ひかるくんには何でも見えている




 しかしわたしの言葉は、その時聞こえてきた元気のない声に、思わず止まってしまった。


「あ、氷川。おはよう」

 消えそうな語尾とともに、廊下からこちらに顔を向けているのは。



「おはよう岩戸……どうしたの? 司郎さんから聞いたわよ、大丈夫? 無理して学校に来なくても良かったのに」

「うん。じいちゃんから、『お前には仕事がある。行きなさい』って言われて……」


 ……ひかるくんの顔は、家庭科室の火事の日と変わっていない。

 キリッとした感じは一切無く、イライラしているような、落ち込んでるような。

 そんな感情が、声からも伝わる。



「仕事? 神社の仕事とは違うの?」

「あ……いや、なんでもない。正直、あんまり来たくは無かったけど……」


「……まあいいわ、司郎さん厳しいもんね。でも嫌になったら、いつでもわたしとか、クラスの子とかに言いなさい。岩戸は昔から1人で抱え込むクセがあるから」


 ひかるくんに話しかける白雪ちゃんの声は、とっても優しい。

 さっきまでわたしに向かって喋っていた時の鋭い声とは正反対だ。



 それにつられて、うつむいていたひかるくんの顔が少し上がる。


「……おう。ありがとう、氷川。でも、これ以上氷川を何かに巻き込みたくない。氷川こそ身体、大丈夫なのか?」

「親が大げさに心配しただけよ。わたしの方は問題なしだから」


「そうか……オレのことも、気にしなくていいから」


 でも、ひかるくんの声のテンションはあまり変わらない。

 そのまま、ひかるくんは再び廊下を歩き始めて、自分のクラスの教室へ消えていく。



「あ、ちょっと、ひかるくん!」


 反射的に、わたしの足が動いていた。

 白雪ちゃんの隣まで行ったところで、声を上げる。


 それに対し、一度足を止めたひかるくん。


「ああ……美沙さんも、おはよう」



 そして、一瞬だけ振り返ったひかるくんは、顔を真っ赤にしていた。




「……ひかるくん」

 遠ざかっていく、ひかるくんの背中。


 廊下にはいつの間にか登校する他の生徒も増えてきていて、追いかけるのは大変そう。



「――ねえ天野さん。あなた、岩戸から名前呼びされてた?」


 はっ。

 気づくと、すぐ隣で白雪ちゃんがささやく。


「で、でも、岩戸くんって、距離感が近いというか」

「良いわよ、本当はひかる……って呼びたいんでしょ」


 白雪ちゃんは、やれやれと言った感じの表情。


「天野さんの岩戸に対する気持ち、わたしもわかったわ。なら、しょうがない。許してあげる」


「えっ、でも」

 白雪ちゃん、(あくまで七海ちゃん情報だけど)ひかるくんのことが好き……なんじゃ。


 だとしたら、わたしとは……



「ただし! 岩戸が迷惑そうにしてたら、わたしは天野さんを許さないからね。あくまでわたしの方が、岩戸のことを色々知ってるんだから……多分」


 最後の方は、少し勢いが無くなっていた白雪ちゃんの言葉。


 赤くなる白雪ちゃんの顔。



 ……七海ちゃんの情報は、どうやら正しそうだ。



 そして、ひかるくんを好きなのは、わたしも。



「……というか、もしあそこで岩戸がおはようって言ってなかったら、天野さん、気持ちを岩戸にぶつけてたってことに……勇気、あるわね……」



 ほ、ほんとだ……


 その瞬間、顔が熱くなった。



 ま、待って。


 もしかして、振り返ったひかるくんが顔を真っ赤にしてたのって……



 ――いやいや。


 ひかるくんには、聞こえてない、はず!



 それに、これからひかるくんには、他に言わなきゃいけないことがあるんだ。

 今、白雪ちゃんに言っちゃったのと同じことだけど、これは自分の口から直接言いたい。



 好きと伝えるのは、一旦後回しだ。



 ***



『昼休みの見回り、する?』

『じいちゃんが、やれって言ったから……一応、やろう』


 そのひかるくんのメッセージを信じて、わたしは昼休み、体育館裏へ。


 けど、いつもみたいにひかるくんは、木にもたれかかって待ってはいなかった。

 こんなこと、今までで初めて。



 ……それでも、数分待っていると。


「あ、ひかるくん」


 力ない足音が近づいてきて、わたしは声を上げる。


 今朝見た時と同じ、元気のないひかるくんの顔が見えた。


「その……とりあえず良かった。白雪ちゃんは大したことなかったし、ひかるくんも今日、学校に来てくれた」


「うん。氷川は無事だった。けど、危険に巻き込んだことには変わりない」

 淡々とつぶやくひかるくん。

 声も今朝と変わらずだ。いつもの元気さが、全く無い。



「やっぱりオレじゃ、限界があるんだよ。ずっと見回りしているのに、魔がいるのを見逃してたわけだし」


「でも、魔は隠れるのが上手いって、ひかるくん言ってたじゃん。ある程度は、見つからなくても仕方ないって」


 司郎さんも、同じことを言ってた。本気で隠れられたらわたしもひかるくんも魔を見つけられないだろうってのは、ひかるくんも元から認めてたじゃないか。



 ……でも、見つけられなかったという事実が、ひかるくんには重くのしかかっているんだ。



「……そうだな。だから、今日も見つからないと思うけど、見回りに行こうか。……じいちゃんはやれっていうけど、意味あるのかな……」


 最後の方は、ほとんど無意識につぶやいたような声だった。

 そしてそのまま、とぼとぼといつもの見回りコースをたどり始める。


「あっ、待っ……」


 わたしより背が高いはずのひかるくんの後ろ姿は小さく丸まり、逆にわたしより小さく見えてしまう。


 それを見てると、わたしの話しかけた声も途中で出なくなった。


 普段は、わたしの手を取るようにして、わたしの横を歩きながら見回りを始めるのに。



 いつもとは全く違う足音、ため息の音。


 ひかるくんの元気の無さが、音を通してわたしの元に伝わってくる。


 昼休み、生徒たちの騒ぎ声が聞こえる中で、ひかるくんから発せられる音だけが、明らかに違う雰囲気を作っている。


 その雰囲気に飲まれ、わたしも言おうとしたことを言い出せないまま、見回りが始まった。