扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました

 凛子の異動辞令期日執行日が延長されたとはいえ、たかだか一週間程度である。

 しかも秋の祝祭週間へと突入し、仕事もプライベートもその境界を曖昧にするほど、忙殺されていた。
 自分の今後に関して憂える余力は残されておらず、寝て起きて働き気絶を数度繰り返し、宵宮の当日を迎えた凛子は、外宮広場に設置されている総合本部横に設置されてある迷子失せ物板に、追加のお知らせをぺたぺたと張り付けていた。

 深夜丁度に大聖堂で采配される秋告の儀礼から、収穫祭へと突入するのだが、街は祝祭週間に突入してからというもの、既にお祭り騒ぎ。王宮外壁沿いのみならず、一般にも公開されている外宮はその内側にも特別に許可された露天商がいくつか並び、王都民は無論、隣国からの客人や、聖地への巡礼者も加え、混沌としている。

 これだけ多くの人間が、各々の目的で、或いは目的を持たずして王宮内をひっきりなしに訪れているのを見られるのは、秋の祝祭週間位だった。夏や冬の祭事は規模も小さく、華宵祭はどちらかというと若い男女向けの色合いが強い。秋は、生きとし生けるすべての者に向けた豊穣の祭りであるがゆえだろうか。

 地面が響いてるような感覚がする。

 喧騒の只中で、漸くほっと一息ついた凛子は「少し休憩してください」と差し出された筒を有難く受け取り、温いお茶を提供してくれた涼やかな目元の青年を見上げる。群青の騎士服は、王国軍の物だった。

 今朝紹介を受けた際は、王都支部の所属と語っていたから、祝祭明けから自分の同僚になる存在ではないのだろうが、気分的に構えてしまう。王都支部と本部は近いだけあって、合同演習なども頻繁に行っているらしいし、顔を合わせる機会もあるかもしれない。

「怪我は治ったんですね、良かった」
 遠慮がちながらも、青年の視線は凛子の首元にあった。
「あ、はい、おかげさまで!」

 奇しくも、通り魔に襲われた際、王都支部まで運んでくれたのが、この青年――ルーファという名らしい――だったのだ。残念ながら自失していた凛子には、その記憶が無いが、エイゼルが迎えに来るまで、付き添ってもくれいた為、流石に顔位は覚えていた。

 しかし、続けて何か言おうと口を開きかけた彼は「ルーファ! ちょっと来てくれ」という声に呼ばれ、凛子に会釈をひとつしてそちらに向かった。

 目の前の広場に組み上げられた櫓の周りに、小さめの炉のようなものが設置されはじめていた。芋煮会などで見かけるような大鍋も運ばれ、秋の味覚がぎっしりと詰まった木箱も沢山詰みあげられる。作業する者、それらを興味深そうに見ている者、あるいは急ぎ足で外宮の中に吸い込まれていく人達。規則性の無い人の動きの波。

 空は、夕刻の色に空が支配されはじめている。遠く時刻を告げる鐘の音を合図に、櫓前の炉にも火が入れられ、良い匂いがたちまちのうち、辺りに漂い始めた。僅かばかりの休憩時間を手に入れたものの、王宮外壁沿いの露天を見に行ったり、エイゼルが詰めているであろう王都広場の櫓まで行って戻ってくる時間は無さそうである。

 そこで、あきらめて近場をひやかすことにした。身に着けているのは官服なので、城内にも少しだけ出ている露天に立ち寄ることは憚られる。とはいえ、この休憩を逃すと、食事をするタイミングを摂りづらい。一度塔に戻って官服を脱いだほうが良いのかもしれない。などとつらつら考えている所に、見知った顔に出くわした。

「ヒューゴさん! こんばんは。当番は?」
「もしかして休憩ですか? それとも移動中?」

 二人の声が重なって、お互い苦笑する。

「えっと私はちょっとだけ休憩とれそうなので、今の内に何か食べておこうかなと思ったんですけど、官服のままだし、どうしようかなあって」

 凛子の言葉に、ヒューゴは納得したように頷いた後「いいものが有ります。お時間があるならご一緒にいかがですか?」と下げていた四角い籠の蓋を開けると、その中身を披露してくれる。
 
 瑞々しい果実や丸パンにジャムの瓶。カリカリに揚げられたベーコンや、何種類かのチーズも見える。お誘いの言葉に乗って、二人そろって外宮一階の回廊へと向かう事にした。祝祭週間であるため、いつもに比べて官吏以外の人通りもあるが、大きな柱の立ち並ぶ回廊には適度な感覚で休憩用のベンチがあるので、臨時の休憩場所として活躍していた。

 水時計の備えられている一際太い柱横のベンチが丁度空き、そこで籠の中身を広げる事にする。

 ヒューゴとゆっくり会話するのは久しぶりである。二人そろって出掛け、帰りがけに事件に巻き込まれて、凛子の出仕も停止となり、復帰したと思ったら、学術庁の官吏達は誰もが例外なく忙殺されていた。食堂や用事で訪れた図書院で数回入違ったが、せいぜい二言三言交わす位しかする時間が無かったのだ。

 広場の賑やかな音は、いつもなら静かな回廊にも遠慮なく届いていた。

「まさにお祭りって感じですね」

 丸パンにナイフで切れ込みをいれベーコンとチーズと林檎を挟み込んでいたヒューゴは、やや疲れた顔で笑う。自分も似たような顔色かもしれない。朝からずっと立ちっぱなしで駆けっぱなしだった所為か、この時間になると足首あたりがむくんでいるような気がする。

「リィンのこの後のご予定は?」
「私はこの後も暫く失せ物係ですよ。深夜は外宮テラスでの花火打ち上げ担当補佐に急遽変わってしまったので、連日寝不足なので明日は気絶してそう」

 凛子は言いながら悲壮感を漂わせる。

「似た感じですね。深夜は外宮回廊の当番なのでもしかしたらすれ違うかもしれません。でも打ち上げ花火は見ものですし。――それに滝のように落ちる花火を上から見下ろすのも中々趣がありますし、ある意味特等席で運が良いともいえる」

 元居た世界で見たナイアガラのような花火が落ちていくのを上から眺めるのは、確かにレアである。その光景を思い浮かべると、どことなく胸が躍るような気がした。収穫祭さえ終われば、この多忙な日々も終わりを告げ……。と、そこまで考え今度は一気に落ち込む。今は祝祭週間の熱気とテンションに巻き込まれる方が良い。

 短い休憩を終え、ヒューゴに別れを告げる。
 急ぎ足で外宮前広場へ向かう背を、緋色の目がどこか焦がれるように追っていたのを、凛子は気が付かなかった。