きみが春なら

◇ ◇ ◇ ◇

「イーヴァン」
ある日の昼時だった。聞き慣れない声に振り返る。

「良かった。また会えた」

走って追いかけてきたのか、ハルの息は弾んでいた。
白いシャツに黒いパンツ。髪は後ろで纏められ、店名と思しきロゴが入ったキャップを被っている。
この前の夜と同じ服装だ。

「はい。これ」

何も言えずにいる俺に紙袋を手渡し、微笑んでいる。

「あなたにお礼がしたかったの。迷惑じゃなければどうぞ」
「お礼、って」

掌に伝わる熱。美味そうな匂い。
数日前未遂に終わった襲撃計画を彼女は知らないとはいえ、何ともばつが悪い。

「あ。もしかして、お腹空いてない?」
「いや!?ペコペコ」
本当だった。いつもの事だが、朝食もろくに食べていない。

「良かった。じゃあ戻るね。あなたの姿が見えたから、仕事抜けてきちゃったの」
「あぁ……わざわざありがとう。頂くよ」
「こちらこそ。何度も助けてくれてありがとう」

俺に小さく手を振り、君は通りを引き返す。


複雑な気分だ。
適当なベンチに腰かけ袋の中を覗くと、大きなホットドッグと野菜スープが入っていた。まだ湯気がたっている。

「う、っま」

どちらも思わず笑ってしまうほど美味い。夢中でかぶりつき、あっという間にたいらげる。


── ゆるゆると時間の流れる午後の街。

警戒心がまるでない人々が、絶えず目の前を行き交っている。財布を尻のポケットから覗かせる馬鹿も見える。
ターゲットは掃いて捨てるほどいるはずなのに。なぜここから立ち上がれないんだろう。

「助けてくれてありがとう、か」

満たされたのは、腹だけじゃない気がした。
感じていたのは、空腹だけじゃない気がした。


夜。
ソファで新聞を読んでいると、ダニーが嬉々として走り込んできた。

「これを見ろ、イーヴァン!ダイヤモンドだよダイヤモンド!」

彼の手の中ではアーモンド大の宝石が輝いている。

「まーた金持ちの婆さんの家から盗んできたのか」
「マダムと言え。甘〜い言葉をかけて心を開かせれば、家に入り込める仲になるのは意外と簡単だ。未亡人なら特に」

楽しそうにダイヤを照明にかざしている。こっそり吐いたため息も、この興奮ぶりでは聞こえていないだろう。

「で、君の方の成果は?」

テーブルの上に札束を放り投げた。

「今日もすごいじゃないか!この時期は特に掏摸がしやすいからな。そこらじゅう、浮かれた観光客だらけだ。明日は良いワインでも買ってこようか」
「なぁ」

いつにも増して饒舌なダニーが、金を数える手を止め俺を見る。

「まともに生きていく、って難しいんだろうな?」
「難しいよ。俺たちみたいなのにはもう無理だ」

笑顔でそう言い切られ、

「……だよなぁ。」

ソファに深く身を沈めた。