「絶対、誤解されてる!」
「俺もそう思う!」
「困らないけど、困る!」
「困ら……、そういやフード被っといて」
エイゼルにコートのフードを頭にばさりと掛けられ、凛子は小さく頷いた。
黒は特殊な色なのだ。身近に同色の人間がいる為、あまり気にはしていなかったのだが、二回も妙な目に巻き込まれた為、身辺に注意するようラストゥーリャからも言われている。とはいえ、特殊な色と自分に言い聞かせても、中々実感が湧かないのも事実だった。
結局、凛子を突き落としたであろう犯人は判っていない。
あの後、王国軍本部主導で取り調べが始まったのだが、そもそも事件なのか、事故なのかという所で止まっている。
花火を打ち上げている時間帯は、辺りも暗く、外宮二階テラスには、配置されている人員も多かった。背中を押された感覚はあるものの、それが故意のものかどうかは凛子にも判らない。単純な事故の可能性もある。
結果として防御の魔術が発動し、安全な場所に転移した。
運悪く、国防のトップに近しい人間の頭上に。
短期間に二度も災難に脅かされたのだから、三度目が無いとも限らない。そういう意識で街中を歩くのは、いまだかつて経験した事がなく、左右の店舗に彩りに目を奪われている内、ついうっかり注意するのを忘れてしまう。
王都の市街地にある街路市は、平日祝日問わず、日の出から日没まで営業している。多くは小売りの商店の出店だが、特別自由都市ゼイレンを拠点としている交易商人の露天もそれなりの数がある。外国の特産品は見ているだけで楽しい。色鮮やかな反物や織物を冷やかし、屋台村へと進む。午後一ということもあって、平日にも関わらずそれなりの人出だった。
鶏肉のフライスティックを片手に、屋台村の一角にあるベンチに腰掛ける。これが、懐かしのジャンクフードに似ている味で、結構気に入っている。ピリ辛のソースかマスタードを付けて食べるのだが、ベリー系のソースも選べるらしく、結局三種のソースを付けてもらった。
飲み物は発泡酒の代表シシルド。なんとなくシードルに名前も似ているし、風味も林檎風。甘酸っぱくすっきりとした発酵酒で、果実酒程甘くない。アルコール分はかなり低い為、食事の際の飲み水みたいなものだ。
エイゼルが購入した海鮮焼きは、見た目で言うとお好み焼き。そば粉と小麦粉の混合生地に野菜や具材を混ぜ合わせ、鉄板で両面を焼いたもの。ソースは魚醬がメインなのだが、山椒のような味のする独特なハーブが漬け込まれていて、食欲をそそられる。
アゼリアスの食事に関して、凛子はそれなりに満足している。和食が恋しくないかと問われると、恋しいと即答できるが、時折似た感じの味をしている料理にも出会える。食材に関しても、地球産の物と然程変化がない。トマトやピーマンと云った代表的な野菜も存在しているし、果実や食肉に関しても殆ど同じだ。名前や色、形に多少変わりはあるが、ほぼ同じだった。
空に浮かぶ月も一つ。太陽も一つ。季節も移り変わっていく。
一日は二十四時間。一週間は五日。一カ月は三十日で一年十三カ月。
十三月は五日間しかない。そして一年は三百六十五日。
世界地図を見た事がまだないが、地球同様の形をしているのではないかと予測していた。中央大陸(アゼリアス国民は自国のある大陸をそう呼んでいる)の西にも大陸があり、東の蒼海の向こうにも大陸がある。
魔術を科学と置き換えてしまえば、外国に居住していると思えなくもない。
此処は確かに異世界であるのだが、市場の光景は懐かしさを覚える。
「それにしても、エイゼル。いっつも付き合わせてるけど、恋人とかいないの?」
凛子の問いに、エイゼルはシシルドを喉に詰まらせた。
「……居ない」
共に成人はとっくに済んでいる、妙齢の男女だ。傍から見たら、恋人同士のように見えなくもない。先程カトレアの浮かべていた表情からも、彼女がそう想像しているのだろうと、伺える。
「気になる人も?」
探るように上目遣いをすると、エイゼルは凛子をじっと見つめ返しながら、複雑な表情を浮かばせた。
「気になる人、というか……気にしてくれている人は、居る……かも?」
唐突な爆弾発言に、凛子はぱちぱちと瞬きをし、唇を緩ませ、身を乗り出す。
「え、え、どういう事? 気にしてくれている人は居るかも?」
「まあ……どうしようも出来ない状況っていうか」
「なにそれ! 仕事忙しいから?」
「それもあるかな……、今は中央居るけど、許されるならまた外出たいしなあ」
「諸国漫遊だっけ?」
「言っておくけど、遊んでた訳じゃないからな!」
話が逸れて、エイゼルの勢いが戻る。
「じゃあ、何で? 遠いとこに居るとか? あ、地元の幼馴染系」
「内緒、そういうリィンは」
どうなんだ、と問い返そうとして途中で止める。
が、しかし凛子はエイゼルの中途半端な質問に「そうだねえ」と遠い目をした。
「流石に三十位までには、誰かと結婚とかした方が良いんだよね。ここで生きてくならさ」
現代日本に比べ、アゼリアスの平均結婚年齢は低い。特に女性は二十代半ばを過ぎると、殆どが家庭に入っており、一人目の子を持つ。例外は王宮勤めなのだが、それでも三十過ぎて独り身の女性は非常に少ない。自助自立しているという人間は、凛子の狭い交友関係の中では、聞いた事が無かった。
その第一号になるかもしれない、という予感もある。
異世界から来た人間を、積極的に娶りたいとは思わないだろう。
それ以前に、誰かと恋愛関係に陥る状況になれる気がしない。
こうして二人きりで出掛けた事がある異性は、エイゼルを除くと図書院のヒューゴ。ラストゥーリャかシータ家の家令。それから大聖堂の大神官ディエルなのだが、ラストゥーリャはアゼリアス聖王国六大公爵家の跡取りであるし、ディエルに至っては王族で聖職者だ。
ヒューゴは平民だと言っていたが、凛子よりも年下の二十一歳。気の置ける友人というレベルではなく、まだ会話に気を遣う他部署の人間という雰囲気であるし、積極的に恋をしていくような気持ちにはならない。彼らに比べると、確かに自分の一番身近な相手はエイゼルだった。しかし、そういう対象としては最早見られない。
そもそも恋愛は無理にするものでもない。
気が付いたら、落ちているものだろう。
学生時代の恋人の顔を思い浮かべ、苦笑する。
勿論、結婚は猶更別だ。
が、今から未来を憂えている場合では無かった。
明日からは、新しい職場で一からやり直しだ。庇護者の腕の外で、一体自分がどこまで出来るのか。そして認めさせることが出来るかの戦いが始まる。
「ま、私の話は置いといて、エイゼルの恋愛話ききたーい!」
凛子は自嘲するような笑みを掻き消した。
「だーからー、恋愛とかそれ以前の問題なの! ほら、陽が暮れる前に、買い物済ませないとまずいんじゃないの?」
何かを思い出したのか、瞬間耳を赤く染めた目の前の男に、揶揄いの眼差しを向ける。降参のポーズをとった男は、テーブルの上の物を片し、さっさと立ち上がった。
「俺もそう思う!」
「困らないけど、困る!」
「困ら……、そういやフード被っといて」
エイゼルにコートのフードを頭にばさりと掛けられ、凛子は小さく頷いた。
黒は特殊な色なのだ。身近に同色の人間がいる為、あまり気にはしていなかったのだが、二回も妙な目に巻き込まれた為、身辺に注意するようラストゥーリャからも言われている。とはいえ、特殊な色と自分に言い聞かせても、中々実感が湧かないのも事実だった。
結局、凛子を突き落としたであろう犯人は判っていない。
あの後、王国軍本部主導で取り調べが始まったのだが、そもそも事件なのか、事故なのかという所で止まっている。
花火を打ち上げている時間帯は、辺りも暗く、外宮二階テラスには、配置されている人員も多かった。背中を押された感覚はあるものの、それが故意のものかどうかは凛子にも判らない。単純な事故の可能性もある。
結果として防御の魔術が発動し、安全な場所に転移した。
運悪く、国防のトップに近しい人間の頭上に。
短期間に二度も災難に脅かされたのだから、三度目が無いとも限らない。そういう意識で街中を歩くのは、いまだかつて経験した事がなく、左右の店舗に彩りに目を奪われている内、ついうっかり注意するのを忘れてしまう。
王都の市街地にある街路市は、平日祝日問わず、日の出から日没まで営業している。多くは小売りの商店の出店だが、特別自由都市ゼイレンを拠点としている交易商人の露天もそれなりの数がある。外国の特産品は見ているだけで楽しい。色鮮やかな反物や織物を冷やかし、屋台村へと進む。午後一ということもあって、平日にも関わらずそれなりの人出だった。
鶏肉のフライスティックを片手に、屋台村の一角にあるベンチに腰掛ける。これが、懐かしのジャンクフードに似ている味で、結構気に入っている。ピリ辛のソースかマスタードを付けて食べるのだが、ベリー系のソースも選べるらしく、結局三種のソースを付けてもらった。
飲み物は発泡酒の代表シシルド。なんとなくシードルに名前も似ているし、風味も林檎風。甘酸っぱくすっきりとした発酵酒で、果実酒程甘くない。アルコール分はかなり低い為、食事の際の飲み水みたいなものだ。
エイゼルが購入した海鮮焼きは、見た目で言うとお好み焼き。そば粉と小麦粉の混合生地に野菜や具材を混ぜ合わせ、鉄板で両面を焼いたもの。ソースは魚醬がメインなのだが、山椒のような味のする独特なハーブが漬け込まれていて、食欲をそそられる。
アゼリアスの食事に関して、凛子はそれなりに満足している。和食が恋しくないかと問われると、恋しいと即答できるが、時折似た感じの味をしている料理にも出会える。食材に関しても、地球産の物と然程変化がない。トマトやピーマンと云った代表的な野菜も存在しているし、果実や食肉に関しても殆ど同じだ。名前や色、形に多少変わりはあるが、ほぼ同じだった。
空に浮かぶ月も一つ。太陽も一つ。季節も移り変わっていく。
一日は二十四時間。一週間は五日。一カ月は三十日で一年十三カ月。
十三月は五日間しかない。そして一年は三百六十五日。
世界地図を見た事がまだないが、地球同様の形をしているのではないかと予測していた。中央大陸(アゼリアス国民は自国のある大陸をそう呼んでいる)の西にも大陸があり、東の蒼海の向こうにも大陸がある。
魔術を科学と置き換えてしまえば、外国に居住していると思えなくもない。
此処は確かに異世界であるのだが、市場の光景は懐かしさを覚える。
「それにしても、エイゼル。いっつも付き合わせてるけど、恋人とかいないの?」
凛子の問いに、エイゼルはシシルドを喉に詰まらせた。
「……居ない」
共に成人はとっくに済んでいる、妙齢の男女だ。傍から見たら、恋人同士のように見えなくもない。先程カトレアの浮かべていた表情からも、彼女がそう想像しているのだろうと、伺える。
「気になる人も?」
探るように上目遣いをすると、エイゼルは凛子をじっと見つめ返しながら、複雑な表情を浮かばせた。
「気になる人、というか……気にしてくれている人は、居る……かも?」
唐突な爆弾発言に、凛子はぱちぱちと瞬きをし、唇を緩ませ、身を乗り出す。
「え、え、どういう事? 気にしてくれている人は居るかも?」
「まあ……どうしようも出来ない状況っていうか」
「なにそれ! 仕事忙しいから?」
「それもあるかな……、今は中央居るけど、許されるならまた外出たいしなあ」
「諸国漫遊だっけ?」
「言っておくけど、遊んでた訳じゃないからな!」
話が逸れて、エイゼルの勢いが戻る。
「じゃあ、何で? 遠いとこに居るとか? あ、地元の幼馴染系」
「内緒、そういうリィンは」
どうなんだ、と問い返そうとして途中で止める。
が、しかし凛子はエイゼルの中途半端な質問に「そうだねえ」と遠い目をした。
「流石に三十位までには、誰かと結婚とかした方が良いんだよね。ここで生きてくならさ」
現代日本に比べ、アゼリアスの平均結婚年齢は低い。特に女性は二十代半ばを過ぎると、殆どが家庭に入っており、一人目の子を持つ。例外は王宮勤めなのだが、それでも三十過ぎて独り身の女性は非常に少ない。自助自立しているという人間は、凛子の狭い交友関係の中では、聞いた事が無かった。
その第一号になるかもしれない、という予感もある。
異世界から来た人間を、積極的に娶りたいとは思わないだろう。
それ以前に、誰かと恋愛関係に陥る状況になれる気がしない。
こうして二人きりで出掛けた事がある異性は、エイゼルを除くと図書院のヒューゴ。ラストゥーリャかシータ家の家令。それから大聖堂の大神官ディエルなのだが、ラストゥーリャはアゼリアス聖王国六大公爵家の跡取りであるし、ディエルに至っては王族で聖職者だ。
ヒューゴは平民だと言っていたが、凛子よりも年下の二十一歳。気の置ける友人というレベルではなく、まだ会話に気を遣う他部署の人間という雰囲気であるし、積極的に恋をしていくような気持ちにはならない。彼らに比べると、確かに自分の一番身近な相手はエイゼルだった。しかし、そういう対象としては最早見られない。
そもそも恋愛は無理にするものでもない。
気が付いたら、落ちているものだろう。
学生時代の恋人の顔を思い浮かべ、苦笑する。
勿論、結婚は猶更別だ。
が、今から未来を憂えている場合では無かった。
明日からは、新しい職場で一からやり直しだ。庇護者の腕の外で、一体自分がどこまで出来るのか。そして認めさせることが出来るかの戦いが始まる。
「ま、私の話は置いといて、エイゼルの恋愛話ききたーい!」
凛子は自嘲するような笑みを掻き消した。
「だーからー、恋愛とかそれ以前の問題なの! ほら、陽が暮れる前に、買い物済ませないとまずいんじゃないの?」
何かを思い出したのか、瞬間耳を赤く染めた目の前の男に、揶揄いの眼差しを向ける。降参のポーズをとった男は、テーブルの上の物を片し、さっさと立ち上がった。


