深赤と濃橙の敷物を見比べ、深赤の方を購入する事に決めた。染色、織物大国でもあるエジンドラレス皇国の物は、大量生産品の為、安価である。ただし、南国に位置する為、アゼリアスの敷物類に比べるとやや薄手である。しかし、アゼリアス産は職人の手工芸品が主な為高いのだ。
続いて日常的に使用する小物を追加して購入していく。
洗顔石鹸や、洗髪用石鹸は、練ったまま乾燥していない物が主流で、それぞれが可愛らしい木箱に収まっている。自室で簡単なお茶が出来るよう、小さな薬缶や、マグカップも購入する。部屋に薪ストーブが一つあったから、いちいち魔術具を購入しなくても済む。
家庭用の魔術具の価格はピンキリではあるものの、凛子の貯えを考えると、もう少し後でも困るものでは無い。その他、室内には無かった化粧用の鏡を購入する。
化粧品に関しては、自然由来の物が多い為、今の所、肌のトラブルは起こしていない。気に入っているのは朝摘み薔薇の化粧水。これもあちらで使用していたローズウォーターと香りも質感も殆ど違いが無い。
お風呂セット用に購入した持ち手のついた籠の中に、購入した小物の包みをいれてしまうと、大きな荷物は敷物だけである。ここも荷物運びを買って出てくれているエイゼルの言葉に甘える事にした。
フードを被りなおして、凛子はそっと息を吐いた。
夕方近くになり気温は急激に下がって来た。アゼリアスは夏も秋も短く、十月が始まる明日から季節は冬となる。
重ね着できるような下着が欲しかったのだが、なかなか目当ての物が見つからなかった。可能な限り薄手で伸縮性があるものが良い。しかしどれもこれもしっかりとした厚さが有る物ばかりで、ぴったりとした作りの軍服の下に着るのは難しそうだ。
全ての買い物を終えた頃、近くの鐘楼から高い鐘の音が時を告げる。
四の刻が過ぎると、あっというまに陽が落ち始めた。街路市も店仕舞いする所が増え始め、二人は市を離れ中央通りを王宮方面に戻り始めた。
一日中歩き回って足が疲れたため、休憩も兼ねて夜も外食にしようという話になった。貴族街に入る手前の商業地区は割と安価で美味しい店が多い。新しい店を冒険しても良かったのだが、結局、エイゼルの良く行く煮込みシチューの店を選ぶ。
今夜は深酒もしないし、早めに帰ろう、と心に誓い、赤ワインを選ぶ。大鍋で煮込まれている定番のシチューは時間も掛からず提供され、凛子は結局二杯目のグラスを追加注文した。
「エイゼルの休暇、次はいつくらい?」
凛子の問いに、エイゼルは首を捻る。
「まだ判んないなあ。今度は新年に向けての色々な決め事しないといけないみたいだし。判ったら連絡するよ」
「りょーかい」
「どした?」
「ううん、なんでもない」
エイゼルが、三杯目のグラスを注文し終えた凛子を咎める事は無い。
「そんな不安そうな顔されるとお兄さん心配なんですけど」
「だってさ! 官吏はともかく軍なんだもん」
そう、確かに凛子は不安を感じていたのだ。見知らぬ世界においても、見知らぬ分野に明日から身を投じなければいけない。軍服を纏い、寂しい室内から軍本部に出勤し、あの寂しい部屋に帰る。軽口や愚痴を言い合う相手も居ない部屋に。
目の前にいる男は、この世界に迷い込んで、一番最初に助けてくれた人物。色々あって、半年も苦楽?を共にした。凛子にとっては最早エイゼルがそう感じているように、兄も同然である。
だが、エイゼルは知っていた。凛子が今の様に不安そうな顔を見せても、それはほんの一部分に過ぎない事を。なので、多少突き放した感はあるが「大丈夫大丈夫。頑張れる」と半ば言い聞かせるように小さな頭を乱暴に撫でつけた。
◇◇◇
軍官舎に戻った頃には、既に辺りは深夜の色。
王宮西側には住宅地は殆ど無い。設備の問題で王宮内の施設に組み込まれなかった付属機関の建物が多い為、夕方以降はあまり人通りというものが無い。時間的には深夜まで、まだだいぶあるのだが、明りの消えた建物の影ばかりで、生活の気配は無く、どこまでも静かである。
一階の食堂からは談笑する声が漏れ聞こえてきていたが、ほろ酔い顔を覗かせる勇気が起きなく、丸めた敷物を抱えて細い階段を二階へとあがる。
念のため帰った事をカトレアに知らせようと隣室の戸を叩く。しかし反応が無い。もしかして就寝してしまったのかもしれない、と自室の戸を開けた瞬間後ろから声がかかった。
「帰ったのか」
「はい! 今さっき帰りました!」
「先に入浴を済ませていた」
化粧を落とし洗い髪のままのカトレアは、昼間に顔を見た時より幼く見える。表情は乏しいが、元々そういう性質なのだろう。
「凄い荷物じゃないか。一階に誰か暇そうな者が居ただろうに」
いうほど大荷物では無いのだが、淑女諸君は自ら敷物など運ばないのかもしれない。
「なんか憚られて……なんとなく」
カトレアはどこか動物じみた仕草で鼻を寄せる。
「確かに、酒の匂いもするしな」
「そ、そんなに飲んでないんですけど! 匂います……?」
「うん、かなり。明日の夜は歓迎会をする予定だから、開けておいてくれ」
「歓迎会、ですか」
「久しぶりの女性入室者だし、男どもが浮き足だっている。まあ、既にイイヒトが居るなら、あいつ等には出番が無い」
カトレアの笑い方は嫌味では無い。
「え、エイゼルはイイヒトじゃないですよっ! 兄代わりみたいな人です。保護者みたいな」
凛子の言葉を正しく理解したという理由からか、若しくは照れ隠しだとでも思われたのか、カトレアに宥められるように肩を叩かれ、複雑な気分になる。
「夜遅い時間だと婦人達が浴室を使用する事が多いから、行くなら今だな。それでは」
そうして部屋へと戻ったカトレアを見送り、凛子は自室に入ると、早速大荷物となっていた敷物を中央に敷いた。寂しい色をした室内に柔らかな色が落とされた。だがすぐに、薄い寝具が視界に入り、冬用のカバーを買うべきだったと、早速後悔した。
購入した化粧品類や小物を小箱に仕舞って、文机の片隅に置く。化粧鏡を正面に設置する。その場所だけ、ほんの僅かではあるが生活感が出てきた。室内の灯りはこの世界のどの部屋にでもあるように角に二つ配置されてある。鉱輝石の嵌め込まれた台座部分が手に届きやすいように、高さは丁度天井と床の中間辺り。
その灯りによって落とされる室内の影が、質素な空間をより強調しているように見える。石造りの壁は分厚いようで、隣の生活音が何も聞こえてこない。まして階下の音はまったくといって良いほど聞えない。それはそれで喜ばしい事なのだが、いつも誰かの気配のあったシータ家の別邸とは、真反対のこの部屋だと、寂しさが増してしまう。
最初は2Kの部屋だった。その次はリラ亭、ニルとロサ老人の家を経て、牢獄も経験した。それから大聖堂の庫院。叡智の塔の主直用の部屋。奥宮にあったシェイルの部屋にも行った。
引っ越し荷物を整理した時に、久しぶりに自分がこの世界に来た時の衣服や荷物を目にして、何となく泣きそうな気持になったのを思い出す。衣装箱の奥に仕舞っている仕事用鞄を取り出してみると、スマホにつけられたチャームはそのまま。
百合はアゼリアス聖王国の国花。正確にはゼリアという名前の花である。十字架のようなマークは合わさった剣。この国の第二王子を示している。それらの刻印に菱形の形を合わせて、シェイル個人の紋章となる。
大きな溜息をひとつ落として、チャームを指先で弾く。
あの時、何故自分に、そしてどういう気持ちで渡してくれたのかは、もう問う事さえ出来ない。
すべて忘れられてしまったから。
喜べない状況ではあるが、彼の近くにまた来ようとは、想像もしていなかった。
不安と期待とが綯交ぜになりそうになる。
――これは失くしたモノへの執着心。
そう自分に言い聞かせ、心の奥深い所から這い上がりそうになる思考を、沈ませた。
続いて日常的に使用する小物を追加して購入していく。
洗顔石鹸や、洗髪用石鹸は、練ったまま乾燥していない物が主流で、それぞれが可愛らしい木箱に収まっている。自室で簡単なお茶が出来るよう、小さな薬缶や、マグカップも購入する。部屋に薪ストーブが一つあったから、いちいち魔術具を購入しなくても済む。
家庭用の魔術具の価格はピンキリではあるものの、凛子の貯えを考えると、もう少し後でも困るものでは無い。その他、室内には無かった化粧用の鏡を購入する。
化粧品に関しては、自然由来の物が多い為、今の所、肌のトラブルは起こしていない。気に入っているのは朝摘み薔薇の化粧水。これもあちらで使用していたローズウォーターと香りも質感も殆ど違いが無い。
お風呂セット用に購入した持ち手のついた籠の中に、購入した小物の包みをいれてしまうと、大きな荷物は敷物だけである。ここも荷物運びを買って出てくれているエイゼルの言葉に甘える事にした。
フードを被りなおして、凛子はそっと息を吐いた。
夕方近くになり気温は急激に下がって来た。アゼリアスは夏も秋も短く、十月が始まる明日から季節は冬となる。
重ね着できるような下着が欲しかったのだが、なかなか目当ての物が見つからなかった。可能な限り薄手で伸縮性があるものが良い。しかしどれもこれもしっかりとした厚さが有る物ばかりで、ぴったりとした作りの軍服の下に着るのは難しそうだ。
全ての買い物を終えた頃、近くの鐘楼から高い鐘の音が時を告げる。
四の刻が過ぎると、あっというまに陽が落ち始めた。街路市も店仕舞いする所が増え始め、二人は市を離れ中央通りを王宮方面に戻り始めた。
一日中歩き回って足が疲れたため、休憩も兼ねて夜も外食にしようという話になった。貴族街に入る手前の商業地区は割と安価で美味しい店が多い。新しい店を冒険しても良かったのだが、結局、エイゼルの良く行く煮込みシチューの店を選ぶ。
今夜は深酒もしないし、早めに帰ろう、と心に誓い、赤ワインを選ぶ。大鍋で煮込まれている定番のシチューは時間も掛からず提供され、凛子は結局二杯目のグラスを追加注文した。
「エイゼルの休暇、次はいつくらい?」
凛子の問いに、エイゼルは首を捻る。
「まだ判んないなあ。今度は新年に向けての色々な決め事しないといけないみたいだし。判ったら連絡するよ」
「りょーかい」
「どした?」
「ううん、なんでもない」
エイゼルが、三杯目のグラスを注文し終えた凛子を咎める事は無い。
「そんな不安そうな顔されるとお兄さん心配なんですけど」
「だってさ! 官吏はともかく軍なんだもん」
そう、確かに凛子は不安を感じていたのだ。見知らぬ世界においても、見知らぬ分野に明日から身を投じなければいけない。軍服を纏い、寂しい室内から軍本部に出勤し、あの寂しい部屋に帰る。軽口や愚痴を言い合う相手も居ない部屋に。
目の前にいる男は、この世界に迷い込んで、一番最初に助けてくれた人物。色々あって、半年も苦楽?を共にした。凛子にとっては最早エイゼルがそう感じているように、兄も同然である。
だが、エイゼルは知っていた。凛子が今の様に不安そうな顔を見せても、それはほんの一部分に過ぎない事を。なので、多少突き放した感はあるが「大丈夫大丈夫。頑張れる」と半ば言い聞かせるように小さな頭を乱暴に撫でつけた。
◇◇◇
軍官舎に戻った頃には、既に辺りは深夜の色。
王宮西側には住宅地は殆ど無い。設備の問題で王宮内の施設に組み込まれなかった付属機関の建物が多い為、夕方以降はあまり人通りというものが無い。時間的には深夜まで、まだだいぶあるのだが、明りの消えた建物の影ばかりで、生活の気配は無く、どこまでも静かである。
一階の食堂からは談笑する声が漏れ聞こえてきていたが、ほろ酔い顔を覗かせる勇気が起きなく、丸めた敷物を抱えて細い階段を二階へとあがる。
念のため帰った事をカトレアに知らせようと隣室の戸を叩く。しかし反応が無い。もしかして就寝してしまったのかもしれない、と自室の戸を開けた瞬間後ろから声がかかった。
「帰ったのか」
「はい! 今さっき帰りました!」
「先に入浴を済ませていた」
化粧を落とし洗い髪のままのカトレアは、昼間に顔を見た時より幼く見える。表情は乏しいが、元々そういう性質なのだろう。
「凄い荷物じゃないか。一階に誰か暇そうな者が居ただろうに」
いうほど大荷物では無いのだが、淑女諸君は自ら敷物など運ばないのかもしれない。
「なんか憚られて……なんとなく」
カトレアはどこか動物じみた仕草で鼻を寄せる。
「確かに、酒の匂いもするしな」
「そ、そんなに飲んでないんですけど! 匂います……?」
「うん、かなり。明日の夜は歓迎会をする予定だから、開けておいてくれ」
「歓迎会、ですか」
「久しぶりの女性入室者だし、男どもが浮き足だっている。まあ、既にイイヒトが居るなら、あいつ等には出番が無い」
カトレアの笑い方は嫌味では無い。
「え、エイゼルはイイヒトじゃないですよっ! 兄代わりみたいな人です。保護者みたいな」
凛子の言葉を正しく理解したという理由からか、若しくは照れ隠しだとでも思われたのか、カトレアに宥められるように肩を叩かれ、複雑な気分になる。
「夜遅い時間だと婦人達が浴室を使用する事が多いから、行くなら今だな。それでは」
そうして部屋へと戻ったカトレアを見送り、凛子は自室に入ると、早速大荷物となっていた敷物を中央に敷いた。寂しい色をした室内に柔らかな色が落とされた。だがすぐに、薄い寝具が視界に入り、冬用のカバーを買うべきだったと、早速後悔した。
購入した化粧品類や小物を小箱に仕舞って、文机の片隅に置く。化粧鏡を正面に設置する。その場所だけ、ほんの僅かではあるが生活感が出てきた。室内の灯りはこの世界のどの部屋にでもあるように角に二つ配置されてある。鉱輝石の嵌め込まれた台座部分が手に届きやすいように、高さは丁度天井と床の中間辺り。
その灯りによって落とされる室内の影が、質素な空間をより強調しているように見える。石造りの壁は分厚いようで、隣の生活音が何も聞こえてこない。まして階下の音はまったくといって良いほど聞えない。それはそれで喜ばしい事なのだが、いつも誰かの気配のあったシータ家の別邸とは、真反対のこの部屋だと、寂しさが増してしまう。
最初は2Kの部屋だった。その次はリラ亭、ニルとロサ老人の家を経て、牢獄も経験した。それから大聖堂の庫院。叡智の塔の主直用の部屋。奥宮にあったシェイルの部屋にも行った。
引っ越し荷物を整理した時に、久しぶりに自分がこの世界に来た時の衣服や荷物を目にして、何となく泣きそうな気持になったのを思い出す。衣装箱の奥に仕舞っている仕事用鞄を取り出してみると、スマホにつけられたチャームはそのまま。
百合はアゼリアス聖王国の国花。正確にはゼリアという名前の花である。十字架のようなマークは合わさった剣。この国の第二王子を示している。それらの刻印に菱形の形を合わせて、シェイル個人の紋章となる。
大きな溜息をひとつ落として、チャームを指先で弾く。
あの時、何故自分に、そしてどういう気持ちで渡してくれたのかは、もう問う事さえ出来ない。
すべて忘れられてしまったから。
喜べない状況ではあるが、彼の近くにまた来ようとは、想像もしていなかった。
不安と期待とが綯交ぜになりそうになる。
――これは失くしたモノへの執着心。
そう自分に言い聞かせ、心の奥深い所から這い上がりそうになる思考を、沈ませた。


