王宮の食堂で一人昼食を摂っていると、横の方から不意に近づいてくる気配があり、凛子は顔を上げた。
基本的に王宮内に勤務している人間がいる間が、食堂の稼働時間だ。
執政庁も学術庁も騎士団も、早朝から深夜を過ぎて明け方と、ほぼ丸一日誰かしらが業務にあたっている。その為、食堂も二十四時間営業となっており、どの時間に来ても、調理人は言わずもがな必ず誰かが居る。
ただ、隙間の時間というのは必ずあって、正午頃は大混雑するものの、そのピーク時間を過ぎると、人も疎らになる。凛子が昼休憩と称した休憩をとれたのは午後も大きく過ぎて、二の刻近くだったため、席を探さずとも座れる状態だった。
プレートに温野菜と丸パンとつくねのような焼き物の串を二本選び、ついでにデザート用にヨーグルトの小皿も載せる。王宮の中庭が見える窓際の席に一人座った。出入口近くには懐かしの官吏服を身に着けた何人かが見え、凛子の視界の斜め前方には軍服を纏った集団が見える。徽章代わりにもなる縁取りのラインが灰色をしている事から、まだ位が低い一団である。
パンを頬張りながら、見慣れた食堂の光景をなんとなく眺めていたのだが、ふと視界の端に見えていた群青色が動いた。釣られるように横に顔を向けると、手にトレーを抱えて満面の笑みを浮かべている金髪翠眼の美青年と、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた銀髪眼鏡の青年がそこに立っている。
つい先ほど別れたばかりのローワン。
そして彼の前に立って居るのはローワンの上官でありシェイルの副官である、ウェントワースだった。
「やあ、昼がこの時間になったって聞いて。会議が終わったのがつい先程だったから、ちょうど良かったな。ご一緒してもいいかい?」
爽やかすぎる笑顔を浮かべ、凛子の前の椅子を引くと、返事を待つ間も無くそこに座り長い足を組んだ。ローワンも無言でそれに続く。
「僕はここの食事が結構好きなんだけどね。ローワンは飽きたって小言ばかり言ってくる」
「そんな事は一言も言っておりません。偏り過ぎると言っているんです」
見るとウェントワースの皿の上には肉の塊が五つほど転がっており、それ以外はナンの様に平べったい形で薄く焼かれたパンが、間にバターやクリームを塗りたくられてクレープ状に積みあがっていた。
ナイフでスライスした肉塊を引っぺがしたパンの間に挟み込み、肉サンドイッチとでも言うべきだろうか……只管に肉肉しい多層肉クレープ状態の物を口に運ぶ。端麗な容姿に反する事なく、非常に美しい所作で、ナイフとフォークを使い綺麗に平らげていく様子を見ているだけで、何故か胸が一杯になった、咀嚼していたパンを水で流し込むようにして飲み込んだ。
「学術庁とは全く雰囲気が違うだろう?」
ウェントワースの問いには、素直に頷ける。
ラストゥーリャのお遣いとは程遠い。それ以上の業務を任されることになりそうだった。体力の強化や騎獣の騎乗訓練も、明日から組み込まれており、考えただけでぞっとしてしまうが、対価を貰う訳なのだから、今更無理ですと言えるわけがない。
「そうですね……体力的な面ではとても不安を感じています」
情けなそうに答えた凛子に、ウェントワースは微笑みつつも大きく頷き、ローワンは氷の視線を突き刺してくる。
「新しく入隊した若手は揃って最初の集中鍛錬で吐くかな。まあ非常時に備えて、体を鍛えておくのは悪い事では無いよ。健康にも良いからね」
快活に笑ったウェントワースに、凛子は眉毛をやや下げたまま、ここ数日何度口にしたか判らない「頑張ります」を繰り返すしかない。
ウェントワースは、皿に視線を落とした凛子をじっと嘱目した。そこには先程浮かべていた親しみ深い笑みは、既に無かった。いっそ不躾と言ってもいいほどの視線で、目の前に居る女を観察するように眺めている。
「ところで君は天文院長官の縁故と聞いたが」
「えっ、はい。一応、そうです」
弾かれたように顔をあげた女に対しては、再び笑みを浮かべ返す。
「一応?」
「と、遠縁なので、ちょっと遠すぎて縁故と言われると答えづらいというか……」
「そうなんだね。西方大陸出身と聞いたが、蒼海向こうの東方大陸と違って、この大陸との交流がほぼ無い場所だし、良ければ向こうの話を聞かせて欲しいなと思って」
「お話……というと、例えばどんな事ですか?」
「そうだな、特産品でも、国の成り立ちでも、私は余り国外に出ないから、他所の国の話ならなんでも興味があるよ」
「特産品……」
すぐ頭に思い浮かんだのは、炊き立ての白米だった。
アゼリアスにも似たような穀物はあるものの、粟や麦が主だ。
しかもそれらを炊いて調理したものにはまだ出会っていない。
それに醤油や味噌。米から作られた日本酒もまだ出会えていない。豆類はあるのだから、いずれ味噌や醤油に類似したものには出会えるかもしれないと期待している。
「特産品といえばコメという穀物を探しています。パンや麺と同様に主食としていた穀物なのですが」
「コメ」
「あ! 正確に云うとイネっていう穀類の果実部分なんです。果実部分がコメ。私の国ではそれを炊いたり蒸したりして食べるんですが、色は白くてもちもちして仄かに甘くって、すごく美味しいです!」
勢いよく力説し始めた凛子は、若干前のめり気味の体勢になる。が、そんな自分の行動に驚いたような表情を浮かべ「すいません」と、また大人しく座りなおす。
「ともかくそのコメを、主食としてずっと食べていたものなので、この大陸にあるなら食べてみたいです。穀物として勿論保存もききますし、主食以外でも餅や麺やパンなどに加工できますし、長期保存可能なようにも加工できますし。麦やトウモロコシにも劣らない優秀な穀物かと思います!」
先程と打って変わったようにいきいきと語る女の様子にローワンは呆れた様な顔をする。ウェントワースは対照的に、目尻を柔らかく細めている。
「長期保存可能な加工をすると、どのくらい持つのかな?」
「うーん、冷凍庫……凍らせて保存できる場所だったら、たぶん一年位は持ちます。お水につけておくと三ケ月位はそれなりに保てるかな、と」
「でも、それだと携帯糧食としては使用しづらいかな」
「あー……常温だとカビちゃうかもしれませんけど、加工後も二週間程度ならそこそこ美味しく食べられるので、携帯糧食としての使用と長期保存の加工は別物と考えた方が良いです。私たちの場合、加工品は非常用の食糧として個人的に保存しておく、みたいな感じです。集団での移動を伴う際の食糧として使用するなら、日数を逆算して加工すれば使用できるかもしれませんね」
「成る程、端的で判りやすい説明だね」
さて、実に有意義な時間だった、また良ければ話をしよう。と食事を終えたウェントワースが席を立つ。ローワンは凛子を一瞥した後、声を掛ける事も無く、彼の上司を追う。
シェイルの上官である彼とは、上手くやっていけるだろうか。
米食に関して、更に熱弁を振るいそうになってしまったが、恐らく彼が尋ねたかったのはそのような話ではない筈だ。しかし、凛子にはウェントワースの真意をすぐさま量れるほど、彼と親しくはない。今朝初めて顔を合わせたのだから。
人間性を判断しようとしているのか、もしくは仕事に対する技量を見極めようとしているのか。ウェントワースは、見た目だけは親しみ易いものの、外見や雰囲気だけで人を信頼するのは、この世界で無くとも難しい。
ただし彼らがシェイルの副官とその秘書官である以上、これからも頻繁に顔を付き合わせるのは不可避である。
軍本部のある外宮から続く建物への回廊を歩いていると、今度は左将軍であるカインズ老公を行き逢う。つい癖で、軽く会釈しようとし、慌てて敬礼の形をとった。
鷹揚な笑みで行き過ぎる老公の後ろを、少々きつい目元をした紅色の髪を両サイドで結わえた少女が書類を抱えて続いていた。カインズ老公の私設秘書業務を担当している少女は、カインズ老公の孫娘。成人したばかりのエイミーレイは、正確に云うと軍属ではない。現状はあくまでも私設秘書である。
そういった役職を身近に置くことが許されているのは、カインズ老公もまた地位ある役職に就いているからであろう。とはいえ、件のエイミーレイも年始からの正式任官は決定している。少し早めの職業体験という所だろうか。現代日本でいう所のインターンシップである。
凛子はこれでも既に正式任官されている為、エイミーレイとは境遇もかなり違うのだが、向こうからすれば中途半端な時期に軍に出入り始めた新人という点では同じである。
カインズ老公の一行が行き過ぎるまで、壁際に身を寄せて立ち止まっていた凛子の様子を上から下まで不躾に見た後、少女は、つんと思い切り顎を反らし顔を横に反らす。いっそ清々しいほど前面に出ている敵意のようなものに嘆息しつつ、凛子は右将軍の執務室へと続く階段を上り始めた。
やはり、天文院とは違いのほほんとしては居られなそうだ。待ち受ける四面楚歌の状況から逃れる手があるわけもなく、入室したと同時に「遅い」と憮然と投げかけられた低音に、凛子は心の中でもう一度盛大な溜息を落とした。
基本的に王宮内に勤務している人間がいる間が、食堂の稼働時間だ。
執政庁も学術庁も騎士団も、早朝から深夜を過ぎて明け方と、ほぼ丸一日誰かしらが業務にあたっている。その為、食堂も二十四時間営業となっており、どの時間に来ても、調理人は言わずもがな必ず誰かが居る。
ただ、隙間の時間というのは必ずあって、正午頃は大混雑するものの、そのピーク時間を過ぎると、人も疎らになる。凛子が昼休憩と称した休憩をとれたのは午後も大きく過ぎて、二の刻近くだったため、席を探さずとも座れる状態だった。
プレートに温野菜と丸パンとつくねのような焼き物の串を二本選び、ついでにデザート用にヨーグルトの小皿も載せる。王宮の中庭が見える窓際の席に一人座った。出入口近くには懐かしの官吏服を身に着けた何人かが見え、凛子の視界の斜め前方には軍服を纏った集団が見える。徽章代わりにもなる縁取りのラインが灰色をしている事から、まだ位が低い一団である。
パンを頬張りながら、見慣れた食堂の光景をなんとなく眺めていたのだが、ふと視界の端に見えていた群青色が動いた。釣られるように横に顔を向けると、手にトレーを抱えて満面の笑みを浮かべている金髪翠眼の美青年と、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた銀髪眼鏡の青年がそこに立っている。
つい先ほど別れたばかりのローワン。
そして彼の前に立って居るのはローワンの上官でありシェイルの副官である、ウェントワースだった。
「やあ、昼がこの時間になったって聞いて。会議が終わったのがつい先程だったから、ちょうど良かったな。ご一緒してもいいかい?」
爽やかすぎる笑顔を浮かべ、凛子の前の椅子を引くと、返事を待つ間も無くそこに座り長い足を組んだ。ローワンも無言でそれに続く。
「僕はここの食事が結構好きなんだけどね。ローワンは飽きたって小言ばかり言ってくる」
「そんな事は一言も言っておりません。偏り過ぎると言っているんです」
見るとウェントワースの皿の上には肉の塊が五つほど転がっており、それ以外はナンの様に平べったい形で薄く焼かれたパンが、間にバターやクリームを塗りたくられてクレープ状に積みあがっていた。
ナイフでスライスした肉塊を引っぺがしたパンの間に挟み込み、肉サンドイッチとでも言うべきだろうか……只管に肉肉しい多層肉クレープ状態の物を口に運ぶ。端麗な容姿に反する事なく、非常に美しい所作で、ナイフとフォークを使い綺麗に平らげていく様子を見ているだけで、何故か胸が一杯になった、咀嚼していたパンを水で流し込むようにして飲み込んだ。
「学術庁とは全く雰囲気が違うだろう?」
ウェントワースの問いには、素直に頷ける。
ラストゥーリャのお遣いとは程遠い。それ以上の業務を任されることになりそうだった。体力の強化や騎獣の騎乗訓練も、明日から組み込まれており、考えただけでぞっとしてしまうが、対価を貰う訳なのだから、今更無理ですと言えるわけがない。
「そうですね……体力的な面ではとても不安を感じています」
情けなそうに答えた凛子に、ウェントワースは微笑みつつも大きく頷き、ローワンは氷の視線を突き刺してくる。
「新しく入隊した若手は揃って最初の集中鍛錬で吐くかな。まあ非常時に備えて、体を鍛えておくのは悪い事では無いよ。健康にも良いからね」
快活に笑ったウェントワースに、凛子は眉毛をやや下げたまま、ここ数日何度口にしたか判らない「頑張ります」を繰り返すしかない。
ウェントワースは、皿に視線を落とした凛子をじっと嘱目した。そこには先程浮かべていた親しみ深い笑みは、既に無かった。いっそ不躾と言ってもいいほどの視線で、目の前に居る女を観察するように眺めている。
「ところで君は天文院長官の縁故と聞いたが」
「えっ、はい。一応、そうです」
弾かれたように顔をあげた女に対しては、再び笑みを浮かべ返す。
「一応?」
「と、遠縁なので、ちょっと遠すぎて縁故と言われると答えづらいというか……」
「そうなんだね。西方大陸出身と聞いたが、蒼海向こうの東方大陸と違って、この大陸との交流がほぼ無い場所だし、良ければ向こうの話を聞かせて欲しいなと思って」
「お話……というと、例えばどんな事ですか?」
「そうだな、特産品でも、国の成り立ちでも、私は余り国外に出ないから、他所の国の話ならなんでも興味があるよ」
「特産品……」
すぐ頭に思い浮かんだのは、炊き立ての白米だった。
アゼリアスにも似たような穀物はあるものの、粟や麦が主だ。
しかもそれらを炊いて調理したものにはまだ出会っていない。
それに醤油や味噌。米から作られた日本酒もまだ出会えていない。豆類はあるのだから、いずれ味噌や醤油に類似したものには出会えるかもしれないと期待している。
「特産品といえばコメという穀物を探しています。パンや麺と同様に主食としていた穀物なのですが」
「コメ」
「あ! 正確に云うとイネっていう穀類の果実部分なんです。果実部分がコメ。私の国ではそれを炊いたり蒸したりして食べるんですが、色は白くてもちもちして仄かに甘くって、すごく美味しいです!」
勢いよく力説し始めた凛子は、若干前のめり気味の体勢になる。が、そんな自分の行動に驚いたような表情を浮かべ「すいません」と、また大人しく座りなおす。
「ともかくそのコメを、主食としてずっと食べていたものなので、この大陸にあるなら食べてみたいです。穀物として勿論保存もききますし、主食以外でも餅や麺やパンなどに加工できますし、長期保存可能なようにも加工できますし。麦やトウモロコシにも劣らない優秀な穀物かと思います!」
先程と打って変わったようにいきいきと語る女の様子にローワンは呆れた様な顔をする。ウェントワースは対照的に、目尻を柔らかく細めている。
「長期保存可能な加工をすると、どのくらい持つのかな?」
「うーん、冷凍庫……凍らせて保存できる場所だったら、たぶん一年位は持ちます。お水につけておくと三ケ月位はそれなりに保てるかな、と」
「でも、それだと携帯糧食としては使用しづらいかな」
「あー……常温だとカビちゃうかもしれませんけど、加工後も二週間程度ならそこそこ美味しく食べられるので、携帯糧食としての使用と長期保存の加工は別物と考えた方が良いです。私たちの場合、加工品は非常用の食糧として個人的に保存しておく、みたいな感じです。集団での移動を伴う際の食糧として使用するなら、日数を逆算して加工すれば使用できるかもしれませんね」
「成る程、端的で判りやすい説明だね」
さて、実に有意義な時間だった、また良ければ話をしよう。と食事を終えたウェントワースが席を立つ。ローワンは凛子を一瞥した後、声を掛ける事も無く、彼の上司を追う。
シェイルの上官である彼とは、上手くやっていけるだろうか。
米食に関して、更に熱弁を振るいそうになってしまったが、恐らく彼が尋ねたかったのはそのような話ではない筈だ。しかし、凛子にはウェントワースの真意をすぐさま量れるほど、彼と親しくはない。今朝初めて顔を合わせたのだから。
人間性を判断しようとしているのか、もしくは仕事に対する技量を見極めようとしているのか。ウェントワースは、見た目だけは親しみ易いものの、外見や雰囲気だけで人を信頼するのは、この世界で無くとも難しい。
ただし彼らがシェイルの副官とその秘書官である以上、これからも頻繁に顔を付き合わせるのは不可避である。
軍本部のある外宮から続く建物への回廊を歩いていると、今度は左将軍であるカインズ老公を行き逢う。つい癖で、軽く会釈しようとし、慌てて敬礼の形をとった。
鷹揚な笑みで行き過ぎる老公の後ろを、少々きつい目元をした紅色の髪を両サイドで結わえた少女が書類を抱えて続いていた。カインズ老公の私設秘書業務を担当している少女は、カインズ老公の孫娘。成人したばかりのエイミーレイは、正確に云うと軍属ではない。現状はあくまでも私設秘書である。
そういった役職を身近に置くことが許されているのは、カインズ老公もまた地位ある役職に就いているからであろう。とはいえ、件のエイミーレイも年始からの正式任官は決定している。少し早めの職業体験という所だろうか。現代日本でいう所のインターンシップである。
凛子はこれでも既に正式任官されている為、エイミーレイとは境遇もかなり違うのだが、向こうからすれば中途半端な時期に軍に出入り始めた新人という点では同じである。
カインズ老公の一行が行き過ぎるまで、壁際に身を寄せて立ち止まっていた凛子の様子を上から下まで不躾に見た後、少女は、つんと思い切り顎を反らし顔を横に反らす。いっそ清々しいほど前面に出ている敵意のようなものに嘆息しつつ、凛子は右将軍の執務室へと続く階段を上り始めた。
やはり、天文院とは違いのほほんとしては居られなそうだ。待ち受ける四面楚歌の状況から逃れる手があるわけもなく、入室したと同時に「遅い」と憮然と投げかけられた低音に、凛子は心の中でもう一度盛大な溜息を落とした。


