよ……。
こんな夏、フツー過ごせる?
「ねぇ、七五三くん」
「何?」
「さっきあなたが言ったみたいに、宇宙って、空の向こうにあるものだけじゃないんだね」
「うん。宇宙は、どこにでもある。そしてどんな宇宙も、まるで無限のように広がってる」
「あのね、七五三くん」
「うん」
「今日の、この素敵な宇宙は――たぶん一生、私の内宇宙に残っていくと思うよ」
「だったらうれしいな。でもキミの内宇宙は、無限だ。ボクはいつか、その無限の宇宙を、素敵な思い出で埋めつくすことができるんだろうか? その、彼氏として」
「どうだろ? でも私は彼女として、七五三くんの内宇宙を素敵な思い出でいっぱいにするつもりだよ」
私たちはほほ笑み合い、キラキラと輝くホタルの星たちを見上げる。
ホタルの命は短いと、昔どこかで聞いたことがある。
星の寿命も短いと、昔何かで読んだことがある。
でも――私と七五三くんが見てるこの宇宙は、ずっとずっと永遠だ。
少なくとも、私の心の内宇宙には、いつまでも残り続けるだろう。
宇宙で食べる、よく冷えたスイカ――おいしいね、七五三くん。
私たちはきっと、人類史上初、宇宙でスイカを食べた二人だよ♪
地球は、今の私たちの姿を、自分の内宇宙に覚え続けていてくれるかな?
