冷遇令嬢、最恐軍医に嫁ぎました~大正深愛綴り~


 春の陽が傾きかけた午後、紫乃はいつものように廊下を歩いていた。
 壁伝いに指先を滑らせながら、ゆっくりと歩を進める。白木の柱は、日ごとに手に馴染んでいくようで、紫乃の心にも少しずつ安らぎが芽生えていた。
 ふと、指先にざらりとした感触が走った。紫乃は立ち止まり、そっと手を戻して確かめる。そこには、わずかに浮き彫りになったような、細やかな凹凸があった。

(……あれ? こんなところに、傷なんてあったかしら)

 不思議に思い、紫乃は壁に顔を近づける。目を凝らすと、そこには小さな花のような模様が彫られていた。それは、まるで誰かがそっと忍ばせた、秘密の印のようだった。

「紫乃様?」

 背後から声をかけられ、紫乃はハッと振り返る。タミが、手拭いを持ったまま立っていた。

「どうかなさいましたか?」
「いえ……この壁に、模様のようなものが……」

 紫乃の言葉に、タミはふふっと微笑んだ。

「お気づきになられましたか。実はそれ、若旦那様のご指示で彫り細工職人に施していただいたものなのです」
「えっ……?」
「紫乃様が歩きやすいように、目印になるような細工を、柱や壁の所々に彫ってもらったのですよ。紫乃様の身長に合わせて、低めの位置に。花や葉の模様なら、きっとお気に召すだろうと……」

 紫乃は言葉を失った。自分のために、そんなことまで――。