扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました


 結論から言おう。
 あれから一刻以上経ち、すっかり世界が夜を迎えたころ、非常に疲れた様子のラストゥーリャが戻ってきた。

「リィン……署名しましたね? 公式辞令文書に……」

「へ?」

 待ち疲れて、書架を背に床に座り込んでいた凛子は、ラストゥーリャの台詞に首を傾げた。

「写しを貰ってきました」

 と、手渡された麗しい神聖文字の連なる一枚の書を、ぽかんと見つめる。

「なんじ りいん・かみーや は がくじゅつ、ちょう て、んもんいん」

「天文院天文官付き補佐官補佐より、王国軍本部 右将軍執務室付き秘書官へと配属の変更を推挙すると共に、アゼリアス聖王国 王国軍右将軍 ヴェイル・シェイル・ガーラント・エレ・ラ・アゼリアスの名に置いて、承認任命する。最後に貴女の署名付きです」

「署名……!? なんてしてない! お前ちゃんとした字書けるのかって挑発されたけど!」

 そんな恐ろしい事が書かれているって判っていたら絶対サインなんてしない!
 というか、怪しい書類どころか白紙だった!
 あれを再利用して書類を作成したとしたら悪徳すぎる……!
 公文書改竄レベルの詐欺である。

「残念ながら家柄は元より、この中央官庁において学術庁下の天文院長官より、王国軍右将軍の方が立場が上です。王国軍将軍位は学術庁長官と同等ですからね」
 ラストゥーリャは、冷酷な事実を端的に告げる。
「推挙した本人が、承認任命する事も可能ですし、書類上はまったく問題ない」

「うそでしょ……」

 公文書の写しが、絶望とともに床に落ちる。
 午後から今の間迄、半日にも満たない時間で、未来の平穏を脅かす大事件が起ころうとは。

「せめてもの情けで、辞令の執行期日を祝祭週間明けに延長して貰いました」
「トゥーリャさん……私……生きていられるのかな……」

「物騒な事を言うものではありません。元々は友好的な関係だったでしょう。だ、大丈夫です、貴女なら出来ます」
「何でそこで、どもるのっ!?」
「死地へ赴くわけではありません。ここでも貴女は確りとその勤めを全うしています」

 自信を持ちなさい。
 慰めか判らない台詞で励ますよう床に落ちた書類を拾上げると、凛子の手元へと押しやる。

事の成り行きを見守っていたエイゼルが、おずおずと口にした。

「確か軍本部って、所属した最初の一年間は、全員軍官舎住まいじゃ……」
「軍官舎って……! トゥーリャさん家からじゃ駄目なの!?」

「確実な情報かは覚えてないんだけど、知人が軍本部に配属された時、そんな事話していたような」
「なっ……、それほんとですか? トゥーリャさん」

「そうですね……そういう軍規があったようななかったような」
「すごおおおく大事な情報ですよ!! ていうか秘書官ってそもそも軍人!?」

「軍の所属になるなら、そうなります」
「ひっ、どうしよ訓練みたいな研修とかあったら……秘書業務なら文官と同じような気もしないでもないけど!?」

 自分の両頬に掌をあてたまま口を半開きにしていた凛子の思考は、どちらかというと逞しいものである、とエイゼルは妙な所で関心させられていた。

「ともかく――」
 咳払いをし、ラストゥーリャは締め括る。
「所属が多少変わるだけで、貴女がこのアゼリアス国民となった事には変わりありません。以前お話していたように、いずれ独立し一人でも立っていけるようになるよう、今後も微細ながら助力はしていくつもりですから」

「お、俺も、同僚っていうか、もう腐れ縁の域まで来てると思うし?」

 その日、シェイルによって持たされた災禍は、三人の連帯感的な感情を強めたようである。  

「エイゼルっ! 私と定期的に会合を持つことを希望します! あと可能な限り休暇中は絶対絶対絶対トゥーリャさんの家に帰りたいです!」

 祝祭週間中、多忙を極めていたにも関わらず、ラストゥーリャは同時刻同時使用することでしか発動できなかった情報転送の魔術具を、置手紙方式――いわゆるメール的な――へと改良し、凛子への餞として荷物に忍ばせてやった。

 ただし所有者個別指定発動用としての開発までには至らなかった為、秘匿性はあまりない。