第二部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない

蝶の会の中は、相変わらず甘ったるい香の匂いに包まれていた。
花と香料、酒と欲望が入り混じったような、喉の奥に残る匂い。

今日は美術品の展示が主らしく、壁際には幾つもの絵画が並び、中央には宝石や彫刻が飾られている。

どれも高価で、希少で、美しい。

――けれど、不思議と心は動かなかった。

そんな中、一枚の絵画の前で、自然と足が止まる。

光り輝く満月に、必死に手を伸ばす人物。
その足元には、踏み潰された小さな紫の花。

タイトルは――

『幻想』

胸の奥が、ちくりと痛んだ。

なぜだろう。
ただの絵なのに、まるでこちらを見透かされているような気がした。

すぐ隣に立つ気配。

「サーフェス」

声をかけるより先に、彼が口を開いた。

「こんばんは、ルナ。この絵を見て、何を考えていた?」

黒髪に、金と黒を基調とした仮面。
会いたいと思っていた人物が、あまりにも自然にそこにいた。

「特に……」

そう前置きしてから、言葉を選ぶ。

「届くはずもない輝きを追いかけて、
 すぐ足元にある幸せに気づかない――そんな、愚かな人かなと」

人物が踏み潰しているのは、すみれの花。
花言葉は“ささやかな幸せ”。

手の届くものには目も向けず、
届かぬ幻想だけを追い求める姿が、妙に胸に残った。

「そうだね。本当に愚かだよ」

低く落とされた声。

それは絵に向けられたものなのか、
他の誰かに向けられたものなのか。

一瞬、問い返したくなったが、やめた。

「ルナ。少し、話さないか?」

彼は絵画から私へと身体を向ける。

ちょうど、話をしたいと思っていたところだった。

「……ええ」

「では、内緒話をしよう」

人差し指を仮面の口元に添え、そう言って微笑む。