冷遇令嬢、最恐軍医に嫁ぎました~大正深愛綴り~


「助からないとは言ってない。ただし、今すぐ手術をする必要がある」
「手術……? 手術をすれば、息子は助かるんですか?」

 父親の視線が、『篁』という名札に留まり、顔が青ざめる。だが、すぐに何かを振り切るように、勇心を真っすぐ見据えた。

「先生が、『腹切りの黄泉の手』の方だと知っています。でも、万が一にも助かる望みがあるのなら……、悪魔に魂を売ってでも構いません。どうか……この子を、助けてください!」

 勇心は一瞬だけ目を細めたが、すぐに頷いた。

「わかりました。すぐに取りかかります。すぐに手術の準備を」
「はい!」

 勇心はそばにいる看護師に指示を出し、手術をするために男児に点滴を施した。

 *

 手術室から出てきた勇心は、廊下で待つ父親のもとに歩み寄った。

「手術は無事に終わりました。腹膜炎の兆候はありましたが、幸い、広がる前に処置できました。命に別状はありません。あとは経過をみていきましょう」
「本当ですか!?」
「はい、もう大丈夫ですよ」

 父親はその場に崩れ落ち、涙目で何度も何度も頭を下げた。

「ありがとうございます! 本当に……本当に、ありがとうございます……!」

 その様子を少し離れた場所から見ていた紫乃の胸に、何かが静かに満ちていく。

(……よかった)

 紫乃が安堵の溜息を零すと、父親の声が処置室にも漏れ聞こえたのか、若い医師が廊下に出てきてぽつりと呟いた。

「“腹切りの黄泉の手”なんて物騒な呼び名がついてますけどね……。本当は、黄泉行きの患者をこの世に連れ戻す“神の手”なんですよ」

 医師の言葉に紫乃はハッとした。

(……そうよ、あんなにも気遣いができて、あたたかい人は見たことないもの……)

 夫の姿が凛々しく見える。腰を抜かす父親に寄り添い、優しく声をかけている。
 紫乃の中で、勇心という存在が、確かなものとして根を下ろしていくのを感じた。

 死神のように恐れられ、あらぬ噂を囁かれても、その手は確かに命をこの世に引き戻していた。