本命へのおすそわけ――――役目を終えたはずの巫女でした番外編

 その日は、私が水曜日の部屋の護衛担当だった。

 昼前から、診療所近くにある台所は慌ただしい。
 鍋の中身を確認し、量を測り、器と容器を並べる。
 作業自体は、前に手伝った時と変わらない。

「じゃあ、私、刻みますね」

 当たり前のようにそう言って、私は包丁を取った。
 護衛の役目とは別だが、楽しめている。

 サクラ様は、少しだけ安堵したように頷き、鍋の前に戻る。

 今回は、診療所の人たちと、まだ食べていないと頼まれたメイドたちの分。
 料理人たちの分は、すでに行き渡っている。

 量は、過不足がない。
 必要な分だけを作る。
 余らせない。

 途中で、サクラ様が鍋から目を離さずに言った。

「……あ、そういえば」

 声は、思い出したような調子だった。

「クロトさんにも、おすそわけすることになって」

 私は一瞬だけ包丁を止め、すぐにまた刻み始める。

「分かりました」

 それだけで、十分だった。

 サクラ様はそれ以上何も言わず、盛り付け用の器と容器を確認し始める。

 分けておかないと、後からではどうにもならない。
 段取りとしても、正しい。

 昼食は、簡単なものだった。
 二人で向かい合い、作ったものをそのまま器に盛って食べる。

 しばらくは、食器の触れ合う音だけが続いた。

 途中で、サクラ様が箸を止めた。

「……他の人たちは、食べたいって言われたから、おすそわけしただけなんですけど」

 一度、言葉を切る。

「クロトさんに、この味、合うと思いますか?」

 少し遅れて、自分で聞いたことに気づいたような表情になる。

 私は、すぐには答えなかった。

 副師団長の、ここ数日の様子を思い出す。
 仕事の量は増えている。
 動きも、判断も、いつも通りだ。

 ただ、理由の分からない苛立ちを抱えたまま、それを自覚しないまま動いている。

 本人に自覚がないから、余計に始末が悪い。
 料理を食べていない。
 それ自体は、些細なことだ。

 だが、多くの者が分け合っている状況で、
 自分だけがそこに含まれていない。

 その事実を理由として処理していないため、
 苛立ちは、どこにも向かわない。

 だが、きっかけのない苛立ちは、仕事にとって、あまり良くない。

「好みは、色々ありますけど」

 私は、事実だけを返す。

「合わない味ではないと思います」

 サクラ様は少し考えてから、小さく頷いた。

 それで、話題は終わった。

 食事を終え、片付けに入った頃、夜勤交代の時間に合わせて、昼間の護衛が食器を食堂へ運び始める。

 私は台車を寄せ、皿を淡々と載せていった。

 控えめなノックの音がする。

「……失礼します」

 許可を得て、副師団長が部屋に入ってきた。

 忙しさの気配が、言葉より先に伝わってくる。

 サクラ様は、あらかじめ用意していた容器を手に取った。

「こちらです。あの……口に合うか、分からないですけど」

 言い終えた直後、自分でも余計だったと気づいたように、わずかに言葉を切る。

「ありがとうございます」

 副師団長はそれを受け取り、短く言った。

「すぐ、いただきます」

 それだけ言って、踵を返す。

 私は、その間も何でもない顔で、食器を台車に載せ続けていた。

 扉が閉まり、部屋にはいつもの空気が戻る。

 サクラ様は、少しだけ肩の力を抜いた。

 料理は渡った。
 段取りも、問題ない。

 副師団長は、理由を理解しないまま、食べるだろう。

 そして、理由の分からなかった苛立ちだけが、静かに薄れる。

 それでいい。

 分かっているのは、たぶん、今のところ私だけだ