「トゥーリャさん」
凛子はシェイルの腕の中から、体を捩ってけたたましい音を立てた入り口に視線を向けた。
漆黒の麗人は、室内の状況を見て、顔を蒼褪めさせる。
「なっ、何をしているんですかっ」
そして次に慌てた様子で、執務机に大股で歩み寄った。
シェイルは薄く笑い「それは俺が聞きたい」とだけ返す。
三竦みの光景が改善される気配は一向に無かった。
頭や背中の痛みから解放された凛子は、今度は別の痛みに少し顔を顰める。官服のお尻側が捲れあがっているようで、堅い机の感触が不快である。目の前にある厚い胸板を押すと、思いの外素直に、押しのけられてくれた。とん、と床に降り立ち、腕で作られた檻から逃れだすと、二人男を交互に見遣りながら、壁際に寄って背中をぴたりと当てた。
一瞬だけラストゥーリャが凛子を見る。それだけで彼は納得したように頷くと「医務室に連れて行きます」と凛子にではなく、この部屋の主に告げ女の腕を取った。
シェイルは凛子が連れ出される様を、無感情に見ていた。
◇◇◇
「あれを作ってあの女に渡したのはお前だろう?」
手元にある黒色に染まった鉱輝石をシェイルは弄びながら、問うた。
医務室に凛子を送り届け、ラストゥーリャは再度軍本部内にある執務室へと戻って来ていた。
「そうです。発動条件は、彼女に危害が加えられた時。防御結界と転移の二つを定義しています」
「――随分と過保護だな」
皮肉気に持ち上がる口の端に、ラストゥーリャはこめかみを揉むように指をあてる。
「……勘違いされていますよ」
「どうだか」
「彼女は異質ですからね。一見して魔力値が高そうに見えますが、それを殆ど有しておりません。先日街でも襲われましたし」
属性の魔力は色に出易い。そしてその色を持つ人間の一部――つまり血や肉には、体から切り離されても魔力が宿っている。当然、髪や爪も含まれる。
シェイルは指先で鉱輝石を弾く。
鉱輝石へと移されたラストゥーリャの血肉の一部は、魔力を有する天然の結晶と結合し、闇属性の魔力に染めあげた。
天然の鉱輝石は無色透明が一番多く、それだけ魔力を有しているのだが、その殆どは無属性で、家庭用の魔術具等に多用されている。ただ温度を保つだけ、ただ灯りを絶やさないだけ、といった魔術は、細かな内容を術式で道具そのものに刻み、そこに魔力を注ぐ事で上手く発動される。
この世界に魔力を持たない人間は居ない。しかし、魔力値の高低には差が有る為、補填する形で鉱輝石等の魔力を有する天然石が同時に使用されるのだ。
細かな定義付けが必要とされる魔術行使と違って、己の魔力をそのまま対象物へ浸蝕し影響させる事も可能だ。この自然界には、目視出来ないものの属性の要素が漂っている。水属性なら水を操作する事に長けており、風属性なら風操作、と云った具合に。
だが、闇の魔力は極端に言ってしまうと無属性に近い。そして禁咒と相性が良かった。所謂、禁じられている魔術――生物の召喚、生殺与奪、有機体の悪質な転換等が挙げられる。
「そういえば、最初の被害者が殺害されたな。先程報告が上がってきた所だ」
シェイルの言葉にラストゥーリャは表情を厳しくさせた。
有象無象の入り乱れる祝祭週間における犯罪率は、平時より高い。
もちろん、ラストゥーリャ自身、凛子が更なる被害者となるという考えは持っていなかった。単純に、彼女自身の持つ特性によって、別の事件に巻き込まれるとも限らないという考えから、身寄りも後ろ盾も無い彼女に魔術具を与えていたに過ぎない。
「猶更、手元に置いておきたいだろう」
シェイルの問いには、静かに首を横に振る。
「貴方が何を旨意しているかは判りませんが、別に私はあの娘に懸想しているわけではありません」
「――ほぉ?」
胡乱げな声に、ラストゥーリャは片眉を上げた。
「彼女は単なる――観察対象且つ研究対象です」
怜悧な響きをもって、はっきりとその言葉はシェイルの耳に届いた。
「ならば、俺の近くに在っても異論無いという事だな? ――監視対象として」
「勿論です。ただし殺さないでくださいね。まだ研究中なので。それに、少しは情だってありますよ、私はそこまで冷酷な人間ではない。当然、貴方に対して叛意あり、この国にとって有害ならば話は別ですが」
きっぱりと言い切るラストゥーリャの言葉に、揺るぎは見えなかった。
やはり噂は噂にしか過ぎないという事だろうか。
少なくとも、この先暫くの間は自分の手元にあるわけだから、精査する時間は十分にあるだろう。
シェイルは信頼に値する幼馴染でもある男に対し、鷹揚に頷く。
「相分かった」
「良かったです。それにしても……転移先が此処とは私も予測しておりませんでした。それに関しては謝罪させていただきますし、始末書も書きますよ」
「どういう事だ?」
「転移座標は『術具使用者が一番安全だと考えている場』に定義したんです。彼女の内にある無意識の意識の発露といった所でしょうかね」
そう言い残して退室したラストゥーリャの言に、シェイルは何とも言えない表情を浮かべたのだった。
第四章 彼女の憂鬱、彼の欺瞞 <了>
凛子はシェイルの腕の中から、体を捩ってけたたましい音を立てた入り口に視線を向けた。
漆黒の麗人は、室内の状況を見て、顔を蒼褪めさせる。
「なっ、何をしているんですかっ」
そして次に慌てた様子で、執務机に大股で歩み寄った。
シェイルは薄く笑い「それは俺が聞きたい」とだけ返す。
三竦みの光景が改善される気配は一向に無かった。
頭や背中の痛みから解放された凛子は、今度は別の痛みに少し顔を顰める。官服のお尻側が捲れあがっているようで、堅い机の感触が不快である。目の前にある厚い胸板を押すと、思いの外素直に、押しのけられてくれた。とん、と床に降り立ち、腕で作られた檻から逃れだすと、二人男を交互に見遣りながら、壁際に寄って背中をぴたりと当てた。
一瞬だけラストゥーリャが凛子を見る。それだけで彼は納得したように頷くと「医務室に連れて行きます」と凛子にではなく、この部屋の主に告げ女の腕を取った。
シェイルは凛子が連れ出される様を、無感情に見ていた。
◇◇◇
「あれを作ってあの女に渡したのはお前だろう?」
手元にある黒色に染まった鉱輝石をシェイルは弄びながら、問うた。
医務室に凛子を送り届け、ラストゥーリャは再度軍本部内にある執務室へと戻って来ていた。
「そうです。発動条件は、彼女に危害が加えられた時。防御結界と転移の二つを定義しています」
「――随分と過保護だな」
皮肉気に持ち上がる口の端に、ラストゥーリャはこめかみを揉むように指をあてる。
「……勘違いされていますよ」
「どうだか」
「彼女は異質ですからね。一見して魔力値が高そうに見えますが、それを殆ど有しておりません。先日街でも襲われましたし」
属性の魔力は色に出易い。そしてその色を持つ人間の一部――つまり血や肉には、体から切り離されても魔力が宿っている。当然、髪や爪も含まれる。
シェイルは指先で鉱輝石を弾く。
鉱輝石へと移されたラストゥーリャの血肉の一部は、魔力を有する天然の結晶と結合し、闇属性の魔力に染めあげた。
天然の鉱輝石は無色透明が一番多く、それだけ魔力を有しているのだが、その殆どは無属性で、家庭用の魔術具等に多用されている。ただ温度を保つだけ、ただ灯りを絶やさないだけ、といった魔術は、細かな内容を術式で道具そのものに刻み、そこに魔力を注ぐ事で上手く発動される。
この世界に魔力を持たない人間は居ない。しかし、魔力値の高低には差が有る為、補填する形で鉱輝石等の魔力を有する天然石が同時に使用されるのだ。
細かな定義付けが必要とされる魔術行使と違って、己の魔力をそのまま対象物へ浸蝕し影響させる事も可能だ。この自然界には、目視出来ないものの属性の要素が漂っている。水属性なら水を操作する事に長けており、風属性なら風操作、と云った具合に。
だが、闇の魔力は極端に言ってしまうと無属性に近い。そして禁咒と相性が良かった。所謂、禁じられている魔術――生物の召喚、生殺与奪、有機体の悪質な転換等が挙げられる。
「そういえば、最初の被害者が殺害されたな。先程報告が上がってきた所だ」
シェイルの言葉にラストゥーリャは表情を厳しくさせた。
有象無象の入り乱れる祝祭週間における犯罪率は、平時より高い。
もちろん、ラストゥーリャ自身、凛子が更なる被害者となるという考えは持っていなかった。単純に、彼女自身の持つ特性によって、別の事件に巻き込まれるとも限らないという考えから、身寄りも後ろ盾も無い彼女に魔術具を与えていたに過ぎない。
「猶更、手元に置いておきたいだろう」
シェイルの問いには、静かに首を横に振る。
「貴方が何を旨意しているかは判りませんが、別に私はあの娘に懸想しているわけではありません」
「――ほぉ?」
胡乱げな声に、ラストゥーリャは片眉を上げた。
「彼女は単なる――観察対象且つ研究対象です」
怜悧な響きをもって、はっきりとその言葉はシェイルの耳に届いた。
「ならば、俺の近くに在っても異論無いという事だな? ――監視対象として」
「勿論です。ただし殺さないでくださいね。まだ研究中なので。それに、少しは情だってありますよ、私はそこまで冷酷な人間ではない。当然、貴方に対して叛意あり、この国にとって有害ならば話は別ですが」
きっぱりと言い切るラストゥーリャの言葉に、揺るぎは見えなかった。
やはり噂は噂にしか過ぎないという事だろうか。
少なくとも、この先暫くの間は自分の手元にあるわけだから、精査する時間は十分にあるだろう。
シェイルは信頼に値する幼馴染でもある男に対し、鷹揚に頷く。
「相分かった」
「良かったです。それにしても……転移先が此処とは私も予測しておりませんでした。それに関しては謝罪させていただきますし、始末書も書きますよ」
「どういう事だ?」
「転移座標は『術具使用者が一番安全だと考えている場』に定義したんです。彼女の内にある無意識の意識の発露といった所でしょうかね」
そう言い残して退室したラストゥーリャの言に、シェイルは何とも言えない表情を浮かべたのだった。
第四章 彼女の憂鬱、彼の欺瞞 <了>


