「小学校最後の年、頑張って良い思い出にしないと……」
伸びをして、人だかりのある靴箱に駆け寄った。
少しして、名簿に安曇詩音の字を見つける。
札に六年二組と書かれているのを確認して、ガタのきている扉をそうっと開いた。
私は、『安曇』だから、幸か不幸か出席番号はずっと『一』のままだ。
だから、すぐに席も分かった。 一番前で、廊下に近い席。
ランドセルを片付けて一息ついていると、先生が入ってきた。
そのとき、私の列の一番後ろの子が、おずおずと手を挙げた。
「あのぅ……、私、目が悪くて、黒板が見えないんです。 席を変えてもらえませんか?」
「えっ? でも…………」
躊躇するような素振りを見せながら、先生は私をチラチラと見る。
きっと、あの子に、『私と変わってもいいよ』と言って欲しいのだろう。
だけどあいにく、私はそこまで親切ではないので、そうは言ってやらない。
「……安曇さん、席を変わってあげてくれる?」
観念したようにそう言った先生に、にっこりと作り笑顔を浮かべる。
「はい」
親切なクラスメイトを装いつつも、先生への不満を隠しきれず、言葉足らずになってしまう。だって、「変わって『あげる』」なんて、恩着せがましくて、あの子に失礼極まりない。
「良かったぁっ……」
あの子は、喜ばしさを顔いっぱいに表し、いそいそと移動する。
その喜びようは、黒板に近くなったからだけではないような気がした。
それが確信に変わったのは、隣の席の子を見たとき。
「……」
近づいてきた私に全く反応せず、一心不乱に手を動かしているその子。
綺麗な顔立ちをしていて、墨のような黒髪を、耳の辺りまで伸ばしている男子だった。
そして、彼の手元には―――半紙や、墨、文鎮が並べられていた。 いわゆる、習字道具。
そして床に散らばっている半紙には、『刹那』や『深渕』『寂寥』といった、難しい単語ばかりが綴られている。
どれもマイナスぽくて嫌な字に見えたけど、どうしてか、その字に凄く惹かれた。
とめはねはらい、どこを取っても凄く上手……だけど、彼の字にある魅力は、それじゃないと思った。
じゃあなんだろうか、そう考えても分からない。
悶々とした気分を抱えながら、先生を見る。
「じゃあ、自己紹介して貰いましょうか……まずは、出席番号一番の人」
「はい」
内心、また最初か……と思いながら立ち上がる。
「安曇詩音です。 最高学年として、他の学年を引っ張るお手本になることが目標です」
パチパチパチ……そんな、沢山の拍手に紛れて聞こえたのは―――冷たい声だった。
「馬鹿かよ、言葉舐めてんのかよ」
周りには届かないような小さな声。
だけど、ダイレクトに、私を突き刺した。
「っ……」
言葉を詰まらせ、私は眉をひそめる。
それから一分ほどして、先生は十二番を呼んだ。
誰も対応しないことから、隣人がそれであることに気づいてしまう。
「……自己紹介しないと。 筆を置いてよ、小学校最後なんだからさ、頑張ろうよ。 ね?」
「……」
全く反応がなくて、ひっそりと唇を尖らせた。
「何よ…………。 ねぇ、みんな待ってるから。 すぐ終わるし、やってみよ?」
すぐに取り繕って笑顔を見せるけれど、彼は手を止めない。
名前が分からなくて困っていると、床の半紙の一枚に、整った形の字を見つける。
―――鈴里凪。


