紫乃はそっと手に取り、表紙をめくった。
そこには【軍医日記】とは名ばかりで、縁談話が持ち上がった頃からの、紫乃に関する詳細な観察記録のようなものが綴られていた。
――――――――
大正十二年 三月二十七日 夜分
書斎にて症例整理中、廊下にて物音。
開扉時、妻が転倒しかけ、即座に抱き留める。
――転倒防止措置。反射的対応。
転防止措置はこれが三度目。
抱き留めた際、妻が突然、胸元に顔を近づけ、鼻を鳴らした。
――嗅覚による確認行動。
当方、薬湯使用後につき、柚子および薄荷の香気を帯びていた可能性。
嗅覚刺激に対する拒否反応なし。顔面筋の歪み、眉間の収縮等、確認されず。
なお、患者との接触や至近距離での会話は日常的であるが、妻が接近する際に限り、心拍数の上昇を自覚。
医師として、これは異常反応である。
だが、嫌悪感は伴わない。
むしろ、心地よい。
要経過観察である。
さらに、妻の手に乾燥による裂傷を確認。
事前に報告を受けていたことにより、軟膏を準備済。
――直に軟膏を塗布。
塗布時、手のひらの温度、質感、血行状態を詳細に観察。
指節骨の細さ顕著。皮膚は柔軟性あり、血行は良好、保湿状態は不良。
妻との距離、約二十糎。
鼻先が触れる寸前の至近距離にて、当方の顔を認識可能との反応あり。
カール・ヴァイス氏に再調整の可否を要相談。
握り飯を、後ほど摂取予定。
味の評価は次回記録にて。
――――――――



