きみが春なら

「実はさ。俺も家族がいないんだ」

彼女が振り向く気配がする。

「物心ついた時にはもういなかった。両親の記憶も残ってない」
「誰に育てられたの?」
「誰も。ずっと一人で生きてきた」

初冬の夜風が、冷たく頬を撫でていく。

「街中は騒がしいけど、ここに来ると落ち着くだろ。ここに座って、ただ夜景を見てるのが好きだった。ガキの頃からずっと」
「あなたの特別な場所なのね」
「そう」

自分の生まれを、人に話した事なんてなかった。
でも本当は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
一度溢れた言葉は止まらなかった。

「誰も生き方を教えてくれなかった。毎日必死だった。ただ、生きる為に」

そうだ。必死で必死で、必死でここまできた。
だって、知らなかった。他の生き方なんて知らなかった。
自分の気持ちに蓋をして。
他人の気持ちは見えないフリして。

「……俺は、君に言えないような事も随分やってる」

彼女は、静かに俺を見ている。

「過去は変えられないけど。ただ君と話してると、そんな自分がたまらなく嫌になるよ」

それきり。二人の間に長い長い沈黙が降りた。

「……悪い。俺、何言って」
「イーヴァン」

俺の言葉を遮って。

「それでも、あなたは何度も何度も私を助けてくれた」

体ごとこちらを向いた彼女にぎゅっと両手を握られる。

「過去に何があっても。私にとってのあなたは……ただ優しくて、とてもあたたかい人よ」

真剣な眼差しと、落ち着いた声と。妙に熱い手のせいで、ふいに涙腺が緩む。

「はは、」

顔を見られないように慌てて彼女の肩に顔を埋めた。
優しく背中をさすられて、声の震えが抑えられない。

「そんな訳……ないだろ」

まるで彼女そのものみたいな。柔らかくて、甘い匂いがする。
もうぐちゃぐちゃな感情のまま、そっと目を閉じた。