きみが春なら


「……7歳の時に、初めてロシアに来たの。父に連れられて」

街を抜け、偶然見つけた無人の広場。古びた遊具の階段に二人で座った。

「生まれはどこなんだ」
「日本よ。父がロシア人で、母が日本人」

……アジアの血が入っていたのか。彼女の顔立ちと黒髪にも合点がいく。

「母は私を産んですぐに病気で亡くなったの。ずっと父で二人で暮らしてた」

どこを見るでもない瞳で。彼女は静かに語り出す。

「自分が昔お世話になった教会だ、って父はドゥーブル教会に連れていってくれた。でも私、そこで熱を出してしまって。シスターが看病してくれている間に、父がお医者さまを呼びに行こうとしたの。そうしたら……」
彼女の小さな手に、力が入るのがわかった。

「教会から出た途端に拳銃で撃たれた」
「どうして!?」
「後から知ったんだけど、革命に携わろうとして色々行動を起こしていたみたい。それをよく思わない、政府支持派の人たちに……」

ぞくり、と肌が粟だつ。衝撃的な告白だった。

「でも当時はそんな事わからないから。冷たくなった父にすがって泣いて、泣いて……。身寄りが無くなった私を教会がそのまま引き取ってくれたの。修道院で暮らしてるのはそういう訳よ」
「……前に言ってた修道女になれない、っていうのは?」
「革命に関わった父は、政府に罪人にされてしまったから。娘の私にその資格は無いの」

そんな、と思ったが口に出来なかった。そういうものであろう事は何となく想像がつく。

「教会の皆はとてもよくしてくれるのよ。子どもの頃は言葉もわからないし、心細くて毎日泣いてばかりいたけど。今はちっとも淋しくない」

控えめな笑顔に胸が痛む。本心か強がりかわからなかった。

「父が撃たれた時の事、今でもハッキリ覚えてるの。だから銃声が……怖くてたまらない」

俯いた彼女が、両手で顔を覆う。肩が小刻みに震えている。

「そうだったのか……」

故郷から遠く遠く離れた国で彼女が一人、背負ってきたもの。
修道服を着る事も許されず、これからも背負っていくもの。
その重さを思うと、どんな言葉も軽率な気がした。

「あなたに助けられてばかりね。恥ずかしいくらい」

彼女は指で目元を拭い、笑った。
立ち上がり、ワンピースに付着した土埃を払っている。

「今日はこれからお店番なの。もう行かなきゃ」
「……明日」
「え?」
「明日は仕事何時まで?」

丸い瞳が俺に向けられる。自分の口から出ようとしている言葉に、自分が一番驚いていた。

「8時までだけど」
「君に見せたい場所がある。8時ならちょうどいい。時計塔の下で待っていてくれないか」