扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました

◇◇◇

「休暇の際は、顔を見せてくださいね」と家令や召使いたちに見送られ――例えそれがラストゥーリャの命令だとしても――この家の者たちが一様に浮かべている表情には、裏が無いように見えた。じわりと緩む涙腺に叱咤し、凛子はいつものように笑顔で「行ってきます!」と、家を出る。

 箱馬車はゆるりと道を進み、王宮正門の手前を西へと折れた。街は祭りの余韻をどことなく残している。道の脇に積みあがったゴミ類を忙しそうに処理している男達の姿。解体された屋台を運んでいく馬車。そんな光景を眺めているうちに、石造りの古めかしい建物が見えてきた。

 色合いは灰色で無骨な外観だ。シンプルと云ってしまえば、聞こえはいいが、装飾等の一切をそぎ落とした雰囲気は、どこか暗く怖いように見える。中央官庁に勤める官吏用官舎は王宮の東側にあるのだが、そちらは白い塗り壁に、明るい橙色の屋根をしていて街の雰囲気にも馴染んでいる。しかし軍官舎はその真反対のような雰囲気。

 建物玄関のど真ん中に、長身で見事なブロンドの女性が腕を組んで立っていた。

「そちらが、リィン・カミーヤだな。話は聞いている。私はカトレア・ハインリー。早速だが部屋に案内する」

 水色の瞳は切れ長で鋭い。

「今日は休暇を取得し外出している者が多い為、そちらの付き添い人にも、荷を運ぶのを手伝ってもらうが、基本的に二階は女性以外の立ち入りは禁じられている」

 衣装箱の一つを軽く抱え上げ、カトレアは凛子の横にいるエイゼルに視線を飛ばす。

「重々承知しております」
「なら良い。こちらだ」

 もう一つの衣装箱を抱えたエイゼルに続き、凛子は残りのこまごまとした箱類を積み上げ、二人の後を追った。

 一階の北端にある階段は、女性以外の使用は出来ない。
 カトレアの説明を耳に、細い階段をあがると二階のフロアにでる。
 中央に廊下、その片側にいくつか個室に続くであろう戸があった。

「手前の二部屋は官舎の雑用を引き受けてくれている、ツェリ婦人とマルサ婦人が入室している」

 言いながらカトレアは廊下を進む。個室の反対側には大きな窓からの日差しが廊下へと落ち、それなりの明るさが保たれている。

「一部屋開けて、ここは私が使用している」と右手の戸を顎でしゃくった。

「最奥は浴室と洗面。いずれも共同だが、使用人数が少ない為、かち合う事は無いと思う。ああ長風呂する場合は事前に申告してくれ。それにこの階からは一階へ続く階段しかない。三階以降は一階南端にある階段を使用するが、まあ我々が使う機会は無いだろう。さぁ、貴女にはその奥が割り当てられた」

 カトレアが示した個室の戸を開けて、持っていた荷物を下ろした。

「本日私は非番のため、基本的には自室にいる。何か判らないことがあれば声を掛けてくれ。それと、付添人の滞在許可時間は一刻だ。では」

 ありがとうを言う前にぱたりと閉じた戸に向かい、凛子は慌てて大きな声で感謝の言葉を叫んだ。

「なんか女騎士って……颯爽としていて恰好いい」
 呆けたような顔の凛子に、エイゼルがうんうんと同意するように頷く。
「カトレア様が、まだここに入居しているって聞いて驚いた」

「知ってるの!?」
「まあそれなりに有名人だからね女騎士って少ないしさ。子爵家の次女で、十年前に王都支部に入隊されて、その後、近衛に取り立てられたんだけど、結局軍本部に戻って……別邸から通われてるとばかり思ってた」

 軍規によると、所属した最初の一年間は軍官舎住まいが必須だが、それ以降は強制されていない。貴族の子息令嬢は王都に別邸がある家も多い為、わざわざ官舎に住み続けている者は少ないのだ。勿論、気に入ってここに住み続ける人間も居ないことはないが、原則的には一年目の新人ばかりが入室している。
 
「まあ……そうだね、好き好んでここに住む理由が、ちょっと判らないかも」

 室内は壁も床も石造り。寝台が一つ。文机が一つ、椅子が一つ。窓が一つ。暖房具としては丸い薪ストーブが一つ。

 装飾の一切は、外観同様に削ぎ落とされている。収納もない為、そのまま衣装箱を寝台の足元の方に置く。シータ家で与えられていた部屋は、凛子の趣味ではなかったが、少女風の色合いをしており、それなりに落ち着いた雰囲気だった。白に桃色に薄黄色。しかし彼女の新たな新居は灰色と茶色で構成されている。

 そこまでインテリアに拘りは無い、が、好きなものが手の届く範囲にあったり、気に入ったリネン類に触れているだけでも、癒しの効果は齎される。ここでの生活は慣れないとはいえ、以前のように部屋が荒れるほど多忙という訳ではなく、寝室でのんびりする時間は以前より確実に増えていた。

 硬い寝台に腰掛け室内を見回すが、先に挙げた以外、特筆すべき点が無い。
 この部屋はなかなか、厳しい印象を見せつけてくる。

 せめて敷物位は買おうかな、冬も近づいているし、暖かそうな色。

 片付けるほどの荷物を運んできていない為、エイゼルの役目はここまでだった。買い物ついでに昼を街で済ますのも良さそうだ。

「このあと、ご予定は?」
「んー特にないよ。お昼でもいこっか。リィンの奢りで」

 凛子の考えを読んだように、エイゼルがにこりと笑う。

「勿論! すっごい助かったし。まだ早い時間だから市の方行ってみたいんだけど。食べ歩きしたい。後、敷物が欲しい。この部屋用の」
「確かに、殺風景だねここ」

「同じ官舎でも官庁の方のは可愛いのに外観」
「まあ、あっちも作りは似たようなものだよ。壁が白いから、そこまで威圧感無いけど。あと食堂の飯がいまいち。王宮のは美味しいのになあ」

「それ大事じゃん。ここのはどうなんだろ。朝晩は官舎で出してもらえるのは助かるけど」
「そうそう、独身の食生活は荒れる? だっけ」

「そーなんだよ。仕事終えて家帰って作る気力沸くと思う?」
「そもそも独身で一人暮らししているヤツってあんまり聞いた事ないしなあ」
「そういう所、エイゼルもおぼっちゃんだよね」

 なんだそれー?と間延びた声が返ってくる。

 ずっと、感じていた事だ。そして近頃、真面目に考え始めた事でもある。
 凛子はいわば、完全な庶民、且つ庶民思考。

 しかしラストゥーリャをはじめ、この目の前に居るエイゼルも然り、隣人となるカトレアも然り、貴族位を持つ人間が周りに多い。中央官庁にも学舎あがりの平民もある程度居るのだが、圧倒的にアゼリアス聖王国の中枢部分は貴族社会だ。以前――シェイルと暮らしたあの週末期間で、考え方の差異にいくつも気が付かされた。

 それに、現代日本で縁の無かった、軍という機関での職務。
 正直、軍人、騎士、近衛、どの単語も凛子にとっては一括りで、軍=自国を守る、他国と争う。というざっくりとしたイメージしかない。

 アゼリアスの国民として戸籍を与えてもらったのだから、自分の身の置かれている環境や仕事について考えなければいけない。いずれ、この先、自立して一人で生きていかなければいけないのだから。

 隣室のカトレアに外出してくると一声掛けると、凛子とエイゼルを交互に見遣り「……特に門限等はないが、夜間に男を連れ込むのは禁止だぞ」と真面目な顔で返され、二人はきょとんとして顔を見合わせた。