冷遇令嬢、最恐軍医に嫁ぎました~大正深愛綴り~


 その夜、勇心の書斎の扉が静かにノックされた。

「若旦那様、少しよろしいでしょうか?」

 勇心は、机に広げた医学書から目を上げる。

「……ん、何か用か?」
「失礼します」

 湯気の立つ茶器を盆に載せたタミが、部屋に入ってくる。

「紫乃様のことで、お話が……」

 勇心は無言で頷き、タミが言葉を続けるのを待った。

「今日紫乃様が、家事を手伝いたいと申し出られました。洗濯物を干したり、お花に水をやったり……厨房では味見までなさって、おノブも感心しておりました。それに、紫乃様のお手元を拝見しましたら、あかぎれが酷くて……。まるで、長年水仕事をしてきたような手をしてらっしゃいます」

 勇心の眉がわずかに動いた。

「ご実家では、毎日家事をなさっていたそうです。名家のご令嬢とは思えぬほどに手際もよくて……。使用人たちも、すっかり打ち解けております」
「……そうか」

 タミの言葉に、勇心の脳裏に、かつて調べさせた岩永家の報告が蘇る。

 岩永恵一(けいいち)。正妻を六年前に亡くし、愛人を後妻に据えた。そして、正妻がまだ健在の頃に、愛人との間に生まれた娘が一人いる。その娘を今は溺愛し、正妻の娘である紫乃は、家の中で孤立していて……。
 生母を失ってからの紫乃は、みるみるうちに痩せ細り、次第に視力も低下していった、というもの。

(どこの家も同じだな……自分勝手な親ばかりだ)

 勇心は自分の父親と紫乃の父親を重ね合わせていた。
 タミが静かに部屋を後にすると、勇心は茶を口にし、深い息を吐いた。

(彼女の居場所を……つくってあげねば……)

 湯気の奥に、今朝の出来事が朧気に浮かぶ。

(あの時、彼女は確かに俺の瞳を捉えていた。あの距離なら、俺の顔が見えていたのかもしれない)

 勇心は医師として、紫乃の状態を少しずつ把握し始めていた。