冷遇令嬢、最恐軍医に嫁ぎました~大正深愛綴り~


 夜の帳が下り、篁家の屋敷は静寂に包まれていた。
 紫乃は入浴を済ませ、夜着姿で化粧台の前に腰かけている。鈴蘭の香りが部屋を包み込み、ほんの少しだけ心を落ち着かせてくれる。

 紫乃は、母の形見の白檀の櫛を手に取り、ゆっくりと丁寧に梳いていく。さらさらと櫛が髪を滑るたび、幼い頃の記憶が蘇る。

『紫乃の髪は、本当に綺麗ね』母がそう言って、毎日優しく梳いてくれた。

(お母様、勇心様に身を委ねるだけで大丈夫ですよね……?)

 不安を押し隠すように、もう一度、髪を梳く。自慢だった髪は、今も変わらず柔らかく、艶やかだ。
 けれど、胸の奥には、冷たい水を流し込まれたような緊張が渦巻いている。

 その時、廊下の向こうから足音が聞こえた。紫乃の部屋の前でぴたりと止み、扉を叩く音がした。
 紫乃の胸が、とくんと跳ねた。

「……はい」

 扉が開く音がし、その奥から黒い夜着姿の勇心が現れた。紫乃はすぐに立ち上がり、戸口の方へ向き直る。

「お待ちしておりました……」