ひかるくんには何でも見えている





「ひかる、くん……」


 衝撃と共に舞い上がるほこりの中、目の前にひかるくんの顔。


「わ、わわ……」

「美沙さん、ケガは!」


 必死そうだけど、ものすごく真剣でキリッとした顔が、わたしを斜めに見下ろす。



 しりもちをついたわたし。

 わたしの両手のすぐ近くに、ひかるくんの両手があって、ひかるくんがわたしに覆いかぶさる格好に。


 わたしは、飛び出したひかるくんに突き飛ばされるような形となったのだ。

 ひかるくんがそんなことした理由は、さっきまでわたしが立っていた奥の方を見れば明らか。



「天野さん、岩戸、平気? 何か当たってない?」

「うん、大丈夫そう」


 ひかるくんが振り返った視線の先には、2階の床を支えていた太い木材が落下してきている。

 周りのがれきと同様に端っこはとがり、自然に崩れてしまったのがよく分かる。



 ――もし、ひかるくんがわたしを突き飛ばさなかったら、今頃わたしはあの木材の下敷きだ。



「良かった……」

「いや、良かったけど、美沙さんどうして気づかなかったの……」


 心配そうな声でわたしに向かってつぶやくひかるくん。



 でも、そのとおりである。


 2階の床が崩れるのを、音で察知できなかった。


 と、いうよりは。



「……ごめんなさい。魔を倒して、白雪ちゃんも無事で、気が抜けちゃって……」



 わたしは、正直に謝る。


 完全に、油断していた。

 何をやっているんだわたしは。

 この体育倉庫にいる限り、常に2階の床が崩れる危険性はあるのに。



 もしこれがわたしじゃなく、がれきから出てきたところのひかるくんや白雪ちゃんの上に落ちてきたら……



「……ひかるくんを、白雪ちゃんを守るのが、わたしの役目なのに……」



 全部聴く、ひかるくんの見えないところはわたしが聴く、って宣言したのに。



 これじゃわたし、ひかるくんと一緒にいる資格なんて……




「大丈夫だよ。美沙さんのおかげで、オレも氷川も助かったんだ」


 その時、力強いひかるくんの声が、響いた。


「美沙さんがいなかったら、今日ここで氷川を助けることはできなかった」


 顔を上げると、ひかるくんと目が合う。

 わたしが想像できないほどいろんなものを見てきたひかるくんの瞳に、わたしが映る。



「美沙さんは、全力でオレを助けてくれた。だから一休みしたくなっても仕方ないさ。その時は、オレが美沙さんのことを守るから」


 その言葉と共に、ひかるくんの顔がぐっと近づく。


 女子の先輩が何人も目を向けるような、イケメンのひかるくん。

 わたしの心臓が、これまでにないほど速い鼓動を始める。



「でも、わたしとひかるくんじゃ、見えてる世界、聞こえてる世界が違って」


「だからこそ、互いに補い合うんじゃないか。……美沙さんのできない範囲は、オレが全部何とかする」



 ……全部、か。



 ひかるくんの危険はわたしが察知する。

 わたしの危険はひかるくんが助ける。


 互いに補い合う、関係。


 守り手として、いやそれだけじゃなくても……




 ……いや、まずは守り手からだ。


 それより先は、今後の話。


「わかった。一緒に頑張ろう」
「もちろん」




「……え、一緒にって何? というかさっきから名前呼びだし、やっぱりあなたたち、何か隠してるんじゃ」


 ってそうだ、ここには白雪ちゃんもいるんだ。

 守り手絡みで、あまり突っ込んだことは話せない。


「ああ……それは後で話すよ。それより氷川、昼休みとっくに終わってるだろ、教室戻るぞ」

「いや、そんな場合じゃないわよ。岩戸、やっぱりケガしてるじゃないの」

「え? どこ?」
「ほら右ひざ、ちょっとすりむいてる」

「……こんなもんほっときゃ治るって」


 白雪ちゃんに軽口を叩きながら、立ち上がって体育倉庫を出ていくひかるくん。


 ついていこうとしたわたしに、一瞬だけ振り向く。



 その時、逆光に照らされたひかるくんの顔は、ものすごくかっこよかった。



 そしてわたしは、確信した。



 ひかるくんはもう、大丈夫だ。


「ひかるくん……これからもよろしくね……好きだよ」



 ――わたしの小声は、ひかるくんに聞こえてたかな。



 ***



 それから、ひかるくんはすっかりいつも通りに戻った。


 放課後には、吹奏楽部で忙しいわたしがいなくても、1人で学校の見回りをしている。


 夜、わたしが聴いた音についてメッセージを送ると、詳しく返事が返ってくる。



 むしろ、わたしの方が、メッセージを送るときに緊張してしまうようになっちゃった。

 魔とかの質問をしたいだけなのに。


 白雪ちゃんも言っていたように、ひかるくんはとっても忙しい。

 だから関係ない内容の話は時間の無駄になるから送らないようにしてる。


 けど、したくなっちゃう。


 ひかるくんと、いつまでも、メッセージを送り合っていたい……そんな気分になっちゃうのだ。




「すまない、天野さん。ひかるに会わせてあげられなくて」

「いえ、神事の準備なら、仕方ないです。司郎さんこそ、忙しいのに良かったんですか?」


 数日後の部活の無い土曜日。
 わたしは司郎さんから今回の魔について直接話を聞きたいと言われ、ひかるくんの家に来ていた。

 と言っても、大事な家のお手伝いがあるというひかるくんには会わなかったのだけど。


「ああ。魔や守り手に関する情報収集も、大事だからね。今日はわざわざありがとう。聞きたいことはこれぐらいだ」
「わかりました。じゃあ、わたしはそろそろ」

 一通り、司郎さんの質問に答えたわたしが、立ち上がろうとした時。



「待ってほしい、最後に一つ。――ひかるを元気にしてくれて、ありがとう」



 司郎さんは、正座のまま、深々と頭を下げた。



 って、そんな。


「司郎さん、顔上げてください。わたしは、ひかるくんが心配だっただけで」

「いや、心配してくれたのが、私としては嬉しいんだ。同年代の子から自らを守るなんて言われたのは、ひかるは初めてだろうから」


 確かに。

 守り手としての事情を抜きにすれば、空手をやってるひかるくんが守られるという状況は、そうそう思いつかない。



 ああ、改めて考えると結構恥ずかしいこと言ってたなわたし!


「ははっ、顔が赤くなってるよ天野さん。けどその言葉が、ひかるをトラウマから脱出させてくれた」


 ……トラウマ。その言葉が出ると、心がちくっとする。

 すなわち、ひかるくんの両親が亡くなった3年前の火事。


「でも、もし3年前にわたしがいたら、きっと早く魔を見つけられて、トラウマになることも……」


 多分わたしなら、あの時ひかるくんがいたという小山の下からでも、魔の声が聴こえただろう。

 少なくとも、現実よりはマシな結果になっていた……気がする。


 そうなっていれば、ひかるくんがトラウマを背負うことも、無かったかもと思ってしまうのだ。



 ところが、司郎さんはわたしの言葉がわかっていたかのように、ピシャリと言った。


 まるでアニメの師匠キャラみたいな口調で。

「しかし、それで悔やんでも過去は変わらない。だから、もう二度とあのようなことにならないようするしかない。……そのためには、天野さんの力が必要になる」


「……はい」


「改めて……天野さん、守り手として、ひかるをよろしく頼む」



 司郎さんの声は、今までで一番誠実な声だった。


 そして、それに応えるのはもう決まっている。



「こちらこそ、これからもよろしくお願いします」


 わたしも、深々と頭を下げた。