冷遇令嬢、最恐軍医に嫁ぎました~大正深愛綴り~


 夜も更け、屋敷は静寂に包まれていた。風の音すら聞こえないほどの深い夜。
 紫乃は寝台に身を横たえたものの、胸の奥に渦巻く感情が静まることはなかった。

(……何時に帰ってくるのかしら)

 勇心の帰宅が遅くなると聞いた時は、仕方がないと自分に言い聞かせた。
 けれど、今は違う。胸の奥に、言葉にできないざわめきが広がっていた。

(……まさか、女の人と一緒に……?)

 そんなはずはないと否定しながらも、父の姿が脳裏をよぎる。芸子である洋子に惹かれ、家を顧みなかった父。その記憶が、紫乃の心に影を落としていた。

 その時――。廊下の奥から、重く、規則正しい足音が響いてきた。
 軍靴が白木の床を踏みしめる音。屋敷に反響するその音は紫乃の耳にだけ、はっきりと届いた。その足音を聞いた瞬間、紫乃の胸がきゅっと締めつけられた。

(……帰ってきたわ)

 気づけば、紫乃は寝間着のまま部屋を出ていた。
 壁伝いに廊下を進み、勇心の部屋の前で立ち止まる。小さく扉を叩くと、中から「どうぞ」と声がした。

「……失礼します。お帰りなさいませ、勇心様」
「只今、戻りました」

 勇心は上着を衣紋掛けにかけようとしていた手を止め、目を見開く。紫乃の顔色が少し悪いことに気づき、すぐさま駆け寄った。