夜明け前の幽寂を裂き、鋭い風が吹き抜ける。
トゥリローゼとロマーヌ国境を進んでいた一隊にも、疲労の色が滲んでいる。
中央救援隊との距離ははるか遠い。
シェイルの率いる部隊は予定を変更して、トゥリローゼとイズラル国境沿いに向かっている。
「敵、再配置!」
「狙撃手、東の稜線!」
「負傷者下げろ、雪に血が流れる!」
叫びが飛び交い、凛子は息を詰める。
矢の尾羽が風を裂く音が、耳奥を針のように刺す。
「こっちだ!」
カトレアに腕を引かれ、崩れた土壁の陰へ。
無意識にシェイルの姿を探す。
凛子の位置する場所からは少し離れた前方に居る。
抜き放たれた鋭刃。
兵を指揮しながら、一歩前へ、一歩前へ。
彼は冬を纏う刃だ。
誰よりも冷たく、誰よりも暖かい。
シェイルは雪上の布陣を見渡し、ほんのわずかに眉を寄せた。
そこへ、白い息と共に一人の人物が現れた。
帝国軍の旗の隣で、聖職者の衣がはためく。
純白の法衣は雪に溶け込み、黄金色の髪、青碧の瞳がこちらを見つめている。
トゥリローゼの国境砦も落とされたということか。
シェイルは、離れた場所からこちらを見下ろす男に、視線だけで問いかけた。
「嫌々来たのだろう」
「まあ、そうだな」
ディエルは役割を演じる仮面を張り付けつつも、思案するように首を少し傾げた。
彼の纏う空気は、戦場の持つ緊張とは程遠い。
少し面倒そうに、前髪にはらりと落ちる切片を払う。
「そういえば、覚えてる?」
唐突な言葉。
「僕たち三人で決めたこと。ラエルはいつか王に。シェイルは剣に。そして僕は神に仕えて、皆を守るって」
雪が、きしりと音を立てた。
「……ああ」
シェイルは誇りをひと欠片も挟まない声で返す。
ディエルの笑みが、ひどく寂しい方向へ傾いた。
「でもね、結局の所、ただ空席だったから、仕方なくそこに役割を詰めただけなんだ。少なくとも僕はね」
袖口を握りしめる指が震えていた。
「でも、お前は違うだろう? 家臣にも友にも、それから彼女にも――自分が立つ場所を与えられている」
シェイルの胸がわずかに波打つ。
凛子の名を出さずとも、その言葉が深く刺さる。
ディエルは一歩、踏み込む。
「時々、その幸運を、壊したくなるね」
息の温度が触れる距離。
その声は、純度の高い憎悪だった。
「だから、僕がわざわざここまで出向いたってわけ」
シェイルの手が、無意識のうちに剣の柄をゆっくり握った。
兄としての情も、軍人としての理も薄皮のように剥がれてゆく。
「……お前が」
ディエルの微笑みは昏い。
「そういえば、異世界へと通じる扉……ラストゥーリャの施した紋様術式覚えてる?」
その目は、今、救いを求めていない。
「あれは傑作だったな」
雪原に落ちた声は、絶望と悪意。
凍りついた空気を、前方砦の上空を切り裂く号砲が震わせた。
帝国軍の黒塗りの鎧が、一斉に動く。
軽く片手をあげたディエルの合図で、弓弦の音が吹雪のように響いた。
「……帝国側についたということか」
低く問うシェイルに、弟は肩を竦めて見せる。
「ついた、なんて。僕はただ、邪魔してるだけだよ」
「ディエル」
名を呼んだ声に、微かな痛みが宿る。
ディエルの指先が雪を払い、白い地に印を描く。
「次は僕が呼ぼうかな、名だけではなく」
そして吐息のように呟いた。
「――沈め」
瞬間、砦上の敵兵が膝を折り、呻き声を上げた。
精神を縛る鈍い光。紋様術式。
しかし崩れ落ちていくのは、帝国の兵士だけではない、ロマーヌの兵もアゼリアスの騎士達も苦痛に崩れ落ちていく。
「お前……選り分けもできないのか」
「ほらほら、彼らは、お前の大事な部下だろ? 助けてあげないと」
皮肉な笑み。
シェイルは息を吐き、剣を抜き放つ。
銀光が雪原を裂き、魔術痕の残る兵士たちの間に道を作る。
「部隊、前へ! 今よりトゥリローゼ国境砦を奪還する!」
「やれやれ、変わらないなシェイル」
ディエルの瞳が喜悦とも怨嗟ともつかぬ色を帯びる。
トゥリローゼとロマーヌ国境を進んでいた一隊にも、疲労の色が滲んでいる。
中央救援隊との距離ははるか遠い。
シェイルの率いる部隊は予定を変更して、トゥリローゼとイズラル国境沿いに向かっている。
「敵、再配置!」
「狙撃手、東の稜線!」
「負傷者下げろ、雪に血が流れる!」
叫びが飛び交い、凛子は息を詰める。
矢の尾羽が風を裂く音が、耳奥を針のように刺す。
「こっちだ!」
カトレアに腕を引かれ、崩れた土壁の陰へ。
無意識にシェイルの姿を探す。
凛子の位置する場所からは少し離れた前方に居る。
抜き放たれた鋭刃。
兵を指揮しながら、一歩前へ、一歩前へ。
彼は冬を纏う刃だ。
誰よりも冷たく、誰よりも暖かい。
シェイルは雪上の布陣を見渡し、ほんのわずかに眉を寄せた。
そこへ、白い息と共に一人の人物が現れた。
帝国軍の旗の隣で、聖職者の衣がはためく。
純白の法衣は雪に溶け込み、黄金色の髪、青碧の瞳がこちらを見つめている。
トゥリローゼの国境砦も落とされたということか。
シェイルは、離れた場所からこちらを見下ろす男に、視線だけで問いかけた。
「嫌々来たのだろう」
「まあ、そうだな」
ディエルは役割を演じる仮面を張り付けつつも、思案するように首を少し傾げた。
彼の纏う空気は、戦場の持つ緊張とは程遠い。
少し面倒そうに、前髪にはらりと落ちる切片を払う。
「そういえば、覚えてる?」
唐突な言葉。
「僕たち三人で決めたこと。ラエルはいつか王に。シェイルは剣に。そして僕は神に仕えて、皆を守るって」
雪が、きしりと音を立てた。
「……ああ」
シェイルは誇りをひと欠片も挟まない声で返す。
ディエルの笑みが、ひどく寂しい方向へ傾いた。
「でもね、結局の所、ただ空席だったから、仕方なくそこに役割を詰めただけなんだ。少なくとも僕はね」
袖口を握りしめる指が震えていた。
「でも、お前は違うだろう? 家臣にも友にも、それから彼女にも――自分が立つ場所を与えられている」
シェイルの胸がわずかに波打つ。
凛子の名を出さずとも、その言葉が深く刺さる。
ディエルは一歩、踏み込む。
「時々、その幸運を、壊したくなるね」
息の温度が触れる距離。
その声は、純度の高い憎悪だった。
「だから、僕がわざわざここまで出向いたってわけ」
シェイルの手が、無意識のうちに剣の柄をゆっくり握った。
兄としての情も、軍人としての理も薄皮のように剥がれてゆく。
「……お前が」
ディエルの微笑みは昏い。
「そういえば、異世界へと通じる扉……ラストゥーリャの施した紋様術式覚えてる?」
その目は、今、救いを求めていない。
「あれは傑作だったな」
雪原に落ちた声は、絶望と悪意。
凍りついた空気を、前方砦の上空を切り裂く号砲が震わせた。
帝国軍の黒塗りの鎧が、一斉に動く。
軽く片手をあげたディエルの合図で、弓弦の音が吹雪のように響いた。
「……帝国側についたということか」
低く問うシェイルに、弟は肩を竦めて見せる。
「ついた、なんて。僕はただ、邪魔してるだけだよ」
「ディエル」
名を呼んだ声に、微かな痛みが宿る。
ディエルの指先が雪を払い、白い地に印を描く。
「次は僕が呼ぼうかな、名だけではなく」
そして吐息のように呟いた。
「――沈め」
瞬間、砦上の敵兵が膝を折り、呻き声を上げた。
精神を縛る鈍い光。紋様術式。
しかし崩れ落ちていくのは、帝国の兵士だけではない、ロマーヌの兵もアゼリアスの騎士達も苦痛に崩れ落ちていく。
「お前……選り分けもできないのか」
「ほらほら、彼らは、お前の大事な部下だろ? 助けてあげないと」
皮肉な笑み。
シェイルは息を吐き、剣を抜き放つ。
銀光が雪原を裂き、魔術痕の残る兵士たちの間に道を作る。
「部隊、前へ! 今よりトゥリローゼ国境砦を奪還する!」
「やれやれ、変わらないなシェイル」
ディエルの瞳が喜悦とも怨嗟ともつかぬ色を帯びる。


