彼は魅惑のバレリーノ

「貴女、苦労するわよ。」

「え?」

「こんな良い男と恋したら、この先それ以上の人なんて現れないわよ。」

「それは…わかる。」

「ねぇ、その絵ちょうだい。」

スケッチブックに描かれたオコジョを指さす。

「いいですよ。」

スケッチブックをちぎって渡すと、
天音さんは素直に「ありがとう」と言って立ち上がった。

「舞台、ちゃんと見なさいよ。
私がどれだけすごいか見せてあげるから。」

「ふふ、楽しみにしてます。」

二人でカフェを出たところで——

「一華さん…!」

柊くんが駆け寄ってくる。

「遅いから心配した。電話も出ないし。」

「ごめん。マナーモードだった。」

そう言った私をみて、安堵している。


「天音。何してるの?」

「少し話してただけ。」

天音さんは私ちらっと見て、
わざとらしく肩をすくめる。

「そう、友達になったの!」

そう言っていうと、

「はっ? なってないけど。」

「えー、つれないなー。」

その軽口に、柊くんが少しだけ眉を寄せる。

「…ねぇ、柊。」

天音さんはふっと真顔になり、
まっすぐ彼を見つめた。

「私、貴方のこと好きだった。
貴方がいたからバレエも頑張れて、今がある。」

その声は、もう未練じゃなくて“感謝”だった。

「これからもプロ同士、よろしくね。」

「ああ。」

柊くんも真剣に頷く。

天音さんは少しだけ笑って、
最後にひとつだけ意地悪な質問を投げた。

「ねぇ。
少しでも、バレエより私の方が大切って思ったことあった?」

柊くんは少し考える素振りをして——

「なかった。」

「はあー、ひどい男。
最後ぐらい“私の方が”って言いなさいよ。」

そう言って、くるりと踵を返す。

「じゃあね。」

背筋を伸ばして歩き去る姿は、
どこか清々しくて、
悔しさも誇りも全部抱えたまま前に進む人の背中だった。