冷遇令嬢、最恐軍医に嫁ぎました~大正深愛綴り~


 看護婦の声に応じて、勇心が処置室から飛び出してきた。白衣の裾を翻しながら、男の子のもとへ駆け寄る。

「お父さんですか? 症状は?」
「昨日から腹が痛いと……。それと、熱が下がらなくて……、他の病院に行ったんですが、もう手遅れだと言われまして……」
「では、こちらにどうぞ」

 勇心は父親を処置室へと案内する。その姿を目にして、紫乃は、自分が無力だと思えた。

(勇心様は医師だから当然冷静に対応されているけれど、私は怯んで一歩も動けなかった。ううん、それどころか、恐怖のあまり、この場から逃げようとしてしまった……)

 医学知識のない紫乃は、人の生死にかかわることに恐怖を覚えたのだった。けれど同時に無力さを認め、自分に必要なことを思い知ったのだ。

 男児を診察室にある寝台に横たわらせ、勇心は腹部にそっと手を当てた。触れた瞬間、男児の体がびくりと震え、眉間にわずかにしわが寄る。

「……腹部全体が硬直している。虫垂炎が悪化し、腹膜炎を起こしかけている可能性が高い」
「起こしかけてるってことは、まだ助かるんですよね?」
「……残念だが、虫垂がすでに破裂し、膿や細菌が腹腔内に広がり、炎症を起こしつつある今の状態では、自然治癒は不可能だ」
「なんだよっ……、どいつもこいつも簡単に無理だ、手遅れだと言いやがって! それでも人の命を救う医者かよっ! 俺らが必死に働いて税金納めてるのに……軍人じゃなきゃ、助けてくれないのかよっ」

 軍病院に来るまでの間に、何軒も病院を回ったのだろう。行き場のない感情が、口から溢れてきたようだ。