第二部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない

「蒼紋ラピスラズリ伯爵家のティアナ・ラピスラズリと申します」

私は一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。

「急な訪問、失礼いたします」

名乗った瞬間。

レイの紫の瞳が、ほんのわずかに細められた。

驚きでも警戒でもない。
まるで、名前そのものを確かめるような――
そんな静かな間。

だが彼はすぐに、穏やかな微笑を浮かべる。

「こちらこそ。
お会いできて光栄です、ラピスラズリ家のご令嬢
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」

レイはそう告げると、静かに扉を開いた。

通された応接室は、落ち着いた色調でまとめられており、
外の雨音がやわらかく遮られている。

ほどなくして運ばれてきたのは、温かい紅茶だった。

立ちのぼる湯気と、ほのかな柑橘の香り。

一口含むと、張り詰めていた身体の力が、ゆっくりとほどけていく。

「これを飲んだら、俺とティアナ嬢は出かけるよ」

殿下が何気ない調子で言う。

レイは即座に頷いた。

すると、私の背後で控えていたユウリが一歩前に出る。

「……私も、ご一緒してもよろしいですか?」

「そうだね。君はティアナ嬢の執事だ」

殿下は楽しそうに笑って続けた。

「ユウリ、と呼んでもいいかな」

「もちろんです」

わずかに微笑み、ユウリは頭を下げる。

そのやり取りを見届けてから、
レイは一つ頷き、実務的な口調に戻った。

「承知いたしました」

「馬車を用意いたします。
雨も弱くなってきたようですので、移動に支障はないでしょう」

そう言って、窓の外へと視線を向ける。

雲の切れ間から、淡い光が差し始めていた。

「私も同行いたしますが――」

一拍置き、レイはやや意味ありげに微笑んだ。

「オーウェンも、きちんと連れて行ってくださいね」

「……忘れてた」

殿下が小さく呟く。

「忘れて“いた”では済みません」

即座に返す声は穏やかだが、容赦がない。

「彼は今朝から、殿下の行動予定表を三度書き直しています」

「三度も?」

「はい。逃げ出される前提で」

ユウリが思わず咳払いをした。

「それは……ご苦労さまです」

「まったくです」

そう言いながらも、レイの声音にはどこか親しみが滲んでいた。

「準備が整い次第、お知らせいたします」

軽く一礼し出て行った。