たとえ君が何者でも

ーー霜月の終わり

紅葉が楓と生活を共にするようになって半月ほど経
ち、山の小屋での暮らしに多少なりとも慣れてきた頃だった。

 

楓は背負い籠を肩に掛けながら、神社の石段を登っている。そして苔むした段の隙間から伸びる草花をひとつひとつ確かめるように視線を走らせていた。その少し後ろを、紅葉が歩いている。

「この辺り、まだ残ってるはずなんですよ。前に見つけた場所なんですけど」

歩きながら楓がいう。

「前って、いつの話なんだ」

なんの気なしに紅葉は問う。

「君と出会う前なので、3週間ほど前ですかね」

楓は顎に手を添えながら答えた。

「3週間!?…よく覚えてるな」

「生活がかかってますから」

楓はそう言って、軽く笑う。

「だが、そんなに前なら同じ場所には生えてないんじゃないのか??」

紅葉がそう問うと、楓は自信有りげに言った。

「今探してる薬草は決まった場所にしか生息できないんです、だから簡単になくなったりしないんですよ。」

あまりに楓が詳しいので、紅葉はついぽかんとしてしまった。



山の奥にある小さな小屋で、ふたりはひっそりと暮らしている。薬草を採り、煎じ、売るか物々交換に出す。それが楓の仕事で、唯一の生活の糧であった。



神社の境内という場所に、紅葉はどこか落ち着かない様子を見せていたが、楓は気に留めることもなく、低木の根元にしゃがみこんだ。

「……ありました。これです」

指先でそっと葉を分ける。
淡い緑色の薬草が、静かに露をまとっていた。
今日はこれを採ったら帰りましょう、と楓が言いかけた、そのときだった。




楓の動きが、ぴたりと止まる。
紅葉はすぐに気づいた。

 周辺の空気が――明らかに変わった。

先ほどまで吹いていた風が止み、鳥の声が遠のく。
神社の境内に満ちていた静けさが、まるで水面に石を落とされたように歪んでいく。

「……なにか来ますね」

楓が何でもないことのように零した。

「………わかるのか」

ええ、と楓が答える前に、草木が揺れた。
人のような形をした小さな影が、ひとつ、ふたつ、現れる。腕や脚はあるが、輪郭は曖昧で、顔のあるべき場所には歪んだ笑みのようなものが張りついていた。

「小物だな」

紅葉が低く呟いた瞬間、
楓はもう前に出ていた。

「龍の気配につられた小物ですね。数は……七、いえ、八体ですか」

「お前、なんでそんな冷静なんだ」

「慣れてますから」

楓は、籠を地面に置いた。
次の瞬間、一体の妖が地面を蹴り、楓に襲いかかる。

 だが――

楓は、避けた。
跳ねるでも、転がるでもなく、ただ一歩、横にずれるだけで。
妖の腕が空を切った直後、楓の指が、その肘の内側を軽く叩く。トンッ、という音とともに、妖の腕が力なく垂れ下がった。

「……は?」

 紅葉が思わず声を漏らす間にも、楓は次の妖に向き直る。飛びかかってきた妖の動きを、半身で受け流し、そのまま脇腹の一点に指を打ち込む。

 妖は、膝から崩れ落ちた。

「立てませんよ、それ。しばらく」

「……お前、それ、人間の動きじゃないだろ」

「失礼ですね。ちゃんと人間です」

 そう言いながら、楓は三体目、四体目と、ひらひらと舞う蝶ように妖を無力化していく。

「この妖は実態がある分、闘いやすいですね」

 力任せではない、速さでもない。

相手の動きを読み、重心をずらし、関節を狙い、最小限の力で、相手の力を無力化させる。

 



紅葉は、後方で腕を組んだまま、それを見ていた。

(……こいつ、本当になんなんだ)

楓は体格こそ細く、顔立ちも穏やかで、とても戦闘に慣れているようには見えない。

ーーだが実際には、妖が彼に触れることすら許していなかった。

残り二体になったところで、境内の奥から重たい気配が流れ込んできた。
空気が沈み、地面が、微かに震える。

楓が、ふっと視線を上げた。

「……あぁ」

鳥居の向こう、木々の影から、
ひときわ大きな妖が姿を現した。
人型ではあるが、体躯は数倍以上。
皮膚のようなものは黒く硬質で、赤い目がぎらりと光る。

「……此奴らの親玉が」

 紅葉が言う。楓は、ほんの一瞬だけ目を細めてから、困ったように笑った。

「これは……力比べで叶いますかね……」

そう言いつつ、構えの姿勢をとった。

「……下がってろ」

 すかさず紅葉は一歩前に出る。

「え、今さらですか?」

「邪魔だ」

「ひどいですね」

 そう言いながらも、楓は素直に後退する。

 次の瞬間――

紅葉の身体が、光に包まれた。
銀色の鱗が広がり、四肢は巨大な爪へと変わり、背からは 長く美しい尾と翼が伸びる。

 境内の空気が、一変した。

 ーー銀龍。

ただその姿があるだけで、神域全体が、圧倒的な威圧に包まれる。格の違いは、誰が見ても明らかだった。

大妖が咆哮し、飛び掛ってくる――

紅葉は一瞬で距離を詰め、そのまま爪を振るった。バリバリと衝撃波が走り、妖の巨体は、声を上げる暇もなく霧散する。

残っていた小物妖怪たちは悲鳴を残し、四散して消えた。

 



ーー静寂が、戻った。




銀龍ーー紅葉は、ゆっくりと人の姿に戻る。

「……」

紅葉が息を整える間に、楓は何事もなかったかのように歩み寄った。

「最初から龍になってれば、もう少し楽に片付いたんじゃないですか?」

「……あの姿は目立つし、疲れるんだ」

「贅沢な悩みですねぇ」

「……お前にだけは言われたくない」

楓は、くすっと笑い、地面に置いていた籠を拾い上げる。

「さて。続き、採りますよ。さっきの場所にまだ残ってるはずなので」

「……お前さ、今の状況、何とも思わないのか」

「え?」

楓は首を傾げる。

「何体もの妖に襲われて、目の前に龍が現れて、妖が消し飛んだんだぞ」

「それがどうかしました?」

「どうかしたってお前な……いや、もういい…」

紅葉が呆れたように言うと、楓は少し考えるように視線を宙に泳がせてから、

「……強いて言うなら、今日は薬の出来が良さそうで嬉しいです」

「そこか」

境内の隅で、楓はまたしゃがみこみ、丁寧に葉を摘み取っていく。その背中を見ながら、紅葉は思った。

(こいつ…どう考えても、普通じゃない…これが人間なのか…?いや、にしてもこの違和感はなんだ……?)

だが、それを口に出すことはなかった。




薬草を一通りとり終えて、さぁ帰ろうかと神社を後にしようとした時、紅葉がふと立ち止まった。

「……なあ」

「はい?」

「ちょっと付き合え」

「……え?」

理由を言わずに、森の奥へ歩き出す紅葉。
楓は一瞬だけ首を傾げて、それから後を追ったのだった。