子午線の下で―私の時間を見つける物語―

 観望会の翌朝、柚月は少し遅く目を覚ました。

 昨夜は興奮してなかなか眠れないかと思っていたが、布団に入ると、意外なほどすぐに眠りに落ちた。
 夢は見なかった。ただ、深く、静かな眠りだった。

 縁側に出ると、朝の光が庭に落ちている。
 昨夜見上げた星空とは、まるで別の世界だ。

 湯を沸かし、簡単に朝食をとる。
 特別なことは何もしていないのに、身体の奥に、まだ夜の余韻が残っている気がした。

 柚月は縁側に座り、スマホを手に取った。
 無意識に時計を見ようとして、ふと、その動きを止める。

 時間を確認しなくてもいい。
 今日は、どこにも行く予定がない。

 スマホを伏せ、縁側の板に置いた。
 それだけで、空気が少し変わったように感じる。

 午前中は、庭の手入れをした。
 伸びかけた雑草を抜き、落ち葉を集める。
 単調な作業なのに、不思議と飽きない。

 作業の合間、何度か空を見上げた。
 昼の空は、星の気配を何一つ残していない。
 それでも、昨夜あの場所に星があったことを、身体が覚えている。

 昼食を済ませたあと、柚月は押し入れを開けた。
 祖母の使っていた古い双眼鏡が、箱に入ったまま置かれている。

 子どもの頃、一度だけ使わせてもらったことがあった。
 重くて、うまく扱えなかった記憶がある。

 箱から取り出し、レンズをそっと拭いた。
 古いが、まだ使えそうだ。

 夕方、双眼鏡を持って庭に出る。
 椅子を置き、背もたれに寄りかかる。

 空が、ゆっくりと暗くなっていく。

 最初の星が現れた。

「あ……」

 小さく声が出る。

 昨夜、教えてもらった名前を思い出す。
 アークトゥルス。

 双眼鏡を覗くと、光は少し大きく、少し近くなった。
 それだけで、胸の奥が静かに満たされる。

 誰に説明する必要もない。
 正解を確かめる必要もない。

 ただ、見ている。

 それだけでいい。

 スマホが光った。
 通知だった。

 柚月はしばらく見つめてから、そっと裏返した。

 今は、見なくていい。