幽霊ルームメイトは京都に縁がありすぎる―或いは、京大新入生・村上湊の受難、その真相―

 四月、桜が舞う京都。

 村上湊は、汗だくになりながらダンボール箱を三段重ねにして抱え、急な階段を登りきったところで、ようやく自分の新居を見上げた。

「……木造二階建て、築五十三年」

 軋む階段、色の抜けた外壁、どこか懐かしいようでいて、少しだけ不安になる佇まい。
 不動産屋の兄ちゃんは、内見のとき、間取り図を指で叩きながら妙に軽い調子で言っていた。

「一応、事故物件なんですけど」
 その言い方があまりに軽くて、湊は思わず聞き返した。
「……どんな事故ですか?」
「詳しいことは非公開です。心理的瑕疵あり、ってやつですね。京都だと、まあ珍しくないです」
「珍しくないんですか」
「ええ。建物は建て替わっても、土地の縁が残るとか言う人もいますし。気にしない学生さんには人気ですよ。家賃三万円ですから」

 そのあとで、不動産屋は付け足すように言った。
「ちなみに、ここ三年で五人入れ替わってます。最短は三日です」

 なぜ三日で逃げたのか、その理由を聞きそびれたことを、湊はいま猛烈に後悔していた。
 ただ、ここまで来て引き返すという選択肢はなかった。
 敷金礼金その他合わせて、すでに十五万円を支払っている。親に頭を下げ、頭を下げ、もう一度頭を下げて工面した十五万円である。

 事故だろうが、縁だろうが、幽霊だろうが――
 まだ見ぬ何かに追い返されるわけにはいかなかった。

 住所を今一度確認して、湊は首を傾げた。
「河原町……蛸薬師……」

 どこかで聞いたことのある地名だったが、今は思い出せない。
 意を決して、ドアノブを回す。

 ギィィィィ、と、耳に残る音を立てて扉が開いた。

 六畳一間。押入れ。小さな流し台。
 窓からは河原町の通りが見える。人通りは多く、昼間はそれなりに賑やかだ。

 ――悪くない。
 悪くないのだが。

「参上!」

 突然、部屋の中心から、男の声が響いた。

 湊はダンボールを全部落とした。

 男は、どう見ても戦国武将の格好をしていた。金色の装飾が施された甲冑に、指揮棒のようなものを携えている。身長は百七十センチほどで、目つきが鋭く、顎がしゃくれていた。そしてその体は、薄らと透けていた。
「な、な、な……」
「何者かと問うておるのか? 面白い。ならば答えてやろう」
 男はぐるりと振り向き、湊を正面から見据えた。
「我こそは、第六天魔王。尾張の大うつけにして、天下布武の志半ばにして本能寺に散った織田信長である! よろしくな!」
 最後だけ妙にフランクだった。
「……幽霊?」
「幽霊とは無礼な。成仏できずにおるだけじゃ。細かいことを申すな」
 湊はゆっくりと深呼吸した。
 京大に合格した。受験の神様が味方してくれた。
 その神様が、まさかこんな形でお礼参りをしてくるとは思わなかった。
「ここ、俺が借りた部屋なんですけど」
「知っておる。ここ三年、住人が来るたびに同じことをしておる。皆、三日以内に逃げていくのでな、もはや風物詩じゃ」
「誇るな」

 驚くべきことに、湊は逃げなかった。
 理由は単純だった。
 幽霊ごときに、あの十五万円を無駄にされてたまるか、という気概が、恐怖に勝ったのだ。

 初日の夜、湊がカップラーメンを啜っていると、信長が当たり前のように隣に座った。

「それは何じゃ」
「カップラーメン」
「食べます?」
「食えん。幽霊ゆえな」
「じゃあ聞くな」

 しばらく沈黙が続いたあと、湊はスマートフォンで物件の住所を改めて調べてみた。

 河原町通り、蛸薬師下ル。
 検索結果が出た瞬間、湊の手が止まった。

「……近江屋?」
 信長がぴくりと反応した。
「知っておるか」
「近江屋事件って……坂本龍馬が暗殺された場所じゃ……」
「そうじゃ」
 信長は静かに、しかしどこか誇らしそうに答えた。
「ここは慶応三年、坂本龍馬と中岡慎太郎が斬られた場所じゃ。正確には近江屋の二階。まあ、今は建物が何度も建て替わっておるがな。土地の因縁というのは、そう簡単には消えぬものじゃ」
「じゃあなんでそこに信長がいるんですか」
「我も京都で死んだからじゃ」
 当然のことのように言った。

      ☆

 三日目の夜。
 窓の外からポンポンと叩く音がした。
 二階である。
「……誰?」
「坂本じゃ! 坂本龍馬! おまんのこと聞いたぜよ! 幽霊と仲良う暮らしゆう変わり者がおるって!」
 窓を開けると、幕末風の羽織袴姿の男が、空中に立っていた。着物の袈裟懸けに、古い刀傷のような痕が見えた。髪は乱れ、目は爛々と輝いており、全身が薄く透けている点を除けば、やたらと「生き生き」していた。

「なんで空中に立ってんの」
「幽霊じゃき、なんでもできるがじゃ!」
「……あなたがここで死んだ人ですね」
 龍馬はあっさり頷いた。
「そうじゃ! ワシはここの二階で、見回り組か何かに斬られて死んだがじゃ。十一月の寒い夜でのう、鴨居に血がべったりついてのう、中岡さんも一緒に……」
「もう少し明るく言えない?」
「すまんすまん。まあそういうわけで、ワシもここに縁があるがじゃ。居候してもええかえ?」
「良くない」
「もう入っとるがじゃ」
 龍馬はすでに部屋の中に入っていた。壁をすり抜けて。
 湊は布団に顔を埋めた。

 かくして、六畳一間に三人(うち二人幽霊)の奇妙な共同生活が始まった。

 ところが、すぐに問題が発覚した。
 信長と龍馬は、どういう因果か、互いの死に場所をよく知っていた。

「そういえば、お主は河原町で死んだのか」と信長。
「そうじゃ。おまんは本能寺じゃろ」と龍馬。
「左様」
 ふたりはしみじみと顔を見合わせた。
「京都というのは、よう人が死ぬのう」
「まったくじゃ。人が死ぬ名所ばかりじゃ」
「風光明媚なのにな」
「観光地になっとるしな」
 湊は冷や汗をかきながら聞いていた。京都で死んだ有名人が自分の部屋に集まっているという状況を、どう受け止めればいいのか分からなかった。
 最大の問題は、信長と龍馬が自分の死について、それぞれ「納得できていない点」を抱えていることだった。

 信長の場合は明快だった。
「なぜ光秀は謀反を起こしたのか、未だに分からん!」
 天正十年六月二日、京都・本能寺。明智光秀の軍勢に囲まれた信長は、炎の中に消えた。享年四十九。天下まであと少しのところだった。その「なぜ」が、四百年以上経った今も、信長の中で燻り続けていた。

「諸説あるんですよ」
 湊が言った。
「諸説!? 四百年経っても諸説なのか! 我はどんな顔をして成仏すればよいのじゃ!」
「ごもっともだと思います」

「怨恨説、野望説、四国説……あれもこれも聞いた! どれが本当なのじゃ!」
「正直、研究者も決め手がなくて……」
「情けない! そちらの時代の学者どもは何をしておる!」
 信長は畳の上を右往左往し始めた。幽霊なので足音は一切しない。その静寂の中を甲冑姿の男がわたわたと走り回る光景は、シュールを通り越して、もはや芸術だった。

 龍馬の場合は、また別の意味で複雑だった。
「ワシを殺したのが誰なのか、はっきりせんのじゃ」
 慶応三年十一月十五日、京都・近江屋。龍馬は盟友・中岡慎太郎と語らっていたところを、何者かに急襲された。享年三十三。大政奉還の直後、新しい日本の夜明けを目前にして、その命は奪われた。

「見回り組か、薩摩藩か、紀州藩か……ワシ自身が「こいつじゃ」と確信できんまま死んだがじゃ。暗うてよう顔が見えんかったがじゃ」
「それは……つらいですね」
「しかも暗殺された日が、ワシの誕生日と同じ日じゃ。十一月十五日。さすがに笑えんぜよ」
「誕生日に暗殺されたの?」
「そうじゃ。世話ないのう」
 龍馬はからりと笑ったが、その目の奥に、静かな悲しみが滲んでいた。
 湊は思わず「それは本当にひどい話だ」と言った。
「おまんはええ奴じゃのう」
 龍馬が笑った。
「三年間ここに住んだ者で、ちゃんと話を聞いてくれたのはおまんが初めてじゃ」
「みんな逃げたんでしょ」
「初日に逃げるがじゃ。早い者は三秒じゃった」
「三秒って」
「ドアを開けた瞬間に我の顔を見て絶叫して走り去った」
 信長が補足した。
「あれは傑作じゃった」
「傑作言うな」

      ☆


 五月の連休明け。 湊が大学の図書館から帰ると、信長と龍馬が珍しく並んで座り、何かを見ていた。
 近づくと、テーブルの上に湊の歴史の教科書が広げてあった。

「……勝手に読まないでください」
「すまんな」と信長。
「しかしこれは面白い。我の生涯がこれほど詳細に書かれておるとは」
「龍馬も?」
「ワシは教科書に載っとるだけでなく、小説にまでなっとるがじゃ」
 龍馬が興奮気味に言った。
「司馬遼太郎というお方が書いてくれたらしい。『竜馬がゆく』というがじゃ! 読んだかえ?」
「読んだよ」
「どうじゃった!」
「面白かった。龍馬がカッコよかった」
 龍馬は「そうかそうか!」と言って、ひとりで五回くらい頷いた。そしてだんだん目が潤んできた。
「ワシが……カッコよく書いてもろうとる……」
「泣かないでよ」
「泣いとらん。目から汗が出とるだけじゃ」
「信長さんと同じこと言わないでください」
 信長が「それより」と割り込んだ。
「我のことも教えよ。現代での評判はどうじゃ」
「信長は……超有名人だよ。歴史上の人物の人気投票とかで常に上位に入るし、ゲームのキャラになってるし、グッズも売れてる」
「グッズ?」
「キーホルダーとか、マグカップとか」
「我が……マグカップに……」
「信長様マグカップ、売れてますよ」
 信長はしばらく黙ったあと、兜のつばに手を当てて顔を隠した。
 肩が震えていた。
「信長さん、泣いてる?」
「泣いておらん。目から汗が出ておるだけじゃ」
「……揃いも揃って」

          ☆

 六月のある夜、湊は京都の地図を広げながら夕飯を食べていた。
 ふと思い立って「信長さん、本能寺ってここですよね」と地図の一点を指さした。
 現在の本能寺は蛸薬師通りにある。ちょうどこのアパートから歩いて数分の場所だった。
「左様。ただし、我が死んだ本能寺は今とは少し場所が違う。今の本能寺は豊臣秀吉が移転させたものじゃ」
「そうなんですか」
「四条西洞院のあたりじゃった。今は跡地に碑が立っておるだけじゃ」
「行ったことある?」
「……行けぬ」
 信長は静かに言った。
「幽霊というのは、死に場所に縛られるのか縛られないのか、そのあたりが曖昧でな。我はここに居るが、本能寺の跡地には、あまり近づきたくない」
「なんで?」
「思い出したくないことがあるのじゃ」
 その声が、珍しく静かだった。四百年間、考え続けてきた「なぜ」が、その静けさの中にあった。
 龍馬が「ワシも近江屋の前は、なるべく通らんようにしとる」と言った。
「石碑があってな、ちゃんと記念になっとるのはありがたいがじゃ。でも前を通るたびに、あの夜の暗闇を思い出す」

 三人は、しばらく黙って座っていた。
 六畳一間に、不思議な静けさが満ちた。

         ☆

 七月。
 湊は友人の原田を部屋に連れてきた。心霊スポット好きの原田が「事故物件見せてくれ」と粘ったからだ。
 信長と龍馬は久しぶりの「他人」に張り切った。

「怖がらせてやろうぞ」
 信長が甲冑姿でドアの前に仁王立ちした。
「ワシも行くがじゃ」
 龍馬が刀の柄に手をかけてポーズをとった。

 ところが原田は部屋に入るなり「あれ、普通の部屋じゃん。全然怖くない。もっとじめじめしてると思った」と言い、スマートフォンで部屋を撮影し始めた。

 信長の目の前を、完全に素通りした。
「あのう……」
 信長が湊に耳打ちした(耳打ちの概念が幽霊にあるのかは不明だが)。

「見えないみたい」
 湊が小声で答えた。

「見えないのか!? 我が!? 天下布武の織田信長が!?」
「シー、声も聞こえないから」
 信長は直立不動で原田の目の前に立ち、全力でドヤ顔をした。原田はスマートフォンをいじり続けた。信長はその場で微動だにせず立ち尽くした。
 甲冑の奥から、かすかにため息が漏れた。

 龍馬は「こりゃあ面白いぜよ」と笑っていたが、自分が試したときも同様の結果だったため、最終的にふたりで肩を落として押入れに引っ込んだ。

 原田が帰ったあと、押入れから信長が「……寂しかった」と一言だけ言った。

「見えてるよ、俺には」
「……そうじゃな」
 その返事に、少しだけ安堵の色があった。

           ☆

 八月の盆が近づいた頃、ふたりは珍しく真面目な顔で湊に話しかけてきた。
「少し、聞いてもよいか」と信長が言った。
「なに?」
「お主は京大生じゃな」
「一応」
「ならば学者の端くれじゃ。我に正直に答えよ」
 信長は、いつものドヤ顔ではなく、静かな目をしていた。
「光秀が謀反を起こした理由……本当に、後世の者どもには分からんのか」
 湊は少し考えてから、ゆっくり答えた。
「分からないんだよ、本当に。怨恨説、野望説、四国問題説、朝廷陰謀説……どれも証拠が完全じゃなくて、研究者が今も議論してる。それだけ信長さんと光秀の関係が複雑だったってことでもあると思う」
「複雑、か」
「信長さんが光秀を信頼してたのは事実だと思う。だから光秀も重用された。なぜそれが裏切りに変わったのか、その心の動きを示す資料が少なすぎて……」
「我が、光秀を信頼しておったのは……左様じゃ」
 信長は静かに呟いた。四百年間、誰にも言えなかったことを、絞り出すように。
「だから分からんのじゃ。信頼しておったから、裏切られた理由が分からん。怒りより先に、困惑が来た。本能寺で炎に囲まれながら、我はずっと『なぜ』と思っておった」
 湊は黙って聞いた。
「……まあ、よい……分からんまま四百年経ったのじゃ。もう少し分からんままでもよかろう」
 それから信長は龍馬に目を向けた。
「お主はどうじゃ」
「ワシは……誰に殺されたかより、あと少し生きたかったという気持ちの方が強いがじゃ。大政奉還が成って、新しい日本が動き出した、その瞬間に死んでしもうたがじゃ。あと一年でも生きとったら、何が見えたじゃろうと思う」
「維新は成し遂げられたよ。明治になって、日本は大きく変わった」
 湊が言う。
「……そうか」
「良いことも悪いこともあったけど、龍馬が夢見た『新しい日本』は、ちゃんとできた」

 龍馬はしばらく黙っていた。
「そうか」
 もう一度、静かに言った。
「それを聞けてよかったぜよ」

            ☆

 お盆の夜。
 湊が大学の課題を終えて一息ついたとき、ふと部屋が静かなことに気づいた。
 信長も、龍馬も、いなかった。
 押入れを開けても誰もいない。窓を開けて空を見ても誰もいない。河原町の夜の喧騒だけが、遠く聞こえた。
「……帰ったのかな」
 呟いた声に、返事はなかった。
 ただ、机の上に、付箋が二枚貼ってあった。

 一枚目には、武骨な文字で。

 世話になった。謀反の理由は結局分からんかったが、まあよい。本能寺で終わった我の人生も、四百年後に京大生に話を聞いてもらえたのだから、悪くはなかった。天下の代わりに、面白い夏を過ごせた。信長

 二枚目には、少し崩れた字で。

 ありがとうのう。近江屋の二階で死んだワシが、まさか同じ場所に住む大学生と飯を食う日が来るとは思わんかったぜよ。おまんの人生、ええもんにしいや。新しい日本を、楽しんでくれ。龍馬

 湊はしばらくその付箋を眺めてから、冷蔵庫からビールを取り出した。
 まだ二十歳にはなっていなかったが、今日だけは許される気がした。
 六畳一間で、ひとりで乾杯した。
「お疲れ様でした」
 返事はなかった。
 河原町の夜風が、カーテンをそっと揺らした。

        ☆

 翌朝、大学の友人から「村上って事故物件住んでるんだって? 幽霊出た?」
 とLINEが来た。
 湊は少し考えてから、こう返した。
 
 出たよ。京都で死んだ有名人が二人。

 既読がついて、しばらくして「病院行け」という返信が来た。
 湊は笑って、スマートフォンをポケットにしまった。

 そして、机の上を見ると、付箋がまた一枚増えていた。

 学業に励めよ。遊んでばかりでは我の居候代がもったいないぞ。それと、本能寺そばにホテルというものがあると聞いた。なぜ我に教えなかった。見に行くぞ。信長【まだおる】

 湊は、声を上げて笑った。