「た、たすけて……」
確かにその声が聞こえて、うつらうつらだったわたしの目がはっきりと覚めた。
スマホで時間を確認すると、午前2時過ぎ。
遠くの大通りを走る車の音に混じって、声が聞こえる。いつものことだ。きっとまた、父さんみたいに遅くまで飲み会していた人だろう。そんなに酒って美味しいのかな。
「たすけ、て……」
いや、この声の感じは違う。
途切れ途切れだけど、言葉自体ははっきりしている。帰りが遅い時の父さんじゃない。
気になったわたしは部屋の明かりを付け、カーテンを開ける。
聞こえ具合から方角と距離を考えると、声の発信源は中学校の近く、小さな公園がある辺り。
その方向に目を凝らす。
……ダメだ。人影が2つある、ぐらいまでしか目ではわからない。
ならば、とわたしが集中して耳を澄ませようとしたその時。
ドサッ
「ふう……やっぱりオレ1人じゃ大変すぎる」
何かが倒れる音とともに、さっきの途切れ途切れのものとは違う声がした。
男子の声だ。それも、きっとわたしと同年代、中学生ぐらい。
「早く他の『守り手』を見つけないと……誰か! 自分は優れた感覚を持ってるとか、身体のどこかが不自然に赤いとか、そういう人はぜひ、名乗り出てほしい! 頼む! 街のためなんだ!」
最後の方は、誰かに呼びかけてるような叫び声になって。
もう一度目を向けると、さっきの人影はもう見えなくなっていた。
……何だったんだ。
酒に酔った人の深夜の叫びは、今まで数え切れないほど聞こえてきていた。
でも、今のはそういう感じじゃなかった。
2つの人影のどちらかが発した声、だろう。
ドラマかなんかの撮影?
いや、こんな深夜にやるわけない。それにそうなら、もっと色々騒がしくなって、絶対わたしも音で気づいてるはず。
じゃあ、本当に何?
***
――結局、眠れないまま朝になってしまった。
もっとも、音が気になって寝不足になっちゃうのもいつものことだ。やっぱりちゃんとした耳栓買おうかな。
「いってきま〜す」
あくびを我慢しながら母さんに手を振って、家を出る。
わたしは天野 美沙、上橋第三中学校の1年生。入学して1ヶ月、新しい通学路や制服にもだいぶ慣れてきた。
ゆうべ声が聞こえてきた公園も学校の近くで、通学路にも入っている。
……おや。
後ろから近づいてくる足音がして、わたしは振り返った。
「あれ、今日も気づかれちゃったか〜美沙ちゃん、本当に鋭いよね」
振り返った先でわたしを驚かそうとしていたポニーテールのこの子は、クラスメイトの宮津 七海。中学から知り合った子の中では、わたしが一番仲良くなった子だ。
「おはよう七海ちゃん。わたしを驚かせたいのなら、もっとこっそりしないと」
「えーっ、他のみんなはこれでもうめちゃくちゃびっくりしてくれたのにー!」
セミロングのわたしの髪をくるくるいじりながら、七海ちゃんがわかりやすく残念そうな顔をする。聞くまでもない。
そういえば、七海ちゃんの家は商店街で喫茶店をやっている。時々七海ちゃん自身も店を手伝っていて、そこでお客さんからいろんな話を聞くらしい。
だから情報通としても評判の七海ちゃんに、わたしは聞いてみる。
「そうだ、昨日の夜、このへんでドラマの撮影とかしてなかった?」
「なにそれ知らない! いつぐらい?」
「えっと……午前2時過ぎかな? あそこの公園のあたりから、誰かの叫び声を聞いた気がして……気のせいかな?」
「その時間はさすがに……今朝来たお客さんも、そんな話してなかったし」
首を横に振る七海ちゃん。
ちょうどその公園の前を通りかかったので、わたしは少し辺りを見回してみる。
「た……」
……今、やっぱり何か聞こえた?
「七海ちゃん、何か言った?」
「いや、何も?」
だよね。
今のは明らかに、七海ちゃんの無邪気な声じゃない。
ゆうべのあの、途切れ途切れの声と同じだ。
「やっぱり美沙ちゃんって、勘が鋭いのかな?」
また歩き出すと、七海ちゃんが急に聞いてきた。
「どういうこと?」
「いや……授業中も、なんか急に見回したりしてるからさ。うちの常連さんにもいるんだよ、そういう、その……いろんなものを感じちゃう人とか……」
「ああ……」
まあ、七海ちゃんの言うことも、あながち間違いではない。
わたしの場合、そんなオカルトじみた話とは、ちょっと違うかもだけど……
「でもそういうの、ちょっと憧れというか、面白そうとか思っちゃうんだよね」
キキーッ!
「母さんには、不謹慎だからほどほどにしなさいって言われるんだけど……」
「待って七海ちゃん」
その時聞こえてきた異音に、わたしは耳を澄ませる。
キキーッ!
……やっぱり。
自転車のブレーキがかかり続けている音だ。方向は目の前の十字路を左に曲がった、急な上り坂の上。遠いからか、まだ七海ちゃんや周りの他の人は気づいてない。
しかもどんどん音が大きくなってる。
ってことはこれ、自転車のブレーキが壊れている?
気付いた瞬間、わたしはすぐ横の車道に飛び出していた。
後ろから走ってきていたトラックの運転手が、そのわたしを見てブレーキをかける音がする。
大丈夫。距離的にわたしとぶつかることは無い。でも、ここでブレーキをかけてもらわないと。
「美沙ちゃん?」
「七海ちゃんは動かないで!」
十字路を左に曲がっても、右に曲がっても急な上り坂。自転車が突っ込んできても、ここの十字路で勢いは止まるはず。そして右に曲がった先から車が来てる音もしない。
だから、あのトラックさえ止まってくれれば。
キキーッ!
そして、七海ちゃんにも聞こえるぐらい、はっきり自転車のブレーキ音が大きくなったところで。
「ちょっと、危ないよそこの学生!」
わたしの目の前で止まったトラックの運転手が、窓から顔を出して声を上げる。
次の瞬間、わたしの後ろを、すごい速さで自転車が通り過ぎていった。
ガシャーン!
一瞬の間があって、反対側の上り坂でスピードを失った自転車が倒れる音。
「ごめんなさい!」
わたしは、トラックの運転手に軽く頭を下げて、自転車の方に駆け寄る。
「田中のおばさん! 大丈夫?」
自転車の近くに倒れているのは、わたしも見覚えがある、商店街の肉屋のおばさんだった。
先に近づいていた七海ちゃんが身体を起こして、声をかけている。
「ええ。ブレーキが壊れちゃってたみたいで……痛っ」
おばさんの両ひざから血が出ている。
「やっぱり、念の為救急車呼ぼう?」
スマホを手に取る七海ちゃん。
「えっと、はい、事故です、場所? 場所は、えっと」
「良いわよ七海ちゃん。私が答えるから」
そう言われて、おばさんにスマホを渡すと、七海ちゃんは目を輝かせてこっちを向いてきた。
「すごい! 美沙ちゃん、自転車が来るのわかってたからトラック止めたんだね! なんでわかったの?」
「ああ……聞こえたのよ。自転車のブレーキ音」
わたしが止めてなかったら、きっとトラックと自転車がぶつかって、大惨事になっていただろう。
ブレーキの壊れた自転車を力ずくで止めることもできなかっただろうし、これが正解だったはずだ。
良かった。
――自分の聴力をまた、人のために使えた。
確かにその声が聞こえて、うつらうつらだったわたしの目がはっきりと覚めた。
スマホで時間を確認すると、午前2時過ぎ。
遠くの大通りを走る車の音に混じって、声が聞こえる。いつものことだ。きっとまた、父さんみたいに遅くまで飲み会していた人だろう。そんなに酒って美味しいのかな。
「たすけ、て……」
いや、この声の感じは違う。
途切れ途切れだけど、言葉自体ははっきりしている。帰りが遅い時の父さんじゃない。
気になったわたしは部屋の明かりを付け、カーテンを開ける。
聞こえ具合から方角と距離を考えると、声の発信源は中学校の近く、小さな公園がある辺り。
その方向に目を凝らす。
……ダメだ。人影が2つある、ぐらいまでしか目ではわからない。
ならば、とわたしが集中して耳を澄ませようとしたその時。
ドサッ
「ふう……やっぱりオレ1人じゃ大変すぎる」
何かが倒れる音とともに、さっきの途切れ途切れのものとは違う声がした。
男子の声だ。それも、きっとわたしと同年代、中学生ぐらい。
「早く他の『守り手』を見つけないと……誰か! 自分は優れた感覚を持ってるとか、身体のどこかが不自然に赤いとか、そういう人はぜひ、名乗り出てほしい! 頼む! 街のためなんだ!」
最後の方は、誰かに呼びかけてるような叫び声になって。
もう一度目を向けると、さっきの人影はもう見えなくなっていた。
……何だったんだ。
酒に酔った人の深夜の叫びは、今まで数え切れないほど聞こえてきていた。
でも、今のはそういう感じじゃなかった。
2つの人影のどちらかが発した声、だろう。
ドラマかなんかの撮影?
いや、こんな深夜にやるわけない。それにそうなら、もっと色々騒がしくなって、絶対わたしも音で気づいてるはず。
じゃあ、本当に何?
***
――結局、眠れないまま朝になってしまった。
もっとも、音が気になって寝不足になっちゃうのもいつものことだ。やっぱりちゃんとした耳栓買おうかな。
「いってきま〜す」
あくびを我慢しながら母さんに手を振って、家を出る。
わたしは天野 美沙、上橋第三中学校の1年生。入学して1ヶ月、新しい通学路や制服にもだいぶ慣れてきた。
ゆうべ声が聞こえてきた公園も学校の近くで、通学路にも入っている。
……おや。
後ろから近づいてくる足音がして、わたしは振り返った。
「あれ、今日も気づかれちゃったか〜美沙ちゃん、本当に鋭いよね」
振り返った先でわたしを驚かそうとしていたポニーテールのこの子は、クラスメイトの宮津 七海。中学から知り合った子の中では、わたしが一番仲良くなった子だ。
「おはよう七海ちゃん。わたしを驚かせたいのなら、もっとこっそりしないと」
「えーっ、他のみんなはこれでもうめちゃくちゃびっくりしてくれたのにー!」
セミロングのわたしの髪をくるくるいじりながら、七海ちゃんがわかりやすく残念そうな顔をする。聞くまでもない。
そういえば、七海ちゃんの家は商店街で喫茶店をやっている。時々七海ちゃん自身も店を手伝っていて、そこでお客さんからいろんな話を聞くらしい。
だから情報通としても評判の七海ちゃんに、わたしは聞いてみる。
「そうだ、昨日の夜、このへんでドラマの撮影とかしてなかった?」
「なにそれ知らない! いつぐらい?」
「えっと……午前2時過ぎかな? あそこの公園のあたりから、誰かの叫び声を聞いた気がして……気のせいかな?」
「その時間はさすがに……今朝来たお客さんも、そんな話してなかったし」
首を横に振る七海ちゃん。
ちょうどその公園の前を通りかかったので、わたしは少し辺りを見回してみる。
「た……」
……今、やっぱり何か聞こえた?
「七海ちゃん、何か言った?」
「いや、何も?」
だよね。
今のは明らかに、七海ちゃんの無邪気な声じゃない。
ゆうべのあの、途切れ途切れの声と同じだ。
「やっぱり美沙ちゃんって、勘が鋭いのかな?」
また歩き出すと、七海ちゃんが急に聞いてきた。
「どういうこと?」
「いや……授業中も、なんか急に見回したりしてるからさ。うちの常連さんにもいるんだよ、そういう、その……いろんなものを感じちゃう人とか……」
「ああ……」
まあ、七海ちゃんの言うことも、あながち間違いではない。
わたしの場合、そんなオカルトじみた話とは、ちょっと違うかもだけど……
「でもそういうの、ちょっと憧れというか、面白そうとか思っちゃうんだよね」
キキーッ!
「母さんには、不謹慎だからほどほどにしなさいって言われるんだけど……」
「待って七海ちゃん」
その時聞こえてきた異音に、わたしは耳を澄ませる。
キキーッ!
……やっぱり。
自転車のブレーキがかかり続けている音だ。方向は目の前の十字路を左に曲がった、急な上り坂の上。遠いからか、まだ七海ちゃんや周りの他の人は気づいてない。
しかもどんどん音が大きくなってる。
ってことはこれ、自転車のブレーキが壊れている?
気付いた瞬間、わたしはすぐ横の車道に飛び出していた。
後ろから走ってきていたトラックの運転手が、そのわたしを見てブレーキをかける音がする。
大丈夫。距離的にわたしとぶつかることは無い。でも、ここでブレーキをかけてもらわないと。
「美沙ちゃん?」
「七海ちゃんは動かないで!」
十字路を左に曲がっても、右に曲がっても急な上り坂。自転車が突っ込んできても、ここの十字路で勢いは止まるはず。そして右に曲がった先から車が来てる音もしない。
だから、あのトラックさえ止まってくれれば。
キキーッ!
そして、七海ちゃんにも聞こえるぐらい、はっきり自転車のブレーキ音が大きくなったところで。
「ちょっと、危ないよそこの学生!」
わたしの目の前で止まったトラックの運転手が、窓から顔を出して声を上げる。
次の瞬間、わたしの後ろを、すごい速さで自転車が通り過ぎていった。
ガシャーン!
一瞬の間があって、反対側の上り坂でスピードを失った自転車が倒れる音。
「ごめんなさい!」
わたしは、トラックの運転手に軽く頭を下げて、自転車の方に駆け寄る。
「田中のおばさん! 大丈夫?」
自転車の近くに倒れているのは、わたしも見覚えがある、商店街の肉屋のおばさんだった。
先に近づいていた七海ちゃんが身体を起こして、声をかけている。
「ええ。ブレーキが壊れちゃってたみたいで……痛っ」
おばさんの両ひざから血が出ている。
「やっぱり、念の為救急車呼ぼう?」
スマホを手に取る七海ちゃん。
「えっと、はい、事故です、場所? 場所は、えっと」
「良いわよ七海ちゃん。私が答えるから」
そう言われて、おばさんにスマホを渡すと、七海ちゃんは目を輝かせてこっちを向いてきた。
「すごい! 美沙ちゃん、自転車が来るのわかってたからトラック止めたんだね! なんでわかったの?」
「ああ……聞こえたのよ。自転車のブレーキ音」
わたしが止めてなかったら、きっとトラックと自転車がぶつかって、大惨事になっていただろう。
ブレーキの壊れた自転車を力ずくで止めることもできなかっただろうし、これが正解だったはずだ。
良かった。
――自分の聴力をまた、人のために使えた。



